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慣れてしまった「痛み」から抜け出すには

スキルもあるし能力もある、やろうと思えば結構レベルの高いことが十分にできる方。
なのになかなか前に進めない、という方の支援を行うことがあります。
そしてこれはもしかしたら障害の有無の問題だけではないことなのかな、と思っていることの話です。
あくまで僕が関わらせてもらった方の中になんとなく共通項があるような気がしているので、仮説的に書かせてもらう記事なので、明確な根拠とは言えないかもしれません。不勉強なりに、の考察だと思って読んでください。



昔虐待などを受けてきた経験を持たれている方、もしくは虐待とは言い切れないが少し過剰な干渉を受けて育ってこられた方に多いような気がするんですが、なんて言うんでしょうか。どんなこともすぐに「どうせ自分には無理」と諦めてしまったり、まるで責め苦のように「〜しなければならない」みたいに自分を追い込んで意気消沈してしまう、という感じである一定の思考や行動パターンを何度もなぞってメンタルが落ちる、というケースに出会うことがあります。


程度の大小はあるのですが、大体過去の本人の生育歴や生活歴からそのパターンが生まれているのは確かで、なかなかそこから抜け出すことができないんです。
色んな助言を行ったりはするのですが、頭では分かっているけれどもなかなかそのパターンを変えていくことが難しいんです。
いや、もはや好んでそのパターンに自ら寄せているかのようにも見えます。


あと、そういった方の傾向でもう一つあるのは、自ら心的ストレスになる要因を生み出しているようにも見える思考というかアクションが垣間見えることがある、ということ。


なんか、虐待を受けてきていたり過干渉な中で生きてきた背景から、客観的に見るとどう考えてもしんどいし生きづらい思い方だし考え方だと思うんですが、不思議なことにちょっとそこに安住しているように感じることがあるんです。 


そんな傾向がある方にそれとなく聞いてみると、新たな思考や行動パターンに取り組むよりも、たとえばすぐに諦めて、「どうせ自分には無理だ」とか、「〜しなければならない」と追い込んでしまって落ちる、みたいなしんどさというかもはや「痛み」に慣れているからそこに立ち返っているかもしれない、と言うんです。 



新しく何かに向き合ったり取り組んだりする時には、確かにいつもより大きめのカロリーを使わなければいけません。一時的に今までの思考パターンや行動パターンとは違うしんどさが発生するかもしれないのは確かかもしれません。
新たな思い方や考え方で物事に向き合う訳ですから、いきなり上手く立ち回れるかどうかも分かりません。どうなるかはやってみなければ分からないところが確かにあると思います。


そうなると、そのひと山を越えるよりも先に自身の馴染みのある思い方の方が楽だとすら感じているっぽいんです。


今まで散々痛みを負ってきていることは本人もよくよく分かっています。もちろんそのループからは脱したいとも思っています。でも、そこから脱するために「新たな痛み」は負いたくないんです。
ちょっと分かりにくいかもしれませんが、いつもの「痛み」は痛いんだけど慣れているんです。慣れている痛みだったら自分の中で押し殺すことが出来てしまう、今までしてきたように、なので、まだそっちの方がいいようなメンタリティになるみたいなんです。



慣れ親しんでしまった「痛み」が皮肉にも前に進むことの阻害要因になって、自分の生きづらさを認める、というか受け入れる理由になってしまっているかもしれないんです。
諦めたり、追い込んで落ち込んだり、自分を過剰に卑下・否定することで「こんな自分だからしょうがない」に着地しようとしてしまうんです。


自分の可能性を自分で閉じようとする景色を今までも何度も目にしてきました。



なんとなくこの心のメカニズムのようなものは感じていて、引っかかっていたんですが上手く言語化というか自分の中で概念化ができていなかったんです。


不勉強なものでただ知らなかっただけ、いや過去に聞いたことがあって認識はしていたんですが、習い方が少し違っていたので自分の中で紐つけできていなかったんです。



「学習性無力感」

https://it-counselor.net/psychology-terms/learned-helplessness#toc9



彼らが負ってきた痛みは、その痛みを習慣化して自分の可能性すらも自分で閉ざそうとするような地雷を含んでいたということなんですね。


僕らの地域だけではないんじゃないかと思うんですが、学習性無力感、なんて言葉を支援の現場や支援者間で用いたことがあまりになかったので、ぼんやりとした概念のままにしてしまっていたのですが、多分この概念が結構はまっていると思います。


だからなんだ、と言われるとそれまでなんですが、これは「へぇ、これが学習性無力感っていうんだ」で終わる話ではなく、ここから支援の糸口を見つけることができます。
どうやら調べてみると、「心理的安全性」や「成功体験の積み重ね」あるいは「逃避・回避行動」というところが切り口になりそうなキーワードになりそうです。


これを書いている時点ではまだくっきりとは見えていませんが、もしかしたら、この学習性無力感という痛みをどのように支援していくのか、ということを考えて行かないといけないんじゃないか、と思います。


元々は僕の不勉強さで認識していなかっただけなんですが、自分としては大きな気づきだったので書かせてもらいました。
もう少し折を見て掘り下げていきたいと思います。

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