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ただそこに生きているだけで
自然のように生きてみよう。
人や世の中のためになろうと特別
与えよう。
教えよう。
変えよう。
役立とうと
意識することもなく
ただ自分の動きをするだけで
おのずと
与えたり
教えたり
変えたり
役立てられたり
し合っている天地や
動植物たちのように。
人も本当は自然の一部だから
自分も誰かのためになろうと
特別、意識しなくても
ただ自らの動きをしていれば
周りが勝手に活かしてくれる。
蜜を吸わせた花の花粉を
ハチが知らずに運んで行くように。
葉を食んで育った
生き物たちの糞や死骸が
大地に還って肥やしとなるように。
人が四季の移り変わりに
人生の浮き沈みを重ねて
冬が終われば春が来ると
希望を見出すように。
勝手に自然から恩恵を得て
「自然は与えてくれるもの」
と感謝したかと思えば
別の時には
日や雨や雪の多い少ない。
気温の高い低い。
地震や台風。
津波や噴火に
「自然は厳しい」
「人の命を奪うものだ」
と正反対の感想を抱く。
でも自然は
与えるつもりも奪うつもりもなく
ただ自らの動きをしているだけ。
定められた本能のとおり
地球は回り
太陽は輝き
風は吹き
川は流れ
花は咲く。
その大きな自然の動きに沿って
人や動植物など小さな自然は
また自分たちの動きをする。
それぞれが自らの団体の
利しか考えていないようで
その動きは不思議と
悪や過ちと呼ばれる行為さえ
別の命の糧になっている。
天地や動植物たちが
ただそこに在るだけで
お互いを生かし合っているように
人もただ生きようとするだけで
おのずと共生の輪に組み込まれて
自分すら知らないうちに
誰かの学びや気づきや
報いや勇気になっている。
もちろん人も自然だから
ただ自分の動きをしているだけで
ためになったと感謝されることもあれば
害になったと憎まれることもある。
でも、それは周りを意識して
動いたとしても同じこと。
人という自然をどう活かすかも
受け取る側が決めることだから
必ずしも自分が望んだ形で
相手に活かされるとは限らない。
だけど、一つだけ確かなのは
自然は自分で意識しなくても
他の自然に勝手に活かされ
命を繋ぐ役目を果たしている。
だから本当は人間も
ただそこに生きているだけで
何かの役に立っているんだ。
例え自分が望まなくても
お互いの価値に気付けなくても
ただそこに生きているだけで
全ての命は一つ残らず
誰かのために活かされている。
🌸最後までご覧くださり、ありがとうございました🌸