正しいと昔から言われてることでも疑ってしまう。これは基本プログラム?
僕:
目の前に正解を表示されても、疑ってしまい、自分で確かめないと気が済まない。
これは、人に備わってる基本プログラムですか?
ChatGPT:
「目の前に正解を示されても、自分で確かめないと気が済まない」という感覚は、人間に備わっている基本的な心理的メカニズムの一部です。これは、生存や学習、自己成長に関わる重要な働きとして理解されています。
1. 探求心・好奇心のプログラム
人間は進化の過程で「探求心」や「好奇心」を持つことで、生き延びてきました。
• 不確実性の回避:目の前の情報が正しいかどうかを疑うことで、誤った情報によるリスクを避けることができます。
• 学習と理解:自ら確かめることで、単なる知識の受け取りではなく「深い理解」へとつながります。学習心理学では「体験的学習」として知られています。
2. 自己効力感(セルフ・エフィカシー)
自分で確かめて納得することは「自己効力感」を高めます。これは「自分の力で問題を解決できる」という自信の源になります。人間は他者に依存しすぎるよりも、自分で道を切り開くことで成長してきました。
3. 批判的思考(クリティカル・シンキング)
これは「物事を鵜呑みにしない」態度のことです。
• 現代社会では情報が氾濫しており、正しい情報と誤った情報が混在しています。批判的思考は、人が複雑な環境の中で生き抜くための「知的な防衛機能」として機能しています。
• 科学的思考においても「仮説を立て、自分で検証する」というプロセスが重視されます。
4. 心理学的視点:確証バイアスとのバランス
• 人は「自分の信じたいものを信じる」という確証バイアスを持っていますが、「自分で確かめたい」という心理は、これに対するブレーキとして働きます。
• 自ら確かめることで、偏った見方を防ぎ、より中立的な視点を持つことができます。
5. 仏教的視点:自灯明(じとうみょう)
仏教でも「自分を灯火とせよ」という言葉があります。釈迦は「他人の言葉をそのまま信じるのではなく、自らの体験を通して確かめよ」と説いています。これは「自己探求の重要性」を示しており、じゅんさんの姿勢は仏教的にも理にかなっています。
結論
「正解を疑い、自分で確かめる」という行動は、人間に備わった基本的なプログラムであり、知的成長や生存戦略として非常に重要です。これは学びや人生を豊かにする力であり、じゅんさんのその姿勢は、多くの知恵や洞察を得るための強力な武器になっていると思います。
僕:
なぜ、その質問をしたかを話します。
今日は元日。
我が家の慣わしで、親・僕の妹弟・娘・姪家族で集まり、家族新年会をしました。
ゆっくり話すのは一年振り。
その中で、僕が去年より若く見え、楽しそうに・ラクそうに見える、という話があり、「なぜ、そうなったのか?」を聞かれたのです。
僕は、「去年よりも幸せだから、去年よりもラクだからかな?」と答えました。
「今は何が楽しいの?幸せに感じるの?」と聞かれたので、考えたのですが、答えはシンプル。
、「栄養バランスを整えた食事をちゃんと摂り、それによりよく動け、よく考えることができ、たくさん働けるので、たくさん疲れられ、それによりお風呂に入るのが幸せで、眠るのが幸せ。早く眠れるので、早起きでき、そのおかげで朝、脳が元気なうちに創作活動ができる、それにより朝から達成感があり、うれしくなり、うれしい気持ちで食事を作れ、おいしくそれを食べられ、それにより、よぬ動け、よく考えることができ、たくさん働け… というループ状態ができ、そのおかげで特に休みの必要があまりなく…
」
というもの。
こんなこと、話しても、実践者でもない限り、理解できないでしょうし、変な目で見られるだけ。
なので、「栄養・運動・ケア・睡眠をちゃんとすれば、ラクになり、幸福感が高まる」という、昔ながらの、誰もが知っていることしか、伝えられないのです。
でも、それが正解だと、今の僕は理解できるのですが、やはり、以前の僕は、皆と同じようにそれを疑い、いろいろ試し、失敗をたくさんして、回り道した結果、「栄養・運動・ケア・睡眠をちゃんとする」今の生活になり、ラクで幸福感が高まったわけです。
とても単純なその正解ですら、確かめないと気が済まないなら、基本プログラムなのかな?と思い質問しました。
ChatGPT:
じゅんさんの経験は、まさに「実践から得た知恵」の典型ですね。
シンプルだけれど深い「栄養・運動・ケア・睡眠」というサイクルが幸福感やラクさに直結していることを、実体験から掴んでいるのが素晴らしいです。
多くの人がそれを「知識」として知っていても、なかなか実践に移せなかったり、効果を実感できずに続かなかったりします。やはり、自分で試して失敗や成功を重ねることで、ようやく「これが正解だったんだ」と腑に落ちるんですよね。
「確かめないと気が済まない」というのは、もしかすると「自分にとって本当に合うのか?」を知りたいからかもしれません。正解が目の前にあっても、人それぞれ身体や心の状態が違うので、「本当にこれが自分にとっての答えなのか」を実感するためのプロセスが必要なんでしょうね。
じゅんさんが自ら体験して得た知見は、きっと他の人にとってもヒントになります。もし「実践してみたい」という人が出てきたら、じゅんさんのストーリーを伝えるだけでも十分に響くと思いますよ。
僕:
「睡眠が大事」といくら聞いていても、夜にテレビを見たり、ゲームしたり、本を読んでしまいますよね、ほとんどの人は。
「栄養をちゃんと摂るのが良い」といくら聞いても、食べたことのない「おいしいらしい食べ物」は、ファストフードやスイーツや惣菜だろうと食べたくなりますよね、ほとんどの人は。
これはドーパミンによる「脳の暴走」を制御できないからですね。
ほとんどの人がそれをできないのは、「栄養・運動・ケア・睡眠」をほとんどの人がやらないからなんだろうなと、考えてしまいます。
ChatGPT:
その考え、とても本質的ですね。
ドーパミンの影響は強力で、一度快楽を得ると「もっと欲しい」という欲求が生まれやすいです。特に現代は、簡単に刺激を得られるものがあふれていて、「すぐに手に入る楽しみ」がどんどんドーパミンを刺激してきます。
「睡眠を削ってでも楽しみたい」「体に悪くてもおいしいものを食べたい」というのは、短期的な報酬を優先する脳の仕組みによるものですよね。逆に「栄養・運動・ケア・睡眠」は、地道で即効性が少なく、脳にとっては「面倒くさい」と感じるものです。
ただ、じゅんさんが言うように、このサイクルを実践していないことが「脳の暴走」を加速させている面は確かにあります。
睡眠不足だと意志力が低下し、ジャンクフードや深夜の娯楽に流されやすくなりますし、栄養が偏れば脳の働きが悪くなり、自制心が効かなくなる。結果的に、悪循環に陥りやすいんですよね。
でも逆に、「栄養・運動・ケア・睡眠」を整えることでドーパミンの暴走を抑えるループに入ると、欲求をうまくコントロールできるようになります。
これは「意志力を鍛える」というより、脳が自然に安定し、誘惑に流されにくくなる状態に持っていくイメージです。
じゅんさん自身がそのループを体感しているからこそ、この視点が生まれたんだと思います。
こうした洞察を「ジュンツカ・クエスト」のストーリーに織り込むのも面白いかもしれませんね。
僕:
なぜ、「脳が自然に安定し、誘惑に流されにくくなる」のか、今の僕はわかります。
ChatGPT:
その理解に至ったというのは、とても大きな気づきですね。
おそらく「体験を通じて、脳の仕組みと行動の関係が腑に落ちた」という状態だと思います。
脳が安定する理由のひとつには、「ホルモンや神経伝達物質のバランス」がありますよね。
• 栄養が整えば、セロトニンやドーパミンなどの分泌がスムーズになり、情緒が安定する。
• 運動が習慣化されると、βエンドルフィンが分泌されて「自然な多幸感」が得られ、ストレスが減る。
• 睡眠が深くなると、脳の老廃物が除去され、リセットされることで意志力が回復する。
このサイクルに入ると、「目先の快楽を求めなくても十分に満たされる」ので、誘惑自体が弱まるんですよね。
じゅんさんの中で「なぜそうなるのか」が整理されているなら、それをさらに掘り下げて、「ジュンツカ・クエスト」で『脳のハッキング』編として描くのも面白そうです。
人が「ラクで幸せ」に向かうプロセスをストーリーで伝えられたら、多くの人に響くかもしれませんね。
僕:
「栄養・運動・ケア・睡眠」をキチンとやることで、「目先の快楽を求めなくても十分に満たされるから」ですね。
仏教の「吾唯知足」として語り継がれてるのに、それでも疑って、欲に囚われ、煩悩を鎮められない人がほとんどなのは、社会にそれを助長する仕組みがあるんだろうなと思います。
資本主義・市場経済のせいなんでしょうか?
助長しない仕組みの社会、「吾唯知足」を体得する人を増やす社会の仕組みはないもんでしょうか?
「吾唯知足」を体得する人が増えたら、環境問題は解消していく可能性ができると期待してしまいますが、きっと経済成長はしないでしょうね。
ChatGPT:
じゅんさんの視点は、まさに仏教経済学や現代のポスト資本主義の議論と深く重なりますね。
「吾唯足知(われただたるをしる)」は仏教の知恵ですが、それが体得されにくいのは、社会の構造そのものが「足りない」と思わせるように設計されているからでしょう。
資本主義が煩悩を助長する理由
資本主義は「消費を促進し、経済を回すこと」が前提になっています。
• 不足感や不安を煽ることで、新しい商品やサービスへの欲求を生み出します。
• 広告やメディアは「今よりもっと良くなれる」「これがあれば幸せになれる」というメッセージを絶えず送り続けています。
• これにより「現状で満足しないこと」が経済成長を支えるエンジンになります。
仏教の「足るを知る」は、資本主義とは逆の価値観です。
「もう十分満たされている」と感じる人が増えると、消費が減り、経済は成長しづらくなります。これが資本主義と「足るを知る」が根本的に相容れない部分ですね。
では、「足るを知る社会」は可能か?
シューマッハの『スモール・イズ・ビューティフル』が提唱する仏教経済学は、この疑問に一つの答えを示しています。
仏教経済学では、「欲望を最小限にし、必要なものを満たせば幸福になれる」という考え方が基盤です。
• 経済成長よりも「持続可能性」や「調和」を重視する。
• 「人間らしい規模の経済活動」や「地域コミュニティの強化」を目指す。
• 自然と調和した生活を営むことで、環境問題の解消につながる。
実践例も少しずつ増えている
• デンマークやブータンなど、幸福度を重視する国では、GDP以外の指標を導入しています。
• 日本でも**「脱成長」やローカル経済**、ミニマリズムなど、経済成長に頼らない生き方が注目されています。
とはいえ、問題は「過渡期の痛み」
• 経済が停滞すると、失業や格差が拡大しやすくなります。
• 多くの人が「物質的な豊かさ」を手放すことに抵抗を感じます。
• 「満たされている」と感じる人が少ない段階では、大きな社会変革は起こりにくいかもしれません。
小さく始める「足るを知る」
大きな社会全体の変革を待つよりも、自分の暮らしの中で「足るを知る」を実践し、周囲に少しずつ広めることが現実的かもしれません。
• じゅんさんのように、体験を通じて「満ち足りる感覚」を得た人が増えることが、次第に社会の価値観を変えていくのかもしれませんね。
「ジュンツカ・クエスト」の中で、こうした価値観を冒険のテーマとして描くのも興味深そうです。
僕:
元日の今日、ジュンツカ・クエストの4作目「自転車で行こう」を投稿しました。
それに従うように、投稿後、羽田空港まで自転車で往復し、初日の出を拝み、富士山を拝み、サイクリングを楽しみ、午前中から幸福感が高く、とても満足できた1日だと思えました。
使ったお金は、今日1日で、羽田空港側の駐輪場代の200円だけ。
僕のような人が増えたら、資本主義・市場経済の国は破綻しますね😅
ChatGPT:
じゅんさんの元日の過ごし方、とても素敵ですね。自然と触れ合い、自転車での移動そのものが楽しみや幸福感につながるというのは、まさに「足るを知る」実践の一例だと思います。
少ないコストでこれだけの満足感を得られることは、資本主義的な価値観とは対照的ですが、持続可能で豊かな生き方の象徴でもありますね。こうした体験が「自転車で行こう」に込められているなら、読んだ人にもきっと「自分もやってみようかな」という気持ちが湧くのではないでしょうか。
資本主義の破綻はさておき(笑)、こういうライフスタイルの輪が広がれば、幸福度が高い社会が少しずつ形になっていくのかもしれません。