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ハイデガー 「存在と時間」 100分で名著 読書メモ

存在と時間
abstract 存在についての問い。モノが存在するということは、つまり、モノが存在すると認識する自分がいるということ。過去の経験を積み上げてきた自分(現存在)が今ここにいる。過去の「時間」が今の自分を規定している。さらに、未来も規定することになる。
存在について考えるということは、存在を認識する側(現存在・人のこと)についての論にスライドしていく。人はありのままの自分(本来性)が考えているのではなく、世間の空気を読んでいる自分(非本来性)が考えている。それならば、人はどうあるべきなのか。良心の呼び声に従い、世人からは距離を置いて行動する、つまり、決意性が求められるのだ。
(ハイデガーはフライブルク大学総長として、ナチスに加担した。自らの哲学思想をナチスで実現しようとした。ハイデガーは戦争責任を問われ、教職禁止となった。)


時代背景
第一次世界大戦後の困窮したドイツで書かれた哲学書
「存在と時間」は後半部分が書かれず未完の著作
ハイデガーの人気の理由は、既存の哲学思想を批判し覆そうとしたことにある。


存在とは何かを問う。
存在とは、あまりに当然のこととされて、考えようともしない、有ること、目の前にある物の存在を疑った。極めて抽象的な疑問を、日常生活の具体例で考察し論じている。

現在、目の前に物がある。それを物として認識できるのは、過去に経験や記憶があるから、物を物として認識できる。
だから、存在時間は切り離せない。

存在の意味を問う
例えば、「机がある。」
「机」についていくら考えても存在を説明できない。
「がある。」の方に存在の概念がある。

「机」にあてはまるものを、ザイエント(存在者)とした。※机は者ではなく物ですが。

「がある。」にあてはまるものをザイン(存在)と区別した。
(自分の脳の中にある認識力に着目。私たち自身を問い直した。) 

認識する側の(存在者)をダーザイン(現存在)とした。

机(ザイン)を認識するには、人(ダーザイン)の記憶の中になければ分からない。人が生まれてから(学習して)経験上あらかじめ知っていなければいけない。
(乳幼児は机を認識できない。未開人も机を認識できない。)
さらに存在という言葉の意味を知っていなければ「机の存在」を認識して表現する方法がない。

実存とは
現存在(ダーザイン)は自分自身(ザイン)が存在していること(実存)が分かる。しかし、机が存在していることとは同じ認識とはなり得ない。
つまり、物の存在と自己理解を同列では語れないから。

現存在の時間性
現存在(自分)の自己理解は、生育歴と今の環境と将来像までつながった一連の流れとして理解する必要がある。だから、「時間」とは切り離せない。

存在とは何かという問いは、人間とは何かという問いにシフトしていく。

現存在の様態は二つある。
自己自身をありのままに理解している。
自己自身を社会に流される存在として理解している。

(ナチスが台頭してくるドイツ社会の中で周囲に流されている自分という文脈だと分かりやすい。)

それらの自分・人間を
本来性(ありのままの自分)
非本来性(世間に流される自分)
と名付けた。

現象学
日常生活の中で現存在がどのように生きているのか、分析していく。

世界
人間が置かれている環境のこと。

現存在は世界内存在である。
旧来の哲学を批判した。
旧来の哲学では人間の暮らしている社会を捨象して、ピュアな人間と仮定して論じている。

当時のドイツ社会は不安で満ちていた。
科学兵器として、飛行機、タンク、毒ガスが使用され殺戮戦で敗北した社会。ドイツには賠償金が課された。

人間を支配する世人(世間・読む空気のこと)

世人
みんなこうしている、から、何も考えずに行動してしまうこと。
現存在は世人に従って生きている。
社会の一員。
ファッションも身だしなみも食事も学校も芸術も、みんなと同じようにふるまうことに疑問を持たずに従っている。

世人から距離を置くのは困難。
例えば、大学からドロップアウトして世界を放浪するという人も、究極的に独創的な行動か?誰かの真似ではないのか?既にやっている人がいるのではないのか?結局、世人の枠の中。

世人に飲み込まれた現存在
世間話・好奇心・曖昧さを世間に流される3つの要素として、ハイデガーは分析した。
非本来的な現存在(自分)は、本来的な意思表示ができない。

世間話・好奇心・曖昧さを頽落と呼んだ。
世間に流されることを頽落とした。

世人がもたらす無責任さ
ハイデガーは日常においですべての現存在非本来的だとした。
みんながこうしている。非本来性に従う。
自分もそうする。本来性を出せない。
悪いのはみんなで自分ではない。
「いじめの構造」と同じ。

アイヒマンの弁明
国家社会主義ドイツ労働者党ナチスの参謀
アウシュビッツ 無罪の主張 ユダヤ人迫害に無自覚 
人は一人で生きていけない社会性動物 

ヘイトスピーチ 
マイノリティを共通の敵として連携する 
いじめの構造と同様 
共犯の時は自らの暴力性に無自覚 
責任は自分ではなくみんなにある 
現存在つまり自分は、世人もこうしているという規範意識に従うため、責任を放棄している

ムラ社会 
現存在が語るのは世人の意見 みんなと同じことを話し振る舞い、価値観を共有する。 
みんなと同調することで生まれる、責任の不在。
みんなもこうしているという自己正当化 
知らないうちに他人を傷つけている可能性 
世人に同調すると安心 
世間から外れないよう努力している 
世間への同調を辞めるとたちまち不安になる

「不登校」の解釈
世人に従って頽落することを良しとしない
世人に従うことの苦しみ
学校という世間への同調拒否


恐怖不安は異なる 
恐怖は雷などの明確な対象があるが、不安は何となく感じるもの。不安は自分の中にあるもの。世界内の存在であること自体が不安を生む。不安だから世人に身を委ねる。世人の空気を読み続けることが頽落
現存在は世間に紛れると安心するが無責任になり、世間を離れると確かなものがなくなり不安になる。
不安から逃げることで人間の日常は世人に支配されてしまう。自分自身と向き合うことができず自己を放棄している。
自分自身と向き合うことは不安を呼び覚ますこと。

本来性を取り戻す
だけが現存在が存在する確証となる。

死への先駆 (死に向きあう生き方)
に臨むと世人に従うことを辞める、自分のしたいことに時間をかける。
可能性への先駆が本来性を取り戻す。

良心の呼び声
良心の呼び声で普段目を閉じていた自分を覚醒させる。
本来的な自己が、世人としての自己に呼びかける。
常に聴こえるはずの良心の呼び声をいつも聞き流している。

決意性
良心の声をあえて聴こうとする行為を決意性と呼ぶ。
決意性のドイツ語訳は鎖を断ち切り鎖から解放されること。



ハイデガーのナチス加担の謎


大学の師弟による分析
ハンナ・アーレントによるハイデガーの解釈
ハイデガーは周囲の全ての人を世人として否定した。本来なら仲間であるべき人までも遠ざけた。

原子化された人間
人々は独立した思想でバラバラになり、それぞれが世人を遠ざけた先には、孤独な人の集団となる。ナチズムという全体主義、超自己、国家主義の支配に対して脆弱になる。

複数性
同じイデオロギーの全体主義の支配から逃れるために。
世界中の人々は全て違う個性を持つ。互いに違うからこそ、コミュニケーションをとることで、私は何者なのかが明らかになる。

活動
他者と連携して権力者のプロパガンダに対抗すること。
評議会制度により、地方で話し合い、権力を分散させ、中央の政治に意見を表明すべき。

ハンス・ヨナスによるハイデガーの解釈
ハイデガーの決意性良心の呼び声に疑問を持った。
良心は何も教えてくれない。
良心は自分で何が正しいかを判断しなくてはならない。
決意性は自分で行動すること。
ナチスの全体主義に従うのも良心であり決意性である。
ハイデガーは本来性を「決定すること」のみに限定したため、倫理の観点が欠けていた。

ハイデガーの思想は倫理観が欠如している。
自分が決定したもので、他人がどうなってもいいという考えは無責任である。
責任は弱者に対して負うもの。責任は未来へと向かうもの。
弱者の保護は世代間倫理として引き継ぐもの。