子どもの時の大人の姿
小さいとき、大人はすごく大きくしっかりした人に見えた。
「おばさん」と言われる人は、みなしっかり者で家事をして普段の時の姿と冠婚葬祭や授業参観など特別な時は別人のようにしっかりしている。
近所を歩いていれば挨拶をしてくれる。
「おじさん」と言われる人は、普段は働いているけれど、子ども会や地区の行事の時はとても活気がありすごい大きい印象があった。
自分も大きくなったらそんな大人になるのだと思っていた。
しかし、自分がいざ20,30になってみても、そんな大人になれていないことに気づいた。
特に冠婚葬祭などは全然、毎回ネットや本で調べてみたりしても、いざ挨拶やほかの方と会ってもうまくお話しすることができない。
そういう時、礼儀作法を学んで頭でっかちではない、実践や日々の積み重ねだということに気づいたのだ。
言葉一つとっても今の私は高校の時と何ら変わらないただ年を重ねただけの「こどもおばさん」になってしまっている。
挨拶の所作一つでもそうだ。
自分が幼いころ憧れたおばさんやおじさんみたいになりたいのなら、子どもと同等と考えてはいけない。
大人であり、親であり、社会に出ている一人だということを時折気づきなおして気を引き締めるのだ。
夏休み前に娘の保護者会で学校に行ったとき、同じ町内の女の子から「○○君が長女のお母さんに会いたいってここにいるよ」
と○○君を紹介してもらった。
その子とは特に面識もなかったので「?」と思いながら挨拶をしたら、向こうもペコっとお辞儀だけして校庭に逃げてしまった。
私は女の子に「どうして私に会いたいんだろう?」って聞いてみると、
「知らないけど、授業参観の時かっこよかったんだって」と教えてくれた。
授業参観は45分間立ちっぱなしで子ども達の様子を見ていただけだったのだが、私は思い当たる節は立ち姿かなと思った。
礼儀作法で学んだ立ち姿だと何時間でもまっすぐ立てるのだという。
現に私はずっと型を崩さず立っていた気がする。
少しでも、子ども達に違うと意識してもらえるように日々頑張ろうと思った。
素敵な「憧れる」大人に一緒になりませんか?
子どもの明るい未来は今の大人が大人になることだと思う。