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インド哲学のアートマンと仏教の無我

あちこちで返答しているから、話はバラバラになりますが
💁

日本の仏教のかたと、自我のアートマンの話が合わないなと感じていたら

どうも、日本の仏教のかたは、意識の自我の話だからなのか?と思った。

インド仏教やインド哲学は、存在論や実体論や魂や霊の話になるようですが

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ウパニシャッドではアートマンは不滅で、離脱後、各母体に入り、心臓に宿るとされる。これに従うならば、個人の肉体が死を迎えても、自我意識は永遠に存続するということであり、またアートマンが死後に新しい肉体を得るという輪廻の根拠でもあった。

まあ、釈迦は我は有るとか無いとかは論ぜなれないようでした。

インド唯識派は、有だったんですが、後に空だと言う、中観唯識派ができたようです。

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パーリ仏典無記相応の『アーナンダ経』では、釈迦はヴァッチャゴッタ姓の遊行者の以下の問いかけに対し、どちらにも黙して答えなかったと記されている。

我(attā)はあるか?

我はないのか?

この問いに答えなかった理由は、あると答えれば常住論者(sassatavādā)に同ずることになり、ないと答えれば断滅論者(ucchedavādā)に同ずることになるからと説いている。一切漏経でも同様に説く。

スッタニパータ
 七岳という神霊は答えた、「かれは明知を具えている。またかれの行いは清らかである。かれのすべての煩悩の汚れは消滅している。かれはもはや再び世に生まれるということがない。」

⤴️

ちゃんと読めば、滅してからの輪廻の涅槃が書いてあるさ

インド仏教やインド哲学は、存在論や実体論の話になるようですが


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ウパニシャッドではアートマンは不滅で、離脱後、各母体に入り、心臓に宿るとされる。これに従うならば、個人の肉体が死を迎えても、自我意識は永遠に存続するということであり、またアートマンが死後に新しい肉体を得るという輪廻の根拠でもあった。
🙏
死んで魂を無にして無我にして、輪廻を無くす涅槃になるんではないですかね。

涅槃は、輪廻の解脱をする悟の涅槃と、滅してからの輪廻をしない涅槃があります。


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無余涅槃(むよねはん)、無餘涅槃: anupādisesa-nibbāna)は、生理的欲求さえも完全になくしてしまうこと、つまり肉体を滅してしまって心身ともに全ての束縛を離れた状態。有余涅槃(うよねはん、sa-upadiesa-nibbana)と対比される。

涅槃とは悟りを得たということであり、全ての煩悩を断じ尽くしているはずであるが、実際には釈迦がさとりを得て、全ての煩悩を滅してしまったとしても、自らの生理的欲求は残っている。その状態を有余涅槃と呼び、その生理的欲求を「余」としている。


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普通の修行では、輪廻になる
釈迦は、一切皆苦を説き、輪廻を繰り返していくのも苦だと説いた。
釈迦は、輪廻を終わらす涅槃の修行を作ったが、
並大抵な修行ではできなかった。

大乗仏教は、良い輪廻に生まれ変わるやり方を選びました。
💂
霊力、法力、陣痛力、超能力の違いは、エロエロ説明できますが

説明仕切れないんで、飼ってにやってね
(*`艸´)
私は、そうゆう修行はあまりやらなくて社会で役立つ修行を求めたから、甘利ないよ(;´Д⊂)
👲
私は、いろいろな占術の本も何百冊読んで運命学もやりましたよ。

宿命は変えられないが、運命は変えられるですよ。

陣痛力には宿命痛もあります。

宿命をわかり、カエル修行🐸をしていけば、変わるとわかりましたよ。

それが、仏教や密教の修行ですよ。

🐸

神足(じんそく)通

: iddhi-vidha-ñāṇa)

自由自在に自分の思う場所に思う姿で行き来でき、思いどおりに外界のものを変えることのできる力。飛行や水面歩行、壁歩き、すり抜け等をし得る力。

天耳(てんに)通

: dibba-sota-ñāṇa)

世界すべての声や音を聞き取り、聞き分けることができる力。

他心(たしん)通

: ceto-pariya-ñāṇa)

他人の心の中をすべて読み取る力。

宿命(しゅくみょう)通

: pubbe-nivāsānussati-ñāṇa)

自他の過去の出来事や生活、前世をすべて知る力。

天眼(てんげん)通

: dibba-cakkhu-ñāṇa)

一切の衆生の業による生死を遍知する智慧。一切の衆生の輪廻転生を見る力。

漏尽(ろじん)通

: āsavakkhaya-ñāṇa)

煩悩が尽きて、今生を最後に二度と迷いの世界に生まれないことを知る智慧。生まれ変わることはなくなったと知る力。

Wikipedia参照

ウパニシャッドの時代には、アートマンが宇宙を創造したと説かれた。また、アートマンは個人我(小我)であるとともに宇宙の中心原理(大我)であるともされた。ブラフマン(宇宙原理、: brahman)とアートマンが一体になることを求めたり、ブラフマンとアートマンが同一である(梵我一如)とされたり、真の実在はアートマンのみであって他は幻(: māyā、マーヤー)であるとされた。

また、アートマンは、宇宙の根源原理であるブラフマンと同一であるとされる(梵我一如)。それは、宇宙の全てを司るブラフマンは不滅のものであり、それとアートマンが同一であるのなら、当然にアートマンも不滅のものであるという考えであった。

ウパニシャッドではアートマンは不滅で、離脱後、各母体に入り、心臓に宿るとされる。これに従うならば、個人の肉体が死を迎えても、自我意識は永遠に存続するということであり、またアートマンが死後に新しい肉体を得るという輪廻の根拠でもあった。

Wikipedia参照





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