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私が教員を辞めた訳。

久しぶりに教員ネタです。(笑)

なぜ私が教員を辞めたのか。
高校時代から憧れ、
教員になることだけを考えて大学の期間も生活をし、
晴れて教員に採用され
仕事を楽しみ、子どもたちを愛していた私が辞めた理由。

教員は天職だ。
憧れる先生だ。
辞めるなんてもったいない。

そんな風に言ってくれる人が
たくさんいたのにも関わらず
心が疲弊して続けることができなかったのはなぜか。

1.HSPという気質

休職期間、ネットサーフィンをしていて
初めて知った言葉。HSP。

精神科医の先生に鬱だと診断されても
実際ピンときていなかった私は
HSPの存在を知り、特徴を理解していくうちに
ストンと落ちるものがあった。

ー私の苦しみの原因はこれだ。と。

そして、これが大きな土台となり
他の苦痛がうまれていた。

2.大規模校であったこと

職員はざっと100人超え。
常に100人の騒音が聞こえ、
顔色を伺う職員室は
私にとってストレスの他、何者でもなかった。

3.潰すことのできない面子

私の教育実習は特殊であった。
東京都の教員育成プログラムにより、
大学4年生の間、
並行して一年間実習をさせていただいた。
 
その学校の校長先生が
高く評価してくださったため
私は、最先端の学校へ赴任した。

ー私の失敗は、その校長先生の面子を潰す

そう感じ、ピリピリとした気持ちで働いていた。

4.休まるところがない

毒親である母親との生活は、
非常に辛いものがあった。

職場で疲弊し帰宅しても
母親の期限に左右され、
兄弟で私一人が無視され続けることもザラにあった。

仕事での疲れを吐き出すこともできず
無視される辛さに耐え、
キッチンで死ぬように寝てしまっても
また翌朝になれば、7:00には出勤していた。

職場も辛かったが
家も辛く、子どもたちに会えるという想いにより
学校にいる方が幸せに感じたほどだ。

大半がHSPを自分が理解できず
その繊細さ故に苦しんでいたことが多いと今なら思う。
そして、繊細さが見事にマイナスに発揮できる環境であったことも大きい。

こんな私が働きやすい場所はあるのか。
今も毎日悩んでいる。

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