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【自己紹介】 I AM "WINGS2FLY"

はじめまして。Wings2Flyです。読みにくくて恐縮ですが、ウィングズ・トゥー・フライと発音します。直訳すると「飛ぶための翼」なのですが、これがどういう意味なのかは追ってご説明いたします。長年、広告関係の仕事をしていて、現在シンガポール在住です。

MY HISTORY 私の経歴

出身は愛知県の田原市、上智大学で英文学を学び、卒業後、K&Lという海外向けの広告を行う東京の広告代理店に勤務します。当時、日本はバブルの真っ只中にいました。日本の主要企業の海外向けの広告、販売促進の仕事を、クリエイティブ・ディレクター、ストラテジック・プランナーとして担当しました。NEC、ニコン、パイオニア、リコー、アンリツ、富士重工、オムロン等のクライアント向けに、企業広告、企業紹介動画、コマーシャル、カタログなど、様々なプロジェクトを担当します。

今はグローバル広告代理店となっているTBWAがまだ欧州とアメリカにしかオフィスがなかった頃、K&Lが提携代理店として日本およびアジア市場をカバーしていました。私は日本側の窓口を担当。TBWAは4人の創業者のイニシャルですが、これら4人全員に会ったことのある日本人は私以外は数えるほどしかいないと思います。パリ、ロンドン、ブラッセル、フランクフルト、デュッセルドルフ、ミラノ、ローマ、ニューヨークなどのオフィスに何度も行きました。アブソルート・ウォッカの日本向けのキャンペーンなども関わりました。

仕事では、打ち合わせや、プレゼンテーション、撮影などで30カ国以上を訪問しました。珍しい国ではエチオピアにも行きました。写真撮影だったのですが、戒厳令下で、その後間も無くクーデターになったのですが、夜空が美しさと、子供たちの目の輝きは忘れられません。

その後、シンガポールでの競合プレゼンテーションで、アセアン向けの広告キャンペーンを獲得したので、日本の会社の支社を設立することになります。スーツケース一つだけで海外生活が始まります。シンガポールにはそれから10年滞在、その後香港に移り、4年滞在します。この間、インドでの合弁会社設立や、中国市場向けの競合プレゼンテーション獲得などという出来事もありました。中国とインドではそれぞれ別々のセレブリティーを起用し、マス媒体を使った大規模な広告キャンペーンを行いました。

2011年に一旦東京に戻りますが、2016年に再びシンガポールに戻ることになります。2020年、それまでの会社がシンガポールから撤退するのを契機に、そのままシンガポールに残り、自分の会社を登記します。還暦を過ぎての起業でした。会社設立したのが2020年の1月だったのですが、その直後にパンデミックとなり、ビジネスが大きく影響を受けることになります。決して順風満帆とは言えない船出だったのですが、疾風怒濤の航海の中、なんとかサバイブしています。

WHAT'S IN THE NAME? 名前の由来

私の名前のWings2Fly(ウィングズ・トゥー・フライ)というのは、実は、昨年私がシンガポールで設立した会社の名前と同じです。と言っても、このnoteでは、法人としてではなく、個人としてWings2Flyを名乗っています。ややこしくてすみません。

自分で会社を設立する時に、私が提供するものは何かと考えた時、それは「国境を超えて、クライアントの思いを目的地に届けるための翼となりたい」ということでした。海外市場を目指すお客様は、海外ビジネスの経験がなかったり、そのつてがなかったりするのですが、「私がその翼になります」というメッセージです。

ギリシャ神話にダイダロスとイカロスの話があります。太陽に近づきすぎたために、羽根を留めていた蝋が溶けて落下してしまうイカロスが有名ですが、実はこの空飛ぶ翼を作るのは、父親のダイダロスという大工でした。いろいろな事情があるのですが、幽閉されていた塔から脱出するために、ダイダロスは人工の翼を発明します。接着剤として使ったのが蝋でした。その人工の翼の使用上の注意としては、太陽に近づきすぎてはいけない(熱で蝋が溶ける危険がある)、海面に近づきすぎてはいけない(湿気で羽根が劣化する)という二つがありました。息子イカロスはこの注意を忘れてしまったので悲劇が起こったのです。本来は素晴らしいツールでも使用方法を間違えてはいけないということですね。

Wings2Flyという名前には、このダイダロスの翼のイメージもありました。この魔法の翼があれば、どんな高い障壁をも乗り越えられる、どんな遠く離れた場所にも自由に飛んでいける。自分がお客さんのためのそんな翼となれたら何て素敵なんだろうと思いました。コロナ禍になってこれがさらに重要な意味を持つことになるとは、名前を付けた時点では想像もしませんでした。

今から半世紀ほど前にヒットした「翼をください」という曲があります。赤い鳥というグループが歌っていました。

今私の願いごとが叶うならば / 翼がほしい / この背中に鳥のように / 白い翼つけて下さい / この大空に翼を広げ / 飛んで行きたいよ / 悲しみのない自由な空へ / 翼はためかせ行きたい

この曲を、スーザン・ボイルが英語でカバーしています。そのタイトルが実は"Wings To Fly"です。こちらに動画をアップしておきます。

このnoteのトップ画像は、パンデミックの中、2020年の12月23日にシンガポールから成田に向かうANAの飛行機の窓から撮影したものです。国境を自由に超えて飛んでいく翼というのが自分の生き方と考え方を象徴しているんだなと思います。

ジョブタイトル: CHIEF NAVIGATION OFFICER

現在、自分の役職として名刺に入れているタイトルは、Chief Navigation Officerというものです。Chiefなんとかというタイトルは、Chief Executive Officer (CEO)や、Chief Financial Officer (CFO)を筆頭にいろいろとあるのですが、自分で勝手にこのようなタイトルをつけてみました。本当はChiefなんとかという役職が必要なほどの組織ではないのですが。

もともと船の世界では、Navigation Officer(航海士)という職業がありました。船の航行を助ける役割の人なのですが、先の見えない海で正しい方向に、安全に船を進めていくという意味でChief Navigation Officerというのを自分のタイトルにしようと思ったわけです。「水先案内人」という言葉が近いニュアンスかと思います。

ちなみにこれまで名乗ったことのある役職名を列挙してみると、こんな感じです。エディター、SPプランナー、クリエイティブ・ディレクター、ストラテジック・プランニング・ディレクター、室長、Managing Director、取締役… いろいろありますね。

MY EXPERTISE & SKILLS   私の知識とスキル

長年の仕事の経験や、プライベートで追求してきたことで、私が提供できるスキルや知識に関してご紹介してみたいと思います。

広告の仕事でのできることとしては、広告企画、媒体企画、媒体購入、プレゼンテーション、企画書作成、クリエイティブディレクションなどがあります。広告に関しては何でもやるというスタンスですが、特に、海外の広告媒体(新聞、雑誌、屋外広告、デジタル等)に広告を出すのをワンストップでサポートするというのが主力の仕事です。最近では、インド、バングラデシュ、オーストラリアなどの仕事をしていますが、世界各国で対応できるというのが売りです(もちろん対応できない国もありますが)。

また、私のキャリアとしては、会社の経営的なこともシンガポール、香港、インドなどで行ってきていますので、会社設立、経理、法務、人事などのノウハウはあります。インドではM&Aで合弁会社を独資化するという経験もしていて、その交渉や訴訟、従業員の雇用契約、会社設立に絡む法的な処理、銀行口座開設、会社運営のためのシステムの構築などという果てしない業務を行ったという経験もあります。

英語に関しては、大学は英文科で、英語教員の資格(中学高校)を持っています。大学の4年の時、愛知県の公立高校の採用試験を受けて合格しています。広告代理店では、ほぼ毎日英語を使い、英語のカタログや広告のライティングや翻訳などもかなりやっていましたし、英語でのプレゼンテーションなども何度も行ったことがあります。

もともと語学は好きで、中学の頃からイタリア語を勉強していました。大学では、第二外国語としてドイツ語を取り、第三外国語としてフランス語を勉強していました。仕事を始めてから神田のアテネフランセにもちょっとだけ通っていたことがあります。会社に入って、中国語を2年ほど勉強し、香港にいた頃は広東語も勉強しました。タイ語などもちょっとやりました。英語以外はほぼ忘れてしまいました。

高校時代美術部にいたこともあり、絵を描くことは子供の頃から好きでした。イラスト、漫画、レタリングなども勉強していたこともあり、つい最近はチョークアートなどもやっておりました。あくまでも趣味の世界ですが、こちらが最近の作品です。

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仕事とは全く関係なく、あくまでも趣味の世界ですが。

仕事では、ニコンの仕事が多かったので、自分でも写真を撮るようになりました。カメラも、35ミリフィルムの時代から一眼レフを使っていますし、デジタルカメラも何台か使っていて、現在はニコンのD750を使っています。毎年開かれる高校の同窓会の関東支部の総会で、オフィシャルカメラマンとして数年間写真を撮っているのですが、大人数の集合写真で一人一人を鮮明に撮るために数年前フルサイズ(FX)にしました。ニコンD5300を使っていたこともあるのですが、その頃は、カラースケッチという機能に凝っていて、カラースケッチ作品を多く撮っていました。こちらはその一例です。

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あと、大学時代にシェイクスピアを舞台で演じていました。原語でも、日本語でもやりました。「夏の夜の夢」、「十二夜」、「ロミオとジュリエット」は原語で上演し、役者として舞台に立ちました。「ヴェロナの二紳士」という作品は、自分で日本語に翻訳・翻案し、舞台にも立ちました。こちらがその時のチラシのデザイン。このイラストとデザインも私です。

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MY NETWORK  私のつながり

先にご紹介したシェイクスピアのお芝居のチラシにも名前がありますが、現在は俳優として活躍している吉田鋼太郎君も一緒にお芝居をやっていました。四元やすひろ君は詩人として有名になっています。

大学時代は演劇漬けの毎日でしたが、大学の隣の教室では、野田秀樹さん率いる夢の遊民舎が稽古をしていました。直接の面識はありませんが。

大学の時の同じクラスには、サブカルチャーで有名な都築響一君もいました。彼が雑誌SPAで珍世界紀行を連載していた頃、マレーシアの博物館でたまたま開催されていた「不倫博物館」と「昆虫博物館」を教えてあげたことがあります。

大学の時にお世話になっていた先生としては、劇団円で演出もされていた英文学者の安西徹雄先生、「知的生活の方法」で有名な渡部昇一先生などがいます。大学は違うのですが、外山滋比古先生もちょっとだけ接点がありました。

仕事の中でのネットワークとしては、IN NetworkやICOM Netowrkという国際的な広告代理店ネットワークの日本担当をしていたこともあるので、世界各国の広告代理店、媒体社などとの繋がりもあります。

また、世界各国のフォトグラファーと仕事していたので、フォトグラファーとのネットワークもあります。ナショナルジオグラフィックで活躍しているマイケル・ヤマシタさんや、飛行機事故で亡くなったネイチャーフォトグラファーのゲイラン・ローウェル氏、雑誌ELLEのクリエイティブ・ディレクターをしていたジル・ベンシモンなど錚々たる有名人と一緒に仕事をしました。巨匠ピート・ターナーのニューヨークにあったオフィス兼自宅を訪問したこともありました。

セレブリティーとしては、台湾のスター、ワンリーホンや、国際的に活躍するインドのボリウッド女優プリヤンカ・チョープラなども、撮影で何度も会っています。それぞれ、非常に面白い話なので、機会のある時に触れてみたいと思います。

高校は愛知県の成章高校という公立高校なのですが、後輩には、光浦康子さん、大久保佳代子さんがいます。ヤクルトで活躍している小川泰弘投手も同じ高校です。母校は春の選抜で二度甲子園に出ています。私が高校一年の時に出場したのが最初で、二度目が小川投手が在学中のことでした。愛知県は基本的に中日ドラゴンズの人気がダントツですが、小川投手がヤクルトに入ってからは、私もヤクルトファンになりました。

WHAT I LIKE  私の好きなもの

一時、古代中国を題材にした小説を集中的に読んでいたことがありました。『三国志』から始まって、宮城谷昌光さんの中国の春秋戦国時代を題材にした小説を読んでいました。シンガポールでたまたま手にした『楽毅』(がっき)で感動したのがきっかけでした。仕事で中国の無錫に行ったついでに太湖の畔の蠡園を訪れたことがありましたが、そこは越の国の宰相だった范蠡(はんれい)に因んだ庭園でした。「呉越同舟」とか、「西施のひそみに倣う」とか、「臥薪嘗胆」などの故事成語の発祥の地を実際に訪れて感動したことを覚えています。

英文学では、シェイクスピアが最も付き合いが長いですが、卒論は『ガリバー旅行記』で有名なジョナサン・スウィフトでした。イギリスの文学が好きで、ディケンズの『オリバー・ツイスト』なども好きです。ミュージカルの『キャッツ』を観て、オリジナルの詩を書いたT.S.エリオットがあらためて好きになりました。

映画では、『恋に落ちたシェイクスピア』は、自分が実際に舞台でやっていた『ヴェロナの二紳士』、『ロミオとジュリエット』や『十二夜』の台詞が満載で、まるで自分のために書かれた作品かと喜んだ記憶があります。

演劇を観るのも好きで、ニューヨークやロンドンに行ったら必ずミュージカルや演劇を観ていました。『キャッツ』、『クレージーフォーユー』、『アラジン』、『レミゼラブル』などが好きです。演劇としては、六本木の小劇場でやっていた自由劇場が好きでした。『上海バンスキング』や、『もっと泣いてよフラッパー』など感動しました。

スポーツは、中学、高校時代は、ハードルをやっていたくらいでしたが、たまたま出張でニューヨークに行って、セントラルパークで目撃したインラインスケートに感動し、インラインスケートを買って、出張のたびにセントラルパークで練習をしていました。シンガポールでも週末はイーストコーストパークという海岸添いの公園を走っていました。

海外生活で特に気に入っている食事は、朝食です。香港にいた頃、ブレックファーストというのは、週末は朝だけでなく、昼でも、午後でも食べられることを知り、朝食が好きになりました。イングリッシュ・ブレックファーストや、サワードウのパンを使った朝食が好きです。

MY HORIZON 私の水平線

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2020年にNHKで放映された朝ドラの『エール』は、豊橋と福島が舞台でしたが、豊橋の海が象徴的に使われていました。ロケに使われた海岸は豊橋市なのですが、これがほぼまっすぐ渥美半島の伊良湖岬に向かって伸びている海岸です。実家から自転車を走らせてよく海まで行ったことを思い出しました。

子供の頃、広い水平線を見ながら、この向こうには外国があり、いずれは外国に行ってみたいという夢を持っていました。そのために外国のことを勉強し、英語を勉強しました。結果的には、外国で仕事をすることができているのでよいのですが、さらに広い世界で活躍していきたいなと思っております。最後まで読んでいただきありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。



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