春夏秋冬とかいて、ひととせと読むらしい。

タイトルは思いついた事を書いただけです。
難しいね、タイトル。

このノートを使って、私と、この身体の生きてきた足跡を残していこうと思う。
いつか、こんな事あったね、と笑って読める日が来ますように。
その為なら私は何度でも春夏秋冬を巡っても良い。

今日は生まれについて話そうか。

この話になると、今執筆している「唯」ではなく、この身体の事になる。

この表現で怪訝な表情をした方もいるだろうから、簡潔に説明をしようと思う。
この身体の脳は解離性障害の中でも同一性が無いとされる、
多重人格の状態になっている。

といっても、私は増えた人格側なのだけれど。
この子の脳はその中でも特殊だったらしい。

"らしい"というのは、母親から聞いた話だからだ。

1歳の頃には 既に この子以外に もう一人の存在が居たそうで。
母親曰く、その女性は自身を Edelweiss と名乗り、文面でのやり取りを4歳頃までしていたらしい。英語の筆記体で。

この話は長くなるから割愛するが、兎も角 この身体は
推測するに生まれつき 二重人格ではあったという事になる。
Edelweissは名前を変え、今はナーヴァルを名乗っている。
私達は彼女をISH(内的自己救済者)又は第二の基本人格としている。     

因みに私「唯」が上記のISHから解離したのが2歳の頃だ。
これも後に語ろうと思う。


話しを戻そうか。

生まれについて。

1991年1月29日
アメリカ合衆国 ニューヨーク 州  ブルックリンの黒人街で産まれる。
この身体は午前中にひり出されたらしい。
父は日本人、母親はアメリカ人のハーフだったら良かったが、残念ながら母親が16歳の時の彼氏と出来た子供だ。
純アメリカ人。強いて言えば ネイティブ・アメリカンの血を引く母と現役軍人であるアメリカ白人とのハーフだ。ハハ。
因みに結婚した父と種の父は縁もゆかりも無い他人。


産まれる前に結婚したというのだから、ちゃっかりしている。
当時の父は血の繋がりが無い事を知っていたらしい。

そんな事も知らずおぎゃあと産まれた訳だが
・泣かない 
・表情がない 
・大人しすぎる 
・喋らない
・ハイハイを通過せず突然立ち上がって走り、後に歩行する
など。
兎に角変な赤子だったらしい。
後は母親の瓶ビールを全部飲んで酔っ払っていたり。酒カスじゃないか。でもこれ記憶あるから多分私なんだ。ごめんじゃん。

母親は、子供らしくない子供、赤ちゃんの時の楽しみが無い子供だとよく愚痴をこぼしていた。

とにかく、他の子供と比べて大人しい事が、逆に好都合だったようだ。
母親は当時結婚した相手がレゲエミュージシャン(日本人)
(レゲエ 牛若丸でGoogle検索すると出てくる。)
母親いけいけのラッパー 
(mc Kha-la でGoogle検索すると私の母親が見れる。)
当時は名が売れていないながらも今は超有名な業界の大人達のたまり場として、母親が自分の実家を提供していた。
よく、ウッシーと父を呼んでいたのを覚えている。 
多分旦那の名前知らないぞあの人。

当時、母親、父親、祖母の3人で暮らしており、この子から見て叔父がレーベル会社を持ち、祖母も祖母で音楽業界の人間だったので、母方は音楽サラブレッドと言った所か。

こんな事もありHIP HOPレゲエ集団に囲まれ、子供と関わる機会等ほとんど無く、大人の世界で生きて、大人と交流、大人に気に入られる子供として生きていく事が強制的に決められていた。 
つまり、都合のいい子だ。騒がない、我儘を言わない、大人しい子供。

その上、当時は日本人の肩身が狭すぎたのもあり、日本人と結婚した母親は変人だと思われていた。が、母親はアレでも頭がめちゃくちゃ良い。小学校で3年飛び級をして17歳でハーバード大学を卒業している。身重でよく出来たな。 
だからその子供であるこの身体は母親の同級生の子供たちの格好の虐めの標的になっていた。雪の中に埋められたり、散々だった。誰も助けてくれる人は居なかった。

基本人格は、それを相談したことがあった事が記憶に残っている。その時は母親に激昂され、逆に体罰を受けたのだが。

酒、煙草、WEEDが充満するマンションの一室で育った子供がまともな精神をもてるはずもないだろうな、と今になって思う。
ストレスが溜まると、マンションの非常階段から下に向けてものを投げ捨てていたらしい。(当時、8階に住んでいた)
あと、チャイルド・プレイのあの人形の髪を滅多刺しにして壁に磔にしていた。
自分の髪をハサミで切ったり、剃刀で眉毛を剃り落としたり。
今みると、顕著にストレスからの奇行だと思う。

ネグレクトを受け、酔った両親の喧嘩を見せられ、酔った大人の男達の笑い声や怒声を聞きながら、黙って本をよんで狂いながらも過ごしていた。それでも、祖母が居たから何とかなっていた。

2歳の時、母親に殺されそうになった事がある。
水をはったバスタブに身体を沈められ、自分を抱き締めてくれるはずの腕は真っ直ぐ、この身体を水底に沈めるために伸ばされ、頬を撫でる手は首にきつくきつく宛てがわれていた。
ギリギリと首を絞められながらこの子は 漠然と死んでしまうと思ったのだろう。怖かっただろう。この子は兎にも角にも、諦めが早い子だった。抵抗はしなかった。

そして、私はISHから、この子を護る為に解離、作られた、的確な言葉が分からないけれど…兎も角。

「唯」は、その時初めて「交代」した。
視界は青くて、揺らめいている。首に強い負荷。
このままでは死んでしまう。殺される。そう理解出来た。
水面の向こうに母親。兎に角暴れよう。そう思った。
四肢を懸命にばたつかせた。バスタブを蹴った。沢山蹴った。
祖母がすっ飛んできて、母親を薙ぎ倒して救ってくれた。

祖母に、命を救われた。私は、祖母が大好きだった。

だから、3歳の9月頃、祖母が亡くなった時に全てが悪い方向へ転がっていったんだと思う。


今日はここまで。また次の足跡で。

いいなと思ったら応援しよう!

Y̆̈'sH̲̅O̲̅U̲̅S̲̅E̲̅:唯
支えてくれようとして頂ける事に深い感謝を。