【大内家の野望 新生】 第25話:伊達家討滅戦 〜蝦夷の戦い
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メールマガジン『ビジネス発想源 Special』にて約8年、400回にわたって連載し、AmazonのKindleストアで多く電子書籍化もされている、歴史から経営やマーケティングのヒントを学ぶビジネスコンテンツ『歴史発想源』。
今年7月に新発売となったコーエーテクモゲームスの歴史シミュレーションゲーム『信長の野望 新生』を使って、その第1章「大内二代篇」の状況から天下統一を目指す番外篇「大内家の野望 新生」を連載しています。
▼第25話:伊達家討滅戦 〜蝦夷の戦い
■完全なる天下統一のための、苦渋の決断
拠点の山口館(山口県山口市)から覇を唱えて全国各地をほぼ統一し、最後の敵対勢力である伊達家の伊達輝宗を蝦夷地まで追い詰めた、大内家の若き当主・大内義尊。しかし彼には、伊達家を滅ぼす前にあと一つ、やっておかなければならないことがあった……。
蝦夷地の徳山館(北海道松前町)に伊達家を追い詰め、大内家の勢力図はこのように日本全土を埋め尽くしている。しかし、もう一つ気になる勢力があるよね。そう、越後国(新潟県)と越前国(富山県)の北陸の紫色だ。
ここは長尾景虎、後の「越後の龍」こと上杉謙信の長尾家の勢力だ。長尾家は織田家や武田家などと戦っているかなり前の頃から同盟関係にあり、臣従してくれるようになって北条家や伊達家との決戦にも協力してくれた従順な勢力である。しかし、同盟国を残したままエンディングを迎えても、禍根を残す形になることを以前プレイで知ってしまった。
臣従関係にあると同盟期限がなくなるので、関係を断つなら「破棄」しかない。しかし、同盟関係を一方的に破棄すると、世間的にも不信が募り、家臣の忠誠度が低下するなどの悪影響もある。それに長尾家は当家の発展に長らく尽くしてくれた忠義者だ。心が痛む……。
世間的に不信といっても、天下統一を目の前にして周辺勢力もない。思い切って「破棄」を選ぶと、毛利元就も「長尾家との盟約、もはや無用の長物でござるな」とそっけない。その通りだ。ここは心を鬼にしよう。
良い主従関係にあったが、天下安寧の世のために、同盟破棄の道を選ばせてもらう。許せ、長尾景虎。
それまで「主従関係にある勢力として信用している」として100の友好度で「協調」状態だった長尾景虎が、ついに「裏切り者を恨んでいる」として友好度0の「敵視」状態に。3ヶ月の停戦期間が終わったら、血みどろの決戦が始まることになる。
その停戦期間3ヶ月の間に、伊達家と決着をつけておくべきだ。大内軍の主力は次々に越後制圧に充てるとして、蝦夷地へは戸次鑑連、吉弘鎮理といった九州勢を津軽半島から渡らせることにする。
また徳山館に属する各郡も押さえ込むために、陶隆房隊が函館方面から上陸して、各郡を制圧しながら徳山館を目指す。
蝦夷地に上陸した約18,000の軍勢が、伊達輝宗が籠る徳山館に襲い掛かる。徳山館を守る兵は4000足らず。この兵力差ではもはや城を守れる術がない。今こそ引導を渡す時だ。
そしてついに、伊達家の最後の本拠となった徳山館は大内軍の猛攻に耐えられずに攻め落ちる。蝦夷地も大内家のものとなって、大名としての伊達家はここに滅んだ。
伊達輝宗に最後まで従っていた17名ほどの武将も、伊達輝宗と共にことごとく大内家に降伏することとなった。昨日までは敵だったが、今日からは仲間だ。最後の天下統一事業を一緒に成し遂げていこう。
戦国大名一覧のリストも、いよいよ2つのみに。大内家は193城、武将1120人、最大兵力200万なのに対し、2位の長尾家は13城、武将98人、最大兵力11万と、その規模は大内家の10分の1以下。しかし油断はできない。なぜなら……
例えば全国の武将を一覧表で見てみよう。武勇順に並べるとしたら、井伊直政(武勇101)、飯富昌景(武勇101)、本多忠勝(武勇100)、吉川元春(武勇100)ら大内家の猛者よりも、長尾景虎は武勇107で天下一なのである。長尾家のも武勇97でランクインしており、長尾家にはまだまだ名将が揃っているのだ。
長尾家の支配地を見てみることにしよう。長尾家の支配する城は13城。能登半島は大内家が支配しており、長尾家の最も西にある城は増山城(富山県砺波市)。石川県が大内家で富山県が長尾家といったところ。また飯山城(長野県飯山市)、葛尾城(長野県坂城町)と長野県北部も長尾家が押さえている。
東を見てみると、新発田城(新潟県新発田市)までを長尾家が支配している。佐渡島も押さえていて、まさに現在の新潟県がそのまま長尾家の支配地と言っていい。
■最後の敵対勢力、長尾景虎軍との熾烈な争い
東西に長い長尾領だが、まずは中央の葛尾城から攻めることにする。信州・上州の軍勢約8万を葛尾城へと差し向ける。
さらに東の津川城(新潟県阿賀町)には関東から14万の大軍勢を結集して進軍させる。長尾軍の全軍に匹敵する大軍勢だ。
さっそく長尾家の諸城から次々に兵が動き始めた。城兵を0にしてまで援兵を繰り出す城も。佐渡島からも兵を動員しているようだ。
関東から集められた大内軍は、会津国から国境を超えて続々と津川城に進入。長尾軍も負けじと全軍が津川城に押し寄せる。
津川城を大軍勢で攻めている間、こっそりと西から近畿勢に増山城を攻めさせていたのだが、春日山城(新潟県上越市)の長尾景虎は冷静に増山城への救援に動いた。
ならば東は容赦なく攻めさせてもらおう。津川城に援軍を送って手薄になっている東の新発田城に、伊達家討伐を終えた奥州勢の軍勢76000を向かわせる。
そんな頃、武勇98の名将・高橋統虎が元服を迎えて大内軍に加わる。九州からの股肱・吉弘鎮理の子であり、「歴史発想源」でも「西国無双篇」で主人公として描いた、後に柳河藩初代藩主となる立花宗茂その人である。よろしくね。
さらに真田昌幸の子である武勇99の猛将・真田幸村、宇喜多直家の子で武勇86の宇喜多秀家、毛利元就の末っ子である武勇84の小早川秀包、浅井長政の娘である茶々など、続々と若い世代が元服・髪結を迎えることに。
ここで満を持して、兵力を温存していた本拠・新田金山城(群馬県太田市)の大内義尊本軍13000や、周辺の毛利元就隊14000、弘中方明隊9700らが坂戸城(新潟県南魚沼市)に向けて進軍。
能登半島に控えていた鍋島直茂隊9500も、海を渡って佐渡島の雑太城(新潟県佐渡市)を狙う。南方の守備のために兵を出して、城兵はわずか360しかいないらしい。
西の増山城が激戦状態にある中で、美濃国の諸城から富山城(富山県富山市)にも兵を向ける。
さらには、若狭国あたりから能登半島を通って海路を渡らせ、北条城(新潟県柏崎市)や与板城(新潟県長岡市)にまで兵を向ける。各城を同時に攻められて、長尾軍は上を下への大騒ぎになっている。
全体図。青い丸が大内軍の部隊である。あちこちの城から続々と長尾領へと向かっている様子が分かる。
江戸城(東京都千代田区)をはじめ関東の諸城を見ると、城兵が0の城ばかりだ。もうこの世に敵対勢力は長尾家しかいないのだ。もう城を守る必要もない。全軍が総勢で越後へと集まっていく。そんな中で……
九州で激闘を繰り広げた薩摩国の島津義久、中国地方の覇権を競った安芸国の毛利元就、関東で激突した相模国の北条氏康ら、大内家と激しく争った各地のライバルたちが1581年1月、惜しくも寿命を迎えて天へと旅立った。皆が目指した天下統一の夢、大内家が叶えるぞ。
戦国最強の武神・長尾景虎が春日山城から応援に来ていることで、増山城はなかなか落ちない。緊急修復が実施されて防御力が回復していたりする。しかし容赦なく西から南から兵を送り込んでいく。
18000の兵を率いた柴田勝家が駆けつけたことで形勢は逆転。長尾景虎の奮戦も虚しく、増山城は大内軍の手に落ちた。さすが柴田勝家は北陸が似合う男だぜ。
増山城が落ちたら休む間もなく、さらに隣の富山城にも攻めかかる。柴田勝家隊、浅井長政隊、大谷吉継隊はほとんど兵を消耗しておらず、かなりの大軍だ。
そして、各地の城へ長尾景虎が応援に行っていて留守の本拠地・春日山城を戸次鑑連隊が急襲。城兵はわずか900ほどしかいない。長尾景虎との決戦だ。いよいよ天下統一事業は目の前だ。
【武将名鑑】(25)陶隆房(すえ たかふさ)
中国地方の戦国大名・大内家の若き筆頭家老。主君・大内義隆が「月山富田城の戦い」に大敗して文治政治に傾倒すると、「大寧寺の変」で大内義隆を自害に追い込み、大友家より大内義長を主君に迎え、名を陶晴賢と改める。しかし「厳島の戦い」で毛利元就に大敗し、大内家は滅亡する。
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