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目の前にモノがあるからモノに縛られる
目の前にモノがあると、人間、それを「なんとかしたい」という思いが浮かんできます。欲望、と言いかえても良いかもしれません。とにかく「モノ」が目の前にあるばっかりに、それに囚われて、どうにかせんといかんと考えてしまいませんか。
「どうにかせんといかん」とは思っていても「どうにもならん」場合もあれば「時間がない」場合もあります。「やる気が起きない」ということも。
でも、目の前に「モノがある」と何故か、「どうにかしたい」と思うんですよね。これって不思議だと思いませんか。
確かに何もない部屋・空間にいると、「この状態をキープしよう、いや、したい」と思う感じなんですが、モノがたくさんある部屋にいたときは、「モノがある、どうにかしたい」って感じました。
ある意味、わたし達の心は目の前にあるモノに縛られてしまっている。
そしてモノに心を縛られたわたし達は、そのなんとかしたいと言う欲求から、何故かモノを増やしてしまう方向に心理が働いてしまいます。
例えば、部屋にテレビがあったとします。
テレビをただの箱と捉えられれば、部屋から撤去するとか、手放すとか言う方向に考えると思いますが、テレビをテレビとして「なんとか活用しよう」と考えたなら、次に考えるのは何でしょう?
そうなんです。
これを「どうやって快適に使おうか?」となるわけです。
アンテナ線が足りなければ、線を買いに行かなくてはなりません。電源タップが必要になることも。テレビだけじゃ飽き足らず、ブルーレイディスクレコーダが必要かもしれない。テレビゲームもやりたかったら、ゲーム機も必要だ。
テレビを地べたに置いてみると、体勢が悪くて快適に見ることができない。だったら、テレビ台も導入しなきゃ。立って見てるわけにも行かないから、椅子を用意しよう。椅子があるなら、テーブルも必要だよね・・・・。
そう。
今回は「テレビが目の前にあったら」を考えてみたら、それをなんとかしようと考えたら、上で挙げたような「付帯設備」いわゆる「モノ」が必要になってくるんです。
これがモノに縛られると言うことなのかなって、思います。
モノを意識し始めると、モノの連鎖が始まります。
それが悪いとは言いませんが、そのモノを中心に環境を整えようとすると、いつしかそのモノに縛られてしまい、それを「生かそうとする」方向にばかり考えが行ってしまいます。
モノを減らすには、モノを活用する方向から降りることも必要になってきます。この辺のバランスというか、傾向からどうやって離れるか、ということも必要になってくるんです。
まぁ、モノを減らすことが必要ないのなら、別にそこまで、やらなくてもいいんですけどね。
目の前にあるモノ。わたし達はそれに縛られる。
それでは、また。
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