捨てられないもの、7冊のスケジュール帳
一昨日、捨てられないものについてnoteを書いた。noteには、デパコスとかのちょっとしたいい紙袋、ディズニーランドやデパ地下のお菓子の缶、パソコンやiPhoneの収納としても使えそうな硬めの箱が捨てられないと書いた。
でも、実はもっとあった。
というのも、今日いつもよりちょっとだけ入念に掃除をしていたんだけど。入念といっても、見えるところの埃を除菌シートで拭きとる程度の掃除。本棚の、まだ本が置いてない場所とか、テレビ台の周辺とか、そういうところ。そういうところを掃除していたら、見つけてしまったのだ。
捨てられないもの。それは、過去のスケジュール帳兼日記帳だ。私は、高校生から大学生まで紙のスケジュール帳を使っていた。今は、すぐに見れることと書き換えが便利だからスマホのスケジュールアプリを使っている。
高校の3年間と、大学の4年間、つまりは計7冊分のスケジュール帳がある。しかも、そのスケジュール帳はマンスリーページとウィークリーページの両方があって、マンスリーページには予定を、一方でウィークリーページは3行日記のように使っていた。
といっても、毎日noteのように毎日書いていたわけじゃない。書いたり書かなかったり、ほんとうに適当だった。勉強も部活も、好きなことも、ひとつまみの恋愛もあって、そのときの私はなかなかに忙しかったから。嫌なことがあったときは「無理!!!」と強烈な筆圧で書いて終了しただけのところもあるし、「あのときの私は~~で、いやでも〇〇ちゃんが~~で、とはいえ、~~も」みたいなこじれた出来事を分析するように事細かに書いてあるところもある。高校1年生のときの私も、大学2年生のときの私も、7年間分の私がそこここに生きているなあと思う。
そんなスケジュール帳を、家を出て一人暮らしを始めてから、ずっと持っている。実家に置いておいて誰かに見られたくもないし、かといって一緒に引っ越しを重ねるなかで捨てるなんてこともできなくて。
しかしながら、そうなると私はこのスケジュール帳をいつまで持っているのだろうか? 結婚するまで? おばあちゃんになるまで? 棺にいれてもらう? いつまで7冊と生きていくんだろう。