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書かなければならないものがあることで、気づくこと

今、ごごごっと頑張って書いているものが3つほどある。

ひとつは、先日行われた姉の結婚式のエッセイ。これはかなり超大作になりそうで、手を付け始めてしまえば勢いよく書けるのだけど、一度離脱してしまうと再びその勢いがなかなかつかない。困った。だから今、下書きの肥やしになっている。困った。

もうひとつは、noteのコンテストに応募するためのエッセイ。こちらは正直まだ何も書けていない。素材みたいな、欠片みたいなのがふわふわと私の中で浮いていて、それらを「こんにゃろめ」と掴まえてこねる必要がある。そしてこれはコンテストだから締切が決められていて、早急に手をつけなければいけない制作。困った。

そして最後は、#かくつなぐめぐる 通称「かつめ」の9月分エッセイだ。毎月、決められた2ワードをエッセイの最初と終わりに入れなければならないというルールがあるのだけれど、今月はこれにとても苦しめられている(そしてきっとみんなもそうだと信じている……)。どう、決められたワードを使うのか。どんなふうに、決められたワードを自分のエッセイの中に落としこむのか。まだ全然決まっていない。困った。


ここまで書いてみて、書くことは誰にも強制されていないのになあと思った。

だけど、誰にも強制されていないのに私は書いてしまう。書きたくなってしまう。言葉を繋げて、そのときの風景を説明して、そのときの私の気持ちを文字にする。誰に「書け」と言われたわけでもないのに書いてしまう。

だからやっぱり、「書く」ことは私が選びとったことだと実感する。

言われてないのにやってしまう。締切もあるけれど、きっと締切を過ぎたとしても誰も私を咎めたりしない。ただただ締切が過ぎた、それだけだ。だからその締切に強制力をもたせるのも私自身。締切をすぎる前に書きあげなきゃならない、そうやって自分を鼓舞する。

きっと「書く」ってこういうことだ。しなくていい人はまったくしないだろうし、なくてもいいもの。だけど私はそうじゃない。「書きたい」と思うし、「書かずにはいられない」と思う。

だって、それが私が選び取ったものだから。

”終わりよければすべてよし” になれましたか?もし、そうだったら嬉しいなあ。あなたの1日を彩れたサポートは、私の1日を鮮やかにできるよう、大好きな本に使わせていただければと思います。