書くことを決めるのは自分
私は、自画自賛するために自分が書いた過去のnoteをよく読み返すのだけど、そのたびに「けっこう面白いな」と思っている。
そしてそのことを、以前受けていたライティング講座、バドンズの学校の懇親会で私は、講師である古賀文健さんに言った。
「自分が書いたnoteを読んで、けっこういいな私、とか思うんですよね」と。
するも古賀さんは「それはいいね。うん、たなべさんはそう思っているほうがいいね」と言ってくださった。いや、もしかしたら厳密には違う言い方をされたかもしれないけれど、私が覚えてる感じだとこんなふうな言い方をしてくださった。
私は、それが無性に嬉しかったのだ。
バドンズの学校の講義の中で「書くことを決めるのは自分」というお話をされたときがあった。
それを聞いて私は、自分の中に何かがストンと落ちる音を聞いた。 “ ピタリ ” とハマるというよりは、 “ スコン ” とハマるといった表現のほうがしっくりくる。
“ ピタリ ” も、 “ スコン ” も、似たような意味かもしれないんだけど、なんていうんだろう。
こう、パズルのピースがパチっ! とはまるのが “ ピタリ ” だとしたら、テトリスの縦に長いピースが細い隙間にすーっと入って、5段ぐらいが一気に消えるときのすーっと入っていく感じが “ スコン ”。
ちょっといいジュエリーやさんで買い物をすると、箱も蓋がほぼほぼピッタリで、スーッと開けるタイプのときがあると思うんだけど、箱をしまうときに蓋をスーッと押し込むときの感じが “ スコン ”。
と、何を伝えたくなってきてるのかわからなくなっていると思うんだけど、とにかく、私が講義の中でされたその「書くことを決めるのは自分」という言葉は、ぽっかり空いていた自分の心の隙間の形にぴったりハマる形で “ スコン ” と落ちていったのだ。
書くことを決めるのは自分。
書きたいと決めるのは自分。
私は、自分の過去のnoteを読み返して、これは自分が決めた道であり、自分で決めた選択なのだと改めて思うのだ。