愛されるためには、まず先に愛する必要があるということ
アスリートや1つの道を究めた人にときどき使われる「〇〇を愛し、〇〇から愛された誰々」って常套句は、”好き”の本質的なことを教えてくれているなと思う。
つまり、愛されるためには、まず先に愛する必要があるということ。
社会人になって3年。「これが社会人になったってことか」と一番感じたのは、これまでの友達と会うためには約束しなきゃならないと気づいたときだ。
関係を続けるためには約束が必要で、約束を取り付けるためにはなんとなく連絡を絶やさないほうがいい。でなければ、自然と関係は疎遠になってしまうのだと3年でわかった。
小学生も中学生も高校生も、大学生のときも、約束しなくても学校に行けば友達に会えていたけど、それは学生の特権だったのだ。学校に行けばみんながいた。約束しなくても、学校が集合場所だった。
でもそのときは、それが学生の特権だったなんて思いもしなかった。だって、それが当たり前だったから。無意識中の無意識、当然だったから。
社会人になってから、なんとなく「忙しいだろうなあ」と自分で勝手に思って、連絡を怠った友達が何人かいる。
私はその人たちのファンだったし、その人たちといつまでも、これからも話したいと思っていた。でも、自分で自分を抑制した結果、「好き」なのに、疎遠になってしまったのだ。
ああ、悲しいかな、と嘆こうとして私はハッとした。
「ちょっと待って。
忙しい? って私聞いてなくない? その子に連絡もしないで、私が勝手に自己完結した忙しいって私の手垢にまみれすぎてない……!?」
そう気づいて自分が恥ずかしくなった。ぐるぐるぐるぐる自分の中でだけ巡っていた気持ち。その人の声を聞かずして、その人のことを思っているフリだけしていた。
だから、すぐに連絡してみた。ダメかもしれないけど、きっとダメじゃない気もした。
「久しぶり~! なんか久々に会いたいと思って!」
数日後、「久しぶり~♡ 私も会いたいと思ってた!」との連絡がスマホの通知画面に出てきた。
ああ、なんだ。約束ってこんなに簡単だったんだ、と思った。それ以来その人とは、学生の頃と同じぐらいとまではいかないにしても、もう一度会える関係になっている。嬉しくて、ときどき泣きそうになる。
好きな人には、先に自分から「好きだ」「会いたい」と言ったほうがいい。だって、そのことを相手は知る由もない。相手が知る術はただひとつ。
私が言うってだけだ。
そして、それは一つの道を究めるときにも言える。
私は書くことが好きだから、書けるようになりたいと思う。たとえ、「書く」が私のことを好きになってくれるかわからなくても、それでも私は書くことを好きだと言い続けるし、そうであり続けたい。
さっき、日曜日の初耳学で浅田真央ちゃんは「滑ることがとにかく好きだった」と言っていた。「もちろんそれは今でも変わっていないです」と。
真央ちゃんのその気持ちがスケートに伝わったかはわからない。でも、「好きだ」と言い続けること、思い続けていたからこそこれまでの結果があるのだと思う。
友達も、恋人も、家族も、好きなものも、まずは先に自分が好きになる。自分から「好きだ」と伝える。
私はそれを怠りたくないな、と好きな友達を前にして思う。
”終わりよければすべてよし” になれましたか?もし、そうだったら嬉しいなあ。あなたの1日を彩れたサポートは、私の1日を鮮やかにできるよう、大好きな本に使わせていただければと思います。