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その本を読めないのは、私が未熟だから

ちょうど今、通勤中に読んでいる本がなかなか読み進まない。

それは、私の寝起きが悪くて電車の中でうつらうつらしてしまっているから物理的に読んでいないのもそうだし、通勤時間がちょうど人がたくさんで本を広げられない、という理由もある。

だけど実は、本がとても読みづらいというのもある。

読んでいるはずなのに、もう一度前のページを読まなないと内容が入ってこなかったり、一瞬でもさらっと読みとばしてしまうと、今どこを、何を読んでいるのかわからなくなってしまうような。そんな感じ。

小説ではあるけれど、小説ではないようなそんな本。最近、CDのジャケ写買いのように本を買うとそういう本であることが多い。

例えば、川上未映子さんの「先端で、さすわさされるわそらええわ」とか。

太田靖久さんの「ののの」とか。

私からしたら、どれも読みづらかった。

でも、と思う。読みづらいのは、ほんとうに本のせいだけなのだろうか?

きっと違う。きっと、私がこの本を「読める」自分じゃないんだと思う。それは年齢もそうだし、置かれている立場・状況もそうだし、私が本を理解できるまでの考えも言葉も持っていないのだと思う。

そんな私が少し悲しくて、もったいなくて、私はまだまだだなあと思う。

それでも、川上未映子さんの本も、太田靖久さんの本も読み切れたから今回も、時間をかけてもいいから読み切りたいと思う。

”終わりよければすべてよし” になれましたか?もし、そうだったら嬉しいなあ。あなたの1日を彩れたサポートは、私の1日を鮮やかにできるよう、大好きな本に使わせていただければと思います。