年を重ねるということは、忘れてしまうことなんだろうか
「台風8号が上陸していますね、明日明後日は〜」
ニュースがこぞってそいつの行方を報道しているとき私は、台風とはなんとタイムリーな、と思っていた。
ちょうど8月からスタートしたエッセイマガジン『かく、つなぐ、めぐる。』の初回キーワードが「台風」だったから。
執筆後記……というほどではないけれど、「Tシャツ」と「台風」というキーワードで書いた私のエッセイについてちょっと残しておきたいと思う。
このベタベタと暑い今、「Tシャツ」と「台風」というキーワードをもらってすぐに夏を連想した。そこから夏を連想しないのは野暮だろうなとすら思っていた。
でも、毎日外に出て呼吸するたび肺の温度が5℃はあがりそうな暑さのことだけを書くのはもったいないなあ、とも思っていた。
だから、「温度感」が私の裏テーマだった(実はね笑)。
実際にこのエッセイを書いていたときも、外はぎらぎらした太陽で陽炎が出そうな勢いだったけど、私はそんなこと関係のないクーラーが効いた部屋の中にいた。
暑さ対策のためだし、熱中症対策のためなんだけど、でも、あの頃の私はもっと夏を楽しんでいたなあとも、書いていて思った。
暑いけど、家にいるよりどこかに出かけたかったし、プールなんてそりゃあ楽しさ100倍の場所だし、炎天下の中で食べるアイスは至極格別だった。
でも、今はひんやりとした部屋の中でパソコンに向かう。
年を重ねるということは、忘れてしまうことなんだろうか。今よりずっとずっと下に重ねてきた小学生の私を、忘れてしまうことなんだろうか。
BBQに行きたいなあと思っていたのも大学生までだったし、海が楽しいと思っていたのは中学生までだった。片付けが面倒くさい、汗をかきたくない、こんな暑いのにわざわざ外に出たくない。悲しいかな、〜ない、が語尾についた言葉ばかりが口癖になってしまったようにも思う。
そしてそんな今と昔の自分の比較が、大きいおばあちゃんと小学生の私と同じだった。
夏をもっと味わいたいなあ。ひと昔前に流行ったナイトプールに今更行ってもいいし、キャンプをしてみてもいい。晴れた空の下、音楽フェスに行くでもいい。
今しかできないことは、必ずある。毎年ある同じイベントだったとしても、そこに行く私は毎年変わっている。
だから今の私は、もっとちゃんと夏をしないといけない。「いい夏」をしないといけない気がするのだ。