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止まらない怒り

「死んじゃった後が慌ただしくて大変なのよ、通夜、葬儀、火葬、それが終わった後はもぬけの殻よ。」 と以前誰かからは聞いていたけれど、私が日本滞在中にという配慮で葬儀を母が亡くなった翌々日に行うことになりました。 火葬を終え、実家へ帰るまでは「悲しみ」を味わう間もありませんでした。

「悲しい」のだけれど、その感情を横においてこの母の一大イベントを成功させなければならない。 その一心。

それが終わって、実家に帰り、飛行機に乗って自分の家に帰り、置いてけぼりにしていた娘たちとハグをして泣いて、、、

それでもまだ頭の中はなんだか「ぽわ〜ん」とした夢でも見ているような部分があった。 そして湧き出る疑問の数々。

葬儀の花はあの色合いで良かったのか? (母、生花の先生)

本当に母は私が帰ってきたことを喜んでくれていたのか?

母は父を許したのか? (生前の夫婦関係最悪でした。)

父への愚痴が書き綴られた日記の類を父には見せずに全部私が持ってきてしまったけれど、本当は母はこれを父に読んでもらいたかったのか?

死ぬ間際の母はどんな気持ちだったのか?

本当は死にたくなかったのじゃないか?

死んだ後、人の魂は本当はどうなっちゃうの?

どうして母はあんな風に死ななければならなかったの?

母は2012年から悪性リンパ腫で治療を続けていました。 (私はガンと闘うという言葉がしっくりとこない。) 母がガン宣告された当初、私はガンを憎んでいました。 でも6年かけて母の治療を続ける姿を見て一つだけ声を大きくして言いたいことがあります。

ガンは母を殺しませんでした。 母を殺したのは化学療法です。

それでも、「治療を続けましょう。」「これをすれば良くなります。」「頑張って元気になりましょう。」という医者の言葉を信じて、母は1日でも長く私たちと一緒にいたくて化学療法という選択をしました。

ガンを発病すると、本当に多くの方が悲しんでくださり、心配してくださり、たくさんのお声がけをいただきます。 そしてたくさんの「これがガンに効くんだって。」というお知恵をいただきます。

一人一人みんながガンを患った人のことを思い、すこしでも役に立てることがあれば!の一心でそうしてくださるのだと思います。

でも、そのあふれんばかりの情報にガンを患い、死期が迫った患者はおろおろ振り回されるのです。

みんな生きたい。 死はあまりにも大きすぎる変化。 引っ越しや転職と違い、今まで体験したことのない人生の結末を迎えるという変化。 これを本当に心から喜んで受け入れられる人はそう多くはないと思います。

20年、30年前から「私は長生きしたくない。」と言っていた母でさえ自分の死を遠ざけようと必死でした。

私はもともと化学療法には反対でした。 でも、それを選択した母に異を唱えませんでした。 もう、ギリギリのところで笑顔で「治療頑張る。」と言った母を、人生の決断をした母の意思を尊重しようと思ったからです。

1度目の治療は功を奏しました。 治療の後も「元どおり」にはならなかったけれど、髪もまた生え、普通の暮らしができるようになりました。 でも再発、再々発の治療は著しく母を破壊していきました。

度重なる化学療法のせいで母の骨髄は破壊され、再生不可能になり、骨髄異型症候群という恐ろしい病をひきおこしたのです。

もう70をすぎたもともと小柄で痩せっぽちで体力のない母に一体彼女の主治医は何を言い、何をしてくれたんだ?! 

私の母を返して!

ガンで死んだ方がよっぽど母は幸せだったのではないだろうか?

どうして、もっと強く化学療法を反対しなかったのだろう。 いい子ヅラしていた自分にもはらわたが煮え繰り返るほど腹が立ちます。

これが私の心の奥底にあるあふれんばかりの怒りです。





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Mieko Horikoshi
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