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希死念慮と一緒に就活は無理ゲー
私はこのまま順当に単位をとれれば(できるか怪しいが)26卒になる。
世の26卒といえばきっと就活真っ只中、もしくはすでに内定をもらって就活を終えている人がほとんどだろう。
一方私は最後にちゃんとした就職活動をしたのが去年の6月。
もちろんノー内定である。
とはいえ当初から就活モチベがないわけではなかった。
大学2年生までは「絶対に20代のうちに年収1000万稼ぐ!」という謎のモチベと向上心があったので、大学1年生から長期インターンをしていた。
インターン先でも上記のモチベーションによってめちゃくちゃシフトに入ってそこそこいい結果を出していた。
そのためインターン先の人や友人からも「くらながさんは意識高いしきっと就活も成功して将来いい企業に就職するんだろう」と思われていた。
実際そのような言葉をかけられていた。
しかし蓋を開けてみれば、就活に本腰を入ればければならない大学3年生を間近にして、就活に対するモチベーションが完全に失われてしまった。
今思えば常日頃希死念慮に苛まれていた人間が将来に対して向上心を持っていたほうが不思議である。
それでもモチベーションと向上心の残り火で約3ヶ月間なんとか就職活動を行っていたが、とある一件から完全に戦意喪失してしまった。
そして現在に至るまでノー内定ノー就活ライフを送っている。
このままではニートまっしぐらである。
幸い両親は私の進路にちょうどよい無関心さと寛容さを持ち合わせているのでニートになってもしばらくは問題ないが、親のスネをいつまでもかじれるほど親は若くないし経済力もない。
そこで今回は自分が運良く(悪く?)数年以内に自死しなかった場合に備えて、「自分のどのような点が就活に向いていないのか」というなんとも後ろ向きな自己分析とともに、今後私はどうすれば自立して生きられるかというキャリアプランについて考えていきたい。
私が就活に向いていない理由
考えれば考えるほど私は就活に向いていない。
「社会不適合者」「勉強しかできない発達障害者が一番厄介」「学歴厨の成れの果て」とはまさに私のことである。
せめて幼少期にスポーツを習い協調性を身に着けていればと思うが、そもそも団体スポーツができる人間ならこんなことにはなっていないはずだ。
以下私が就活に向いていない理由を考察していく。
理由①希死念慮持ちだから
就活をするうえで「自分が10年後、20年後どうなっていたいか?」を考えるのは重要なことなのだろう。
自分のライフプランがある程度決まればそこから逆算して会社を選べばいいのだろうか。
私といえば、はるか昔まで遡れば小学2年生のときから希死念慮があったので、かれこれ17年以上ともに生きていることになる。
希死念慮が強いときはとにかく「いますぐこの世からフェードアウトしたい」という思いでいっぱいになる。
こんな状態でライフプランなどたてられるわけがない。
なんてったって「そんなの実現しなくていいから今すぐ死なせてくれ」といのが本音である。
ライフプランがたてられなければこの先何十年と続く社会人生活を始めようという気になるはずがない。
今まではかろうじて「20代のうちに1000万稼ぎたい」「父親の年収(まあ高い)を超えたい」というぼんやりとした目標が子どもの頃から大学2年生まであった。
だからそれが自分の心からの本望だと信じ込んで、自分を洗脳してなんとかつらい受験勉強もしんどいインターンも頑張ってきた。
インターン先の上司は私のこのようなうっすい向上心を本気で信じて私を買ってくれていた、今思えばなんとも申し訳ない気持ちでいっぱいである。
しかしある時、「何でわたしはこれを目標にしたのか」「本気でこれを叶えたいのか」がわからなくなってしまった。
つらい思いをしてまで叶えたいと思えなくなってしまった、叶えた自分が想像できないし、叶えたところで満たされないと感じた。
自分で自分をごまかすことに限界を迎えてしまった。
そもそも希死念慮がずーっとあって「今この瞬間死にたい」人が数年先の未来に希望や目標をもてるはずないと悟ってしまった。
そこからは希死念慮にとらわれ将来に希望がもてない日々が続いている。
したがって、「今すぐ死にたい奴に就活なんかできるか」というマインドがすっかりできあがってしまった。
理由②集団の中で発言できないから
就職活動につきものなのがグループディスカッションである。
私はなににしろこれが苦手である。
昔からどんなグループの中でも一番発言しないのは決まって私であった。
だから、グルディスをしても、いけすかない意識高い系の進行係に「くらながさんはなにか意見はありますか?」と聞かれてしまう。
私はこれは非常に屈辱的で苦手である。
だってこの人たち、私が発言できていないのを気遣って私に話を振っているのではないから。
「発言が少ない人に話を振ったら自分のポイントになるから」私に話を振っている、つまり私はポイント稼ぎのダシにされているわけだ。
自分が至らないせいでいけ好かないやつの点数稼ぎに使われる、こんなに屈辱的なことはない。
私は某人気企業のグループディスカッションで、何度目かのこの屈辱に遭遇してしまい、気分が悪くなってグルディスを途中退出して選考を辞退したことがある。
その後母親に電話をかけて大号泣までしている。
「グルディスが苦手」という就活生は多いだろうが、本当に嫌すぎで大号泣までした就活生はどれほどいるだろうか?
とにかくそれだけ私はグルディスに向いていないのである。
この一件から私は就職活動全般がトラウマになってしまい、完全に就職活動から離脱してしまった。
「グルディスだけ」が苦手ならまだ避けられるが「就職活動」「就活生」に対して恐怖を抱くようになってしまったのでおしまいである。
理由③やりたいこと・やりたくないことが微塵もないから
広告業界を志望していた友達は「いつか自分がつくった広告を街頭ビジョンで流したい」と語っていた。
また別の友人は「文化祭の準備期間のワクワク感が好き」という理由でイベント系の会社を志望していた。
また、彼女たちの中には「第一志望企業」という存在があったようで、そこに受からないと悔しそうだった。
羨ましい限りである。
そんなもの何一つとしてない。
私には「ここに受かりたい」という企業がないので、どこの企業からお祈りされてもすべて同じように感じる。
強いて言うなら音楽や映画や本は好きだが、高倍率のエンタメ業界の就職戦争に飛び込もうという気持ちは微塵も湧いてこない。
興味のある業界・職種も全く浮かんでこない。
正直全部つまらなさそうだし、「こういう会社で働きたい」「こういう仕事がしたい」などなにもない。
また、よく「やりたいことがないならやりたくないことから考えろ」と言われるがそれもないのである。
いわゆる「3K」や「ブラック企業」でも良いのかと言われれば流石にそこまでこだわりがないわけでもないのだが、それにしても「なんでもいい」のである。
営業が取り立てて嫌というわけでも、全国転勤が絶対に嫌というわけでも、土日休みがいいというわけでもない。
休みがめちゃくちゃ欲しいというわけでもない、そもそも1日だって労働したくないし。
よく「就活全然してんなかったけど〇〇を意識したらこんな私でも内定取れた!」と言っている人がいるが、そもそもその次元にすら立てていない。
なにせエントリーシートを出す基準がもはやわからないのだ。
3ヶ月だけ行った就活では、「26卒はとりあえずここを出しとけ」と就活系インフルエンサーが言う企業にそのまま出していた。
そのインフルエンサーが羅列する企業の中ですら「働きたい」「働きたくない」の違いが私にはまったくなかった。
このように私は「軸」が全く定まらないので、就活もなにを基準に動いたらいいのか全くわからないのだ。
大学以後の進路はわかりやすい優劣がつかず指針がない
大学受験まではよかった。
「〇〇高校に入るなんですごい」はその県に住む人ならほとんど誰でも同じように理解できたから、みんなが褒めてくれた。
「〇〇大学に行くなんですごい」は日本に住む人ならほとんど誰でも同じように理解できたから、みんなが褒めてくれた。
出身高校、在籍大学なら、誰にとっても優劣がわかりやすいから、親族の中で一番になって、親族の誰からも私が一番優秀と思われるのはいとも容易いことだった。
だから「誰からもすごいと思われる自分」を目指してひたむきに頑張ることができ、実際結果も残してきた。
人と比較したうえで一番にならないと気がすまなかった私にとって、学歴という指標は非常にありがたいものだった。
しかし、就職は違う。
人にとって「すごい」の基準が違いすぎるのだ。
「地元の有名企業」をすごいと思う人もいれば、「東京のメガベンチャー」をすごいと思う人もいる。
「ホワイトな労働環境」をすごいと思う人もいれば、「ブラックだけと手取りが多い」をすごいと思う人もいる。
「日本の大企業」をすごいと思う人もいれば、「外資の有名企業」をすごいと思う人もいる。
「家族との時間が沢山ある」をすごいと思う人もいれば、「年収が多い」をすごいと思う人もいる。
人の数だけ優劣の基準が違って、みんなから「すごい」と思われるのは無理だ。
私の所属するコミュニティの「すごい」と私の親の所属するコミュニティの「すごい」は明確に違っていて、どちらも満たすことなんてできない。
そうなってきたら、私にはもうなにを目指せば良いのかわからない。
「みんなからのすごい」がない世界で、何を基準に頑張れば良いのか、大学受験を終えてこの年になるまで誰も教えてくれなかった。
どうすれば自立して生きられるか?
そんな私だが、まあなんとも悲しいことに自死する勇気を持ち合わせていないのであと何年かは生きなければいけないだろう。
その場合、現実問題として身の振り方を考えていかなければならない。
今のところ以下の案が浮かんでいる。
案①この世からバイバイ
本命はこれ、競馬なら1点買いしたいところである。
バイバイすればすべての悩み・わずらわしさから解放される。
なんとも甘美な香りがする。
とはいえ「生きるのつらい死ぬのもこわい」というのが正直なところである。
また、私にも「親を悲しませたくない」という気持ちはある。
したがって実現性は極めて低いというのがやるせない。
今流行りのこの動画はまさにそんな私の胸中を表している。
もうおどるしかない!
案②ツヨツヨの資格を取る
2番目にしてこれが最も現実的な気がしている。
なんせ私は頭だけは回り勉強だけはできるのだ。
士業レベルのツヨツヨの資格をとれば、就活が壊滅的でも食いっぱぐれることはないだろう。
問題はそれだけの難関資格を取るモチベーションを保つことができるかどうかだ。
この点に関しては意識高かった時代に読み漁ったビジネス本や自己啓発本の知識を活かしてうまく自分を操ることができればなんとかなるのではないかと思わなくもない。
案③海外に逃亡
留学とかワーホリしたいなーという思いは昔から漠然とある。
また、語学もある程度はできる。
そのため、海外をフラフラしたり、海外で語学力を身に付けてそれを基に就職したりするなども考えられるだろう。
この場合の懸念点は、精神疾患をもちながら身寄りのない海外でまともに暮らせるのか?という点である。
案④学生生活を引き伸ばして無理やり就活する
私の所属するゼミの教授は神のように寛大で優しいので、「就活がうまくいってないならゼミの単位をうまく調節してあと2年大学に通い、1年間はゼミだけでいい」ように取り計らってくれるらしい。
ゼミとバイト以外にすることがなければ、流石に就活もできるかもしれない。
この場合、懸念点は学費である。
実際親にこの話を軽くしてもあまりいい反応は得られなかった。
案⑤ストレートに卒業してゆるふわバイトor派遣労働のニート
親は「地元に帰ってきたら?」「まあバイトや派遣もあるし」などと事あるごとに口にしている。
とても娘を就職にやたらと強いのだけが売りな大学に送り出したとは思えない発言だが、なにせ私は自分の意志がないため「親がいいならいいか」と思わなくもない。
この場合懸念点は「親と同居したくない」「将来一人で親の介護をするのは嫌だ」という点だろうか。
やはりニートは数年以内で終わらせて自立する必要はある、まあ数年先も生きるなら。
おわりに
正直、案①~⑤すべて実行する気力が湧かないので完全に詰んでいる。
文章を読み返して「まあなんとも甘ったれているイヤな奴だなこいつは」と自分に呆れてしまった。
今からでも入れる保険があれば教えて下さい(訳:何かよりよい打開策がございましたらご教示いただけますと幸いです)