もう、恋愛なんてするもんか!
一年前、大層心を削る恋愛をした。その人のことが好きで、特別で、甘えて、わかって欲しくて、きっと執着もしていたのだと思う。
たった一度の「あぁ、この人は私の味方ではないのかもしれない」という疑念を振り払いたくて、自分でも気づかないうちに彼のことを試していたこともあったかもしれない。
それまで、私は人は話し合えば分かり合えるものだと信じて疑わなかった。でも、心を尽くして話をしても私の伝えたいことはなかなか届かなかった。「気持ち」や「心」などという、ぼんやりとして曖昧なものを、決して答え合わせのできないものを説明する方もされる方も疲れ果てた時には、私たちはお互いに十分過ぎるほど傷つけて、傷ついていた。
さよならをしてから一年と少しが過ぎた。新しい恋に前向きな気持ちと、恋愛なんぞ二度とするもんか!あんな思いはもう御免だ!という気持ちがある。
そして、心のどこかで今はまだその時ではないと感じている。だけれども、そういう時に限って人から好かれてしまったりして。応えられない恋に申し訳ない傍ら、実りがなさそうな人を気になってしまったり、何が何やら。
人間、自由に楽しく生きてると自ずと人が集まってくるというけれどまさにそんな感じだ。私の心はいま、かつてなく自由で穏やかなはずなのに。
しかし己のものであれ、向けられるものであれ、恋情というものは人の心ををかき乱す。
私がなんとなく気になる人をKさん、なんだか想いを寄せられている感じがする人をCさんとしよう。Kさんとはもう一年くらいメッセージのやり取りをしている。文量が多いので大体5日に一度くらいお互いに返信をしている。そのくらいがちょうどいい。でも、対面ではほとんど話したことがない。2人で出かけたこともない。私は恋をすると本当に奥手で自分から行動を起こすというのがめっぽう苦手だ。一方Cさんとは数ヶ月前に共通の知人を通して知り合った。特別な気持ちがあったわけでもないので気軽な気持ちでインスタのストーリーにコメントをし、やりとりが始まった。その流れで電話もした。
年齢も年齢なのでこの先一緒に歳を重ねた時をなんとなく想像してみる。もしくは付き合ったらどうなるだろう?と妄想してみる。妄想なので良いことしか起こらない。全然参考にならない。
あるいは、今まであった少し引っかかるところを拡大してみる。この雰囲気は私にはあまり気がないのかな。なんでその言い方をするんだろう?エトセトラエトセトラ。
そうしてるうちに、私は相手に対して何かを期待しているのだ、と気づいた。あるいはこうあって欲しい、という型にムギュッと嵌めようとしている。恋愛対象というレンズを通して見えたそれらは私の心も縛っていく。勝手に作られた理想型に押し込めようとして、でももちろん人間そんなに単純じゃないので(そもそもまだよく知りもしないのに)スライムのようにはみ出るそれにイライラして落胆して、これではまるで一人相撲だ。どんどん窮屈な気持ちになる。せっかく手に入れた安寧を己の手で壊してどうするのだ。
だから、辞めた。恋愛をするのをやめる。
今、私は一人でいることに満ち足りていて、それがとても心地良いのだ。そして、それに慣れる必要がある。それが身につくまで。自分自身の満たし方を知って、己で己を幸せにするために。
何人かで花火を見に行った時、一緒にいた数人が言った。「あぁ、恋人が隣にいたら最高だったのに。相手がいればなぁ」
今までの私ならきっと同じように思っていた。まだ見ぬ恋人を横に思い描いて、きれいな花火に少しの残念さを添えていた。
でも、その日は違った。私は私と一緒に花火を見た。まだ見ぬ誰かを恋しく思うことなく、ストレートに「わぁ!綺麗な花火だなぁ」と、破裂音に心臓を震わせた私に出会った時、それがとても誇らしくて、今を生きるとはこういうことか、と思った。
好きな人と一緒に美しいものを見る。それはそれで素晴らしい。ありがたいことだ。でも、今一人ならその喜びはその時にとっておけば良いではないか。ないものねだりの妄想をして、羨ましがったり寂しがったりする虚しさを自分で作り出すことはないのだ。だって今そこに私の心を満たすものはちゃんと在るのだから。
でもね、そんなことを言いながら、実はもう滑り落ちかけている恋がある。認めたくないけれどなんとなく気づいてる。仕方がないから「おーい、ゆっくりだぞー!ゆっくり降りてくるんだぞー!」なんて言いながら、とにかく今ある私の心を受け止めるしかないのだ。満たしてやるしかないのだ。
「別れても3ヶ月で前の恋人のことは忘れるよ」と言った友達に、「私は一年たってもまだ少し引きずってるよ」と言ったら「でもいつか恋に落ちるね。そしたら忘れられるよ」と言われた。確かにね。だって落とし穴のように不意に落ちてしまうのが恋なのだから。
そしてその言葉に私は救われたのだ。「傷ついた過去も、許せない自分も、救われる日がちゃんとくるよ」と言われたようで。