米津玄師の健全なる精神は、その健全なる肉体に
「米津玄師の歌詞を因数分解して分かったこと」<第17章>
*プロローグと第1章〜16章は下記マガジンでご覧ください。
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会ったこともない人物に対して勝手に思い描くイメージは、思いのほか細部まで精巧に具象化されているものだ。そのイメージが新たな情報によって更新されるたびに、その人物像はより強固なものになっていく。
だが、自分の理想や偏見というフィルターは強力なもので、実像は往々にして都合よく歪められているものだ。
米津玄師はスポーツと無縁?
米津玄師がランニングを日課にしてると知った時、さらに筋トレをしている、サッカー鑑賞に夢中と言う情報に触れるたび、「米津はスポーツと無縁」と言う思い込みに、ピキッ、ピキッとヒビが入ったが、そのイメージは簡単には砕け散らなかった。
彼が歌詞で「スポーツ」関連のワードを用いているのはわずか6曲。それもバスケが2曲(moonlight/ララバイさよなら)と、野球用語が3曲(しとど晴天大迷惑/リビングデッドユース/undercover)。この2種目だけである。Loserで使用している”ロスタイム”はどの種目かは限定できない。
そして、これらのワードは全て比喩であり実践的なスポーツの情景を歌っているわけではない。
逆に明確に「スポーツ」をテーマとした2019年リリースの「馬と鹿」には、ラグビー用語はおろか、スポーツ関連の言葉はひとつも使われていない。
にも関わらず、この楽曲には噎せ返るような男の汗が匂い、骨太なエネルギーが充満するスポーツのリアリティがある。
肉体と精神の密なる関係
いまだに彼のランニング姿を想像するのは難しいが、以前のインタビューではほぼ毎日1時間走っていると言っていた。男の足ならゆっくり走っても9〜10Kmの距離だ。
そのきっかけを、長く引きこもっていた時期からようやく抜け出した2013年のインタビューでこう語っている。
「まず身体的に健康になろうって思ったんですよね。やっぱり心と体って対をなしている。(中略)肉体的に健康でない状態は、絶対に心にも影響するもので。そのバランスが欠けた状態で生きていたツケみたいなものを感じていて…」
同時期に出演したラジオでは「走った後の”やったった感”がすごい」と笑っていた。
「いろんなことに思考が巡るっていうか……。(中略)走ると、頭が冴える感じがしますね。」とも言い、さらに2015年のブログでも「体を動かすとなんだかあらゆることに敏感になる気がする。」とランニングの効用を綴っている。
2015年に“アンビリーバーズ”がランニングシューズのCMに採用されたが、この時はスポンサーから山ほどのシューズが届いたことだろう。
「走る」と「駆ける」の微妙な差
ランナー米津玄師は、活用形を含む「走る」を6曲で、さらに「駆ける」も6曲で使用している
「走る」と「駆ける」はほぼ同意だが微妙に使用範囲が違う。「駆ける」は速いスピードでの移動に限定され、「走る」は「筆が走る」「目が血走る」など移動以外での使用もできる。
“春雷“と”PLACEBO”で走っているのは恋心である。
恋が身体を走ったんだ
(春雷)
走り出したハートを攫って
(PLACEBO)
“ピースサイン”と“TeenageRiot”における「走る」は、「行動を起こせ」であり以前の記事で書いた「踊る」に近いアジテーションである。
“amen”で黒いアスファルトを走る馬は心象風景と捉えるのが妥当だろう。
実際に走っているのは、”灰色と青”の「ひしゃげて曲がったあの自転車」と「忙しなく街を走るタクシー」だけである。
「駆け巡る」と歌っているのが“NightHawks”と”Alice“だが両方とも比喩表現だ。
安易な歌詞なら「ドキドキする」で片付けられそうな状況を、Aliceではこう歌う。
心臓のあたりで少年が
ひたすらバタバタ駆け巡るまま
今日は何して遊ぼうか
ガキのようにハチャメチャやりたい空騒ぎの興奮が、狂暴な熱を発して迫ってくるようだ。
実際に駆け回っているのは”パプリカ“。
「駆け抜け」ているのは”しとど晴天大迷惑“と”undercover“である。
ちなみに”しとど晴天大迷惑”で駆け抜けていった「ハックニー」とは競走馬ではなく馬車用の馬である。
繋駕速歩競走と言うレースもあるようだが、このようなマイナースポーツの馬品種を歌詞に使用したのは「馬車馬のように働く」に掛けたと言ったら考えすぎか?(文末に宮沢賢治作品との関連追記あり)
”飛燕”における「空を駆けて」の正しい漢字は「翔て」であるが、この曲は米津自身のことであると本人が語っていることから、あえて「駆」を使ったのかも知れない。
筋トレで変わったのは身体だけじゃない
「運動のあとのシャワーの味には、人生で一等必要なものが含まれている。」
これは自分の身体に劣等感を抱き、トレーニングに励んだ三島由紀夫が「実感的スポーツ論」に書いた言葉である。
同じく”貧相”な自分の身体が嫌いだった米津もまた、Loserのダンスレッスンをきっかけに筋トレを始め、身体の形が変わってきたと実感を得てこう語った。
「三島由紀夫が太宰治に対して、”お前の悩みなんて、乾布摩擦でどうにかなる程度のものだ”と言いましたが、実際に身体を整えれば、心の悩みなんてある程度、なくなってしまう。それも考えてみれば当たり前のことで、精神と肉体って、それぞれ独立しているわけじゃないですから。」
そして、「運動した後に食う白米っておいしいんだなって、25にして初めて気付いた。」らしい。
健康ほど大切なものはないと否が応でも再認識させられた今、白米を美味しくいただくためにも、さぼらず走って、筋トレも頑張ろう。
あ、玄米の方がいいかも知れないw
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<追記>
宮沢賢治の「春と修羅」という作品の中に「小岩井農場」という詩があり、そこに”ハックニー”が登場している。
黒塗りのすてきな馬車だ
光沢消つやけしだ
馬も上等のハツクニー
米津はfogboundライブのMCでこの詩の一節を朗読している。
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この不可思議な大きな心象宙宇のなかで
もしも正しいねがひに燃えて
じぶんとひとと万象といつしよに
至上福祉にいたらうとする
それをある宗教情操とするならば
そのねがひから砕けまたは疲れ
じぶんとそれからたつたもひとつのたましひと
完全そして永久にどこまでもいつしよに行かうとする
この変態を恋愛といふ
そしてどこまでもその方向では
決して求め得られないその恋愛の本質的な部分を
むりにもごまかし求め得ようとする
この傾向を性慾といふ
(小岩井農場 パート9より)