日常に感謝
今朝は布団から出たくなかった。
暖かくて気持ちよくて、もうちょっとヌクヌクしていたいと思った。
ふと、13年前のあの日は起きたくても起きられない、目を覚ましたくても覚ませなかった、突然「明日」という当たり前に存在すると疑わなかったものを奪われた人々がたくさんいたことを思い出した。
その方達の分も、と言ったらおこがましいけど、私に与えられた「今」を大切にしなければならないと思った。
13年前のあの日は、避難所で過ごした。
夫と二人、まだ1歳だった息子を守ることで精一杯だった。
横になることもできないほどギュウギュウのスペースで、夫と座ったまま、交代で息子を抱っこしたまま一夜を過ごした。
暗闇の中、うとうとすると、そこらじゅうの携帯から一斉に緊急地震速報のアラームが鳴り響き、恐怖の中、夫と二人で息子を庇った。
私達の隣に、袴姿の若い女性とお母さんがいらっしゃった。
専門学校の卒業式が終わったところで被災し、急遽、会場近くの避難所に避難してきたそう。
彼女達ももちろん横になることはできない。
着慣れない和服でどんなに苦痛だったことか。
彼女たちがお手洗いに行く際、懐中電灯を貸した。
翌朝、ご家族と連絡が取れ、迎えに来てもらえることになったそうで、その際、「お腹の足しにしてください」とチョコレートビスケットを置いていってくれた。
ご自分達もお腹が空いているはずなのに、本当にありがたかった。
その一方、私達より後で避難所に到着したカップル。
他の人達は回りに配慮しながら、自分達のスペースを確保している中、隙を見つけて割り込んできて、さらには持参した寝袋を広げ、そこで悠々と寝始めた。
キャンプごっこのつもりか?
周りはみんな、場所を譲り合い、横になったとしても丸くなって寝ていて、私達、隣の親子は横になれずに座っているというのに自分達は両足を伸ばした状態で快適そうに寝ていた。
今思い出しても腹立たしい。
彼らが夫婦だったのか、恋人同士だったのかはわからないが、今は子供を持つ親になっているかもしれない。
正しい意味での「サバイバル術」を伝授していると良いのだが。
ネガティヴなことを書いてしまったが、今日はどうしても伝えたい感謝がある。
災害時には、自衛隊、消防隊、救急隊、医療チーム、自治体職員の方達、他にも私達の知らないところで救助・復旧活動に従事してくださっている方達がたくさんいる。
ライフラインを復旧させるため、全国の電気、水道、ガス会社のエンジニアの方や重機を扱える土建業など、陰のヒーローと呼ぶべき方々がアベンジャーズの如くアッセンブル(集合)してくれた。
その中でも、我が家は震災後、一時的に避難させてもらえたので、不在中にガスの復旧作業に「山口ガス」の方が来てくださっていて、不在表のような物が郵便受けに入っていた。
遠いところ、本当にありがたく、いつかお礼のお手紙を書こうと思いつつ13年が経ってしまった。
このnoteで山口ガスの方に届くかはわからないけど、この場を借りてお礼を申し上げたい。
その節は、遠くから、寒い中駆けつけてくださりありがとうございました。
元日に起こった能登半島地震の被災地にも全国から集まったアベンジャーズの皆さんが復旧作業に従事されていることと思います。
作業をする皆さんが怪我無く、ミッションをコンプリートされること、被災地の皆さんに一日も早く穏やかな暮らしが戻ることを切に願います。