私の双極性障害
こんにちは、のれんです。
見にきてくださってありがとうございます
といっても、さっきまで寝ていたのですが。
昨夜日付が変わるころに眠り昼まで寝ていた、かつ朝昼兼のご飯を食べて再び眠り先ほど起きました。
別記事で書いた通り、年末年始ハードだったことで疲れがたまっていたのでしょう。
昨日謎解き街歩きをしたので、脳がオーバーヒートしていて寝れないかも!と思い、精神安定用頓服「デパス0.5mg」と睡眠導入剤「デエビゴ5mg」を飲んだからでしょうね。
わたしの双極性障害と診断されるまでの経緯を記録を兼ねて書きたいなと思い筆をとりました。
もともと高校生のころに不登校をやらかしていて、自身の精神がもろいのは自覚がありました。
「成育歴」と「レベルの合わない環境」の二つが原因だとわかっていました。
さらっとしか触れませんが、成育歴としては「愛情」「過干渉」「暴力」で環境問題は「周辺環境のレベルの低さ」といったキーワードになります。
大きな病院で検査をしたり、たくさんの薬を出す精神科を経て、最終的に行った精神科はとても理解があるお医者様で、”思春期特有のもの”といった形で診断もつけないもので、精神安定頓服「デパス0.5mg」のみを商法されていました。転校や大学進学をのびのび暮らすうちに、症状は下火になりました。
大学卒業後、問題のある実家から離れて就職しました。
最初はよかったです。良い上司の下でバリバリ楽しく働いていました。
あるとき、上司が変わったんですね。ここで一度最初のメンタルダウンがありました。
上司とコミュニケーションが取れませんでした。これが2019年頃の出来事です。
最終的に人混みが怖くなり出勤が難しくなったのですが、上司が飛ばされて3日程度の離脱で済んだのでどうにか休職をせずに済みました。
その時は適応障害の診断が下りていて薬を飲みつつ働き、調子が上向いていました。
2020年頃に引っ越しをしました。そのタイミングで医者の指示を仰がず、断薬をしてしまいました。最も薬をやめて3カ月くらいでまた不調を感じたので早めに病院へ駆け込み、今度はうつ病の診断をされ薬を飲みました。ただ、医者との相性が悪く、いまいち信用できず、もやもやを抱えたまま薬を飲むだけで過ごしていました。そうこうしているうちに担当している業務が多くなり、これは危険だ!と上司にアラートを上げました。しかし、いろいろあって業務が減ることはなく、2021年に一番最初の休職をしました。ここから長い闘病生活が始まります。最も診断は「うつ病」のままでした。
半年ほどの休職を経て、時短勤務で復帰を目指しました。薬を増やしながらどうにかこうにか働いてみたもののやはり限界が来て、休職と復職を繰り返しながら働いていました。
2022年夏、2023年春、と主治医がころころ変わりすぎていたため、薬は同じものを出してくれと依頼してよくならないまま薬を飲み続けていました。
そして今の主治医と出会いました。最初は薬を変えず対応してもらっていたのですが、主治医の勧めもあり、薬をいろいろ変えながら模索を始めました。
2023年冬、「炭酸リチウム」を処方され、症状が安定していきました。
この薬がめちゃくちゃ当たりでした。これは「双極性障害」ですねとやっと診断が固まりました。
私のうつの症状は重く、「過眠」「風呂キャンセル」「思考力の低下」「家事をできない」「希死念慮」といったものでした。
そして、躁の症状はない。といったもので双極性障害Ⅱ型と診断されました。
引き続き復職と休職を繰り返していましたが、2024年冬の復職のタイミングで「次休職したらクビ」と宣告されました。おかげで今もひやひやしながら働いています。
ただ、新卒で働き始めた会社でいまだに働けているのは奇跡ですね。会社には不満はありつつも感謝しています。
2024年夏、そろそろ子どもが欲しいと夫婦で結論が出たため、安定していた炭酸リチウムをやめる方針になりました。
半年かけて再び薬の調整をしました。
今では症状も安定、妊娠のGoサインも出て頑張るぞー!という気持ちでいっぱいです。
うつ症状が出たりでなかったり、躁状態はないまま今暮らしています。
このまま薬をのみつつも安定した状態で生きていければなと思っています。
#メモ
現在の服薬は下記の通り。
・ラツーダ 60mg
・ラモトリギン 400mg
・オランザピン 10mg
頓服として
・デパス 0.5mg
・デエビゴ 5mg