【曇天をゆく2】再開発の優等生!?生まれ変わったKing's Cross ~ロンドンまちあるき~
ハリーポッターにおいてホグワーツ特急が発車する9¾番線で知られるKing's Cross駅。「曇天をゆく」第2弾の舞台は、そのKing's Cross駅のすぐ北に位置する、線路で囲まれた約27万㎡の敷地です。現在Google, Meta, ガーディアン紙などがオフィスを構えるこのエリアは、四半世紀前にはナイトクラブが繫栄し犯罪が後を絶たない超危険エリアでした。ハリーポッターに負けず劣らずのドラマチックな歴史を経てきたこの地が、ロンドン屈指の大規模再開発を経てどんな姿に生まれ変わったのか。「再開発の優等生」とも言うべきプロジェクトの全貌をお楽しみください。
なお、King's Cross再開発の全貌を解説したものとしては既に別の方の非常に優良な記事がありますので、全体の流れをシンプルに掴みたい方、再開発スポットを網羅したい方はぜひそちらをお読みください。基本的にソースが同じなので重複してしまう点は多いですが、私の記事では街の歴史的背景、まちあるきをして気づいた細かいポイント、そして再開発の評価に重点を置き、思想強めに解説していきます。
1. King's Crossの概要
King's Cross駅はロンドン中心部から北西に3キロほどの場所にあるターミナル駅で、同じくターミナル駅のSt. Pancras駅と隣接しています。
イギリスの鉄道網は、ロンドンにあるいくつかのターミナル駅(Euston, Paddington, Victoria, Waterloo, London Bridge, Liverpool Streetなど)から放射状に延びていきます。King's Cross駅とSt. Pancras駅はいずれもイギリス中部・北部への玄関口であり、またSt. Pancras駅はパリやブリュッセルと結ぶユーロスターの発着駅でもあります。当然、その2大ターミナルと接続する地下鉄のKing's Cross St. Pancras駅は、ロンドンの地下鉄駅の中でも最大の乗降客数(年間約9000万人!東京メトロ最大の池袋駅をも上回る!)を誇っているのです。東京で言えば、上野駅と池袋駅が同じ場所にあるようなイメージです。
写真3は地域全体の地図です(奥に見えるのは建設中のGoogle UKの本社!)。再開発が行われているのは、このKing's Cross駅とSt. Pancras駅からそれぞれ北に延びる線路によって仕切られたエリア。日本の年齢別人口分布みたいな形をしていますね(やめろおおお)。約27万㎡の敷地に50棟の建物と2000戸の住宅、そして全体の4割を占めるオープンスペースが作られています。
2. King's Crossの歴史
では、ロンドンでも屈指のターミナル駅の北側に、なぜこのような広大な敷地が残っていたのでしょうか。そしてなぜ冒頭の引用のような、荒れ果てた土地になってしまったのでしょうか。
King's Crossという地名は、1830年に国王ジョージ4世の死を悼んで記念碑が建てられたことに由来します。このちょうど10年前、この地域にリージェンツ運河が開通し(写真3の真ん中を流れる水路がそれ)、King's Crossはこのリージェンツ運河を通じてイングランド中に広がる運河網にアクセスできるようになりました。さらに19世紀中盤にはKing's Cross駅とSt. Pancras駅ができ、このエリアは鉄道網と運河網の交わる交通の要衝になります。産業革命に湧く当時のイギリスにおいて、バーミングハムなどイングランド内陸部の産業都市とテムズ川沿いの港湾を結ぶ重要割を果たしました。線路に挟まれたこのエリアは鉄道会社(DHL)が保有し、鉄道関連の施設が作られるとともに、石炭や穀物の倉庫街として繁栄したのです。
しかし、第二次世界大戦後に貨物輸送の主力が自動車に切り替わるとKing's Crossの重要性は決定的に低下します。廃墟と土壌汚染だけが残る荒廃した土地にまともな借り手が現れるはずもなく、土地所有者であるDHLは倉庫跡を3つのナイトクラブに貸します(ナイトクラブはDHLにとって需要の少ない土地を活用してくれる貴重な存在であり、DHLの土地には他にもナイトクラブがたくさんあります)。このナイトクラブは遠方からも人を引き付け、毎夜何千人という若者が踊り続けました。アーティストやミュージシャンが活動するサブカルチャーの発信地にもなっていたものの、ナイトクラブの存在や荒れ果てた土地により治安は極度に悪化し、人が寄り付かなくなります。冒頭の引用はこのような状態を言い表していたのです。
3. 再開発がやってきた
そんな荒廃したKing's Crossに変化の兆しが見えたのは1996年こと。ユーロスターの始発駅が2007年にWaterloo駅からSt. Pancras駅に移ること、それに伴いSt. Pancras駅をリニューアルすることが決まったのです。DHLはこの広大な敷地を再開発することに決め、2001年にデベロッパーのArgent社とともにプロジェクトを開始しました。6年という長い時間をかけて自治体、歴史保全団体(English Heritage)、地元住民と協議を重ねてマスタープランを作成し、開発許可を受けたのです。
様々な記事を読み、実際に現地を訪問する中で、King's Crossの再開発を一言で表すと「優等生」だと感じます。現在その広大な敷地には、GoogleやMetaといった世界最先端の企業のオフィスがあります。オープンスペースは広大で、くつろいだり会話したりできる空間がたくさんあります。歩車分離が徹底され、街中で車の姿を見ることはほとんどありません。そして最も大きな特徴は、かつて産業が栄えた時代の倉庫や運河などの歴史的遺産を非常に丁寧に再利用していることです。
街とは、たくさんの人間の知恵と工夫の積み重ねにより集合的に形成される空間であり、今あるものを見ることで、かつてそこで暮らした人の姿を、生活を、感情を、感じることができる場所です。そのリッチで圧倒的な体験が、人を街に惹きつけるのです。一方で、多くの再開発は利潤を追求し、街の歴史的文脈を無視した高層建築や近代的なデザインによって批判されます。なぜなら、土地の歴史から断絶された街は、歩いていても今そこにあるものしか見えない、とても貧しい街だからです。その点において、King's Crossは19世紀後半~20世紀前半にかけての20もの産業遺構を活用し、またかつてを思わせる運河沿いの景観を丁寧に保全しています。その資本主義的成功や優れた空間デザインはもちろん、街の記憶とともにある豊かな空間を作り出したことにより、King's Crossの再開発プロジェクトは多方面から賞賛される「優等生」となったのです。
4. King's Crossまちあるき
それでは、King's Crossのまちあるきを始めましょう。先ほどKing's Crossの再開発を「優等生」と表現しましたが、ここからは①歴史的建造物の再活用、②優れた細部のデザイン、③ウォーカブルという3つの特徴を意識して解説していきます。
Battle Bridge PlaceとPancras Square
King's Crossの駅から北側にいくと、Battle Bridge Placeという広場があります。右手に見えるのは建築中のGoogle UKの本社です。なんと奥まで330mもあり、ロンドンのランドマークThe Shardの高さをも超える長さのため、高層建築を指す"skyscraper"をもじって"landscraper"と呼ばれています。完成後の姿はこんな感じ。リモートワークが浸透した今、このオフィスはどれくらい使われることになるのでしょうか。
この広場で注目したのはこちらのゴミ箱。なんてカッコいいゴミ箱なのでしょうか。かつて産業が栄えた時代を思い起こさせる黒い金属のフレームとシンプルで力強さのあるロゴに、優しさを感じさせる木の細板。そして黒いフレームの洗練された美しいカーブは、最先端企業が集まるKing's Crossらしさを存分に表現しています。街中のゴミ箱はすべてこのデザインで統一されており、細部のデザインにこだわっていることが分かります。
この広場の奥には7棟のオフィスに囲まれたPancras Squareという空間があります。緑と水が豊富で、ベンチではオフィスで働く人々が思い思いに休息を取っています。オフィスとオープンスペースの黄金コンビが「再開発感」を強く感じさせる場所です。
さて、広場を含め24個あるコンクリートの白いベンチには、全てにアート作品が飾られています。これは"The Outside Art Project"と呼ばれ、ロンドンでも最大級の屋外ギャラリーとして知られています。多様なアーティストと協力し、3ヵ月に1度程度の頻度で展示を入れ替えているようです。ただ、作品が展示されているベンチに座る人はほとんどおらず、もう少し使いやすいデザインにするべきだと感じました。
Granary Square
ディズニーの世界に迷い込んだかのようなリージェンツ運河を渡るとGranary Squareに着きます。その名の通り、かつて穀物を貯蔵していた倉庫を改修したGranary Buildingがあり、2011年にこの地に移ってきたロンドン芸術大学(Central Saint Martins)のキャンパスとして知られています。キャンパスとして活用するにあたり、Granary Buildingは奥に向かって増築されており、歴史的建造物とモダニズム建築がラディカルに融合する様子は本郷キャンパスの工学部2号館を思い出させます。また、広場の両端にある噴水は夏になると多くの子供たちが裸足で走り回る有名なスポットです。
前述の通り、第二次世界大戦後のKing's Crossは貧しく危険なエリアであると同時に、多くのアーティストやミュージシャンが活躍していました。これからはロンドン芸術大学がその文化の発信地としての機能を継承していくことでしょう。
リージェンツ運河沿いにあるGranary SquareはKing's Crossの再開発を象徴する場所になっています。春から夏にかけては運河沿いの階段に人々が集まり、屋外映画鑑賞イベントなどが開催されています。
Coal Drops Yard
Granary Squareのすぐ西側には、かつて石炭を貯蔵していた倉庫を商業施設にリノベーションしたCoal Drops Yardがあります。メインテナントであるSamsungのフラッグシップ店をはじめ、全体的に価格帯が高く、勢いがあるお店ばかりでした(カフェで休憩しようと思ったけど円安留学生には到底入れないお店ばかり、、、)。概要は前掲の別記事が秀逸ですのでそちらに譲り、気になったポイントに絞って紹介します。
まず気になったのはCoal Drops Yardの両側です。Granary Square側には高低差を活かしたLower Stable Streetがあります。その名の通りここだけ周囲より低く、また道幅も狭いため、包まれるような安心感がある路地のような空間です。
Lower Stable Streetの逆側にはリージェンツ運河が流れています。ここだけ切り取るとタイムスリップしたみたいですね。運河との間に柵がないので、運河との距離がものすごく近く感じます。私の地元の江東区も、これくらい運河との距離が近くなれば良いのになぁと思いました。
Lower Stable Streetとリージェンツ運河を堪能した後は、いよいよメインテナント、Samsungのフラッグシップ店へ。ここでは様々なサムスン製品が展示されているだけでなく、実際に体験することができます。世界中の参加者とサイクリングのトレーニングや競争ができるZwiftを大画面で体験するコーナーや、iPad以上のクオリティでお絵描きができるタブレット、最先端液晶テレビと見紛う画質のスクリーンなど、驚きの連続。店員さんも(イギリスにしては)すごく親切で、Apple Storeほど積極的に話しかられることもないので、安心してゆっくり回ることができました。
帰り際にお手洗いに行くと、ここにもカッコいいデザインのサインプレートがありました。先ほどのゴミ箱といい、細部のデザインにこだわっているところがKing's Cross再開発の大きな魅力ですね。
Gasholders
Coal Drops Yardから運河沿いを歩いていくと、特徴的な建物が見えてきます。Gas Holderとは日本で言うガスタンクのこと。かつてKing's Crossには数多くのガスタンクがありましたが、大部分は再開発時に解体されました。残されたもののうち、No.8と呼ばれていたタンクは骨組みだけを残して公園となり、No,10,11,12はなんと超高級集合住宅に生まれ変わってしまいました。後で調べてみたところ、買おうとすると最低でも10億円以上します。ロンドンの高級住宅では、住宅がただ住む場所以上の意味を持っており、建物の歴史や背景にある建築思想を本当に大切にしていると感じます。当然アクセスの良さや住宅そのものの質もありますが、Gasholdersにこの値段が付いているのは「産業革命の遺構をリノベーションした家に住む」という付加価値が高く評価されているのではないでしょうか。
Gasholdersの柱にはそれぞれ建てられた年代の刻印がありました。その新しさから見るに、リノベーションする際に塗り直されたのか、あるいは新しく付けられたのかもしれません。このような工夫の1つ1つが、建物の歴史性を強調し、付加価値を高めているのでしょう。
そしてここまで歩いて来て気づくのは、本当に車道が少ないこと。建物と建物が車が入れないオープンスペースによって接続されており、ここまで運河を渡る橋の周辺以外は1度も車道沿いを歩くことがありません。車に出会わなさ過ぎて、逆にウォーカビリティが高いことを忘れてしまうほどでした。改めて写真3を見ると車道がミニマムなことがわかるはずです。ウォーカブル万歳!
その他
ここからはその他の印象に残ったスポットを写真中心に紹介します。
5. 「再開発の優等生」は本当か
このように、King's Crossの再開発は地域の歴史を尊重し、細部のデザインにまで気を配り、豊富なパブリックスペースの創出と歩車分離に成功し、世界最先端の企業がオフィスを構える、まさに「再開発の優等生」と呼べるものでした。しかし、King's Crossの成功は何によるものなのでしょうか。他の地域とはどのように違っていたのでしょうか。
まず、King's Crossではマスタープランを作るにあたりステークホルダーとの対話を非常に重視しました。6年間かけて自治体や住民と協議し、歴史的建造物の保全に関しても議論を重ねました。日本では土地の買収に時間がかかるため10年単位の協議は珍しくないですが、マスタープラン作成にこれだけの時間をかけるのはやはり異例と言えるでしょう。その丁寧なプロセスが成功の1つの要因であることは疑いの余地がありません。
しかし一方で、King's Crossの成功は土地の特徴や政治的なタイミングの良さに強く依存したものでした。まず、一般的に既存住民からの反対が再開発の大きなハードルである一方で、King's Crosの再開発地域は工業用地だったため既存住民は少なく、地域コミュニティが弱かったため、建築計画に対する強い反対も起きませんでした。また、再開発地域の建設が始まったばかりの2008年にリーマンショックが起きたため、自治体は地域により多くの住宅と雇用を呼び込むことに非常に積極的でした。Financial Timesの記事によれば、ロンドンのあるハウスメーカーは次のように言います。
しかし2010年代以降、再開発プロジェクトはジェントリフィケーションを危惧する既存住民の強い反対を受けるようになります(ジェントリフィケーションについて取り上げた前回の記事を読むとわかりやすいよ!)。そのキッカケとなったのは、2010年に起きたサウスロンドンのElephant & Castleの再開発計画をめぐる議論でした。自治体はHeygate estateという団地の敷地をデベロッパーに売り、デベロッパーは団地を壊して高級住宅を建設しようとしました。その内容は、建設予定の3000戸のうちたったの25%がAffordable Housingというものでした。Affordable Housingとは所得の低い人でも手が届く住宅のことで、ジェントリフィケーション、つまり貧しい既存住民が家賃の高騰により別の地域に追い出されることを防ぐ意味合いがあります。一方でデベロッパーにとっては、価格の低い住宅を売ることは利益を下げることにつながるため、できるだけAffordale Hosingの割合を少なくするインセンティブがあります。
そしてその再開発計画に対して住民側は、より多くのAffordable Housingを建設するという約束をデベロッパーが破ったと強く批判したのでした。デベロッパー側は、Heygate estateを解体するという決定もAffordable Housingの割合もすべて自治体が決めたことだと主張したものの、これを契機に世論が盛り上がり、その後の再開発計画の多くが住民の強い反対に遭うことになりました。
住民の批判に加え、より強い影響を与えたのが政治的な変動です。2016年にロンドン市長が保守党のボリス・ジョンソン氏から労働党のサディク・カーン氏に代わると、社会福祉的な観点からより高いAffordable Housingの割合が求められるようになりました。ボリス・ジョンソン氏時代では10%程度の割合でも許可されていたものが、サディク・カーン氏の時代になると50%が目標とされ、開発許可が非常に厳しくなりました(40%以上であれば開発許可が降りることもあるようです)。また、2010年に始まった連合政権において緊縮財政が実施されたことで、Affordable Housingに対する補助金が削減され、住宅市場が大きく冷え込んだことも影響を与えました。その結果、デベロッパーにとって多くの再開発プロジェクトが採算の合わないものとなってしまったのです。
現在、King's CrossのAfforable Housingは38%を占めます。これはデベロッパーが表明した40%の目標に届かないものであり、かつそもそも近隣住民は自治体の目標である50%以上をターゲットにすることを求めてデベロッパーと争っていたのでした。Elephant & Castleほど割合が顕著に低いわけではないものの、地域コミュニティが弱いという土地柄や、再開発に対する反対運動や市長の交代が起きる前のタイミングでなければ、プロジェクトの実現はより困難なものになっていたでしょう。
また、King's Crossはその地で産業が栄えた時代の歴史をリスペクトし、多くの歴史的建造物を保全していますが、ナイトクラブが栄え犯罪が横行した時代の記憶は残されなくてよいのでしょうか。歴史には積極的に「保全」されるべきものと「忘却」されるべきものがあるのでしょうか?そしてそれは恣意的に判断されるべきなのでしょうか。生まれ変わったKing's Crossは、産業革命時代の古めかしいコートを羽織っていても、「カラスのような足を持ち、血管は壊れ、ビール腹をして、妊娠線があり、醜い金切り声をあげる」人間には到底見えません。しかし、本当に街の歴史を大切にし、豊かで深みのある空間を作ろうとするならば、醜かった時代の記憶もどこかに残しておくべきではないでしょうか。
かつてKing's Crossのナイトクラブは、ロンドン中の「はぶれもん」達に居場所を与えていました。そこに集っていた人たちは、再開発がなされた後、どこに行ってしまったのでしょうか。彼らは居場所を見つけることができたのでしょうか。
King's Crossの大規模再開発は、地域の歴史を尊重した優等生のようなプロジェクトでした。しかしそれは、計画時期があと5年遅ければ採算が合わず実現できなかったかもしれません。尊重される「歴史」は特定の時期の選ばれた記憶であり、本当に地域の歴史を尊重することはできていないのかもしれません。そして、ただ新しいオフィス街と高級住宅街を作り、代わりにどこか知らない場所で居場所を失った「はぶれもん」達が乱暴をしているだけなのかもしれません。優等生のように思えるKing's Crossの再開発プロジェクトでさえこのような問題を抱えていることは、再開発という行為そのものに伴う本質的な矛盾や不自然さを表しているように感じました。
訪問日:2022年11月2日(水)
執筆日:2022年11月6日(日)
参考記事・サイト
・King’s Cross再開発のウェブサイト
・Financial Times, Regeneration gap: would King’s Cross be possible today?
・Vice, Britain's Railways Created the Country's Biggest Clubs and Gentrification Shut Them Down
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