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母さん、老荘思想を読むよ

母さんと、30分の面会時間をどうやって過ごそうか。

そうだ、本を読もう、と思いました。
母の眼は、意識がしっかりしているときは、とても澄んでいます。
子どもにかえる、というのは、本当かもしれません。

ドリトル先生を読みたいな、と思いました。
動物と話すことができるドリトル先生は、第1次世界大戦に従軍した作家が、戦場で負傷し、射殺されて死んでいくだけの馬をみて、その痛みや悲しみを話す言葉があれば、と思ったことに始まるそうです。

家の本棚でドリトル先生を探しましたが、どうも見つかりません。
何冊かあったはずですが。
どうもいろんな本を詰め込み過ぎて、出てこない。
子供たちにあげたかもしれません。

なにか良い本はないか、と、いくつか手に取って探すうちに、ぜんぜん違う本を見つけました。
『老子・荘子の言葉100選』
有名な字句が引用され、それについて、2ページほどの簡潔な説明があります。これはいいな。

老荘思想の本を持って、ひとりで面会に行きました。

天は長く、
地は久し。

天地自然の活動は永遠である。
自分の利益ばかり考えて行動すると、いつの日か孤独になって、淋しい人生を送ることになる。

著者の境野勝悟さんは、そんな解説を載せています。

天を仰ぎ、地を歩く。

そうかもしれません。
利にさといことは、必ずしも、好ましいとは言えない。
争いや暴力の支配する土地もあったと思います。
もっと永遠の、信じられるものの上で生きるべきだ。
そう願ったのではないかな。
老子というのはどういう時代を生きたのか。

上善は水のごとし。

まあ、母はすでに水のように生きています。
もっと聞いておくべきでした。
母が子どものころは何をして遊んでいたのか。

学徒動員で校庭にイモを植えていた。
しかし、イモは食べられず、イモの蔓ばかり食べていた、
と聞きました。
工場に働きに行って、母親が心配し、弁当に栄養のあるものを入れてくれた、とも。

父と二人で仕事を始めたとき、家族の食事を用意するのが大変だった。
夕食のおかずは豆腐が1丁だけ、そんなときもあった、と聞きました。
このごろ、いつも豆腐を食べるときに思い出します。

機嫌がよいとき、以前は、バイバイと手を振ってくれました。
今は手を出してくれません。
私が母の子どもである、と、彼女にはわからないままです。

しかし、私を見ている母の眼は、
今も澄んでいるように思いました。

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