運動が苦手な人や団体行動が嫌いな人が絶対にやりたくない学校行事について述べる
学生時代に陰キャラだった人はクラスの一致団結が苦痛だったと思うが、俺も大嫌いだった。
放課後の教室で行われた強制練習に付き合わされた時は「ゲームをする時間が減って大いにむかついた」ものである。
そんな苦い思い出を持っているのが「運動が苦手な人や団体行動が嫌いな人」なのだが、その気持ちが理解されることはなく、リア充どもの横暴に耐え忍ぶ羽目に陥っていた。
昭和の同調圧力の凄まじさは軍隊そのもので常軌を逸しており、とても今のようなダイバーシティ―の世の中では考えられないものであった。
本記事は死ぬほど嫌だった学校行事について振り返ったものである。
★運動会(体育祭)
リア充の馬鹿騒ぎにすぎない。
大会当日に盛り上がる光景は軍隊か宗教であり、しらけている陰キャラが奴等と同じ空気を共有することを迫られる。
また、連日にわたる練習が非常につらく、地獄そのものであった。
★マラソン大会
体力に自信のない人にとっての苦行。
最下位の人を全員で迎えるのは侮辱的だ。
あれをいじめだと誰も思っていないのが厄介な点である。
★球技大会
スポーツが苦手な人にとって公開処刑そのものといえる。
ボールをキャッチできずに蹂躙されるからだ。
これはサッカー部やバレー部が素人相手に本気を出すという大人気のない振る舞いをするためで、極めて幼稚な奴等である。
こういう奴等がパワハラをするのだ。
★合唱コンクール
朝っぱらから練習に駆り出され、恒例の「男子、ちゃんと歌ってよ!!」を言われる行事。
声変わりの時期にそんなことができるか!!と反論する気力すら失う言葉だと思う。
優勝すると泣く奴がいれば負けて泣く奴もいる。
得られる物が何もないのに「これで最後なんだよ!!」とは不条理である。
★朝礼
校長の話が長すぎる。
何故、偉い人の話はあんなに長いのか?
人格レベルに自信がないから小難しいことを言って自分を大きく見せているだけにすぎないと思う。
★中間及び期末試験
誰が好き好んで勉強なんかするものか。
自分が興味のあることだけを学びたいにもかかわらず、なぜそれ以外の物を勉強せねばならんのだ、ということを考えると、単なる時間の無駄である。
★卒業式
来賓の話がつまらなすぎる。
それに生徒にとって出席する必要性がなく、一体、誰のための式なのかよく分からない。
おそらく、教育委員会にいいところを見せようとするためのパフォーマンスの場なのだと思うが、それに学生を利用するのは勘弁してほしい。
我々にとっては退屈で無駄な時間なのだ。
★スポーツテスト
大勢の眼前でさらし者にされる時間である。
運動神経抜群の奴等が「他人を笑う光景」は腹立たしかった。
あれはいじめを助長しているとしか思えない。
★頭髪・服装検査
思うに禿げている教師ほど厳しいのではないか、という気がする。
自分に毛がないからといって、人のことを悪しざまに罵り、パワハラまがいの指導をする様は、実に滑稽である。
あんなものは単なるやっかみにすぎないのだ。
★終わりに
弱い者を恫喝などという卑劣な真似をしている奴のどこが「スポーツマンは好青年」なのだろうか?
そんなものは笑い話にすらなっていない。健全な精神からは程遠く、陰湿極まりない行為をする奴は生きる価値がない外道である。
そのような腐った真似をするリア充など肥溜めに落ちて沈んでしまえばいいのだ。