似非・俳諧の散々な末路
慣れないことはするものではない。先日、俳句が趣味の奥さんを真似て、"似非・俳句"を一句詠んだ。だが、これまでそんな高尚な嗜みをしてこなかったため、詠んだ句が"辞世の句"のように感じられ、後味悪くて仕方がない。あまりに過剰な反応との自覚があるのも性質が悪い。自己嫌悪を誘ってくる。そんなわけで"似非・俳諧"の末路は散々。そのため、当面、俳句は自重。奥さんにお任せする。
辞世の句!?
「花にみぞれ、桜はつぼみ」と詠んだ。そもそも5・7・5にもなっておらず、おこがましくて、とても俳句と言える代物ではない。とはいえ、季節外れのみぞれが降る中、そう遠くない先に開きそうな桜のつぼみを見て、ふいに思いついた言葉にしては、なかなか趣があると自画自賛。
だが、次の瞬間、桜が舞い散る木の下で、白袴をまとった武士が切腹する間際のビジョンが脳裏に浮かぶ。霊感皆無の自分に"得体の知れないもの"が憑依するはずがない。"ご先祖さま"がこの先にある危険に警鐘を鳴らしているに違いないなど、後に考えると、どうにも恥ずかしい妄想を抱いた。
"好物"の影響
ここのところ、ユーチューブ(YouTube)で、"事故物件住みます芸人"の松原タニシの体験談や三木大雲の怪談を"好物"にしてきた影響がありそうだ。桜を見に行った23日は、冷え込みが激しく、雨がみぞれに変わるという春に似つかわしくない空模様だった状況も心理的に作用したかもしれない。
静岡県伊東市にある「さくらの里」に奥さんと一緒に行ったのだが、そこからの帰り道は、先に詠んだ一句が辞世の句にならないよう特に安全運転を心がけたのは言うまでもない。決してビビったわけじゃないんだからね!(ツンデレ風)。そんな思いをよそに奥さんが予想の斜め上を行く一言:
「さっき詠んだ辞世の句を教えて!」
(写真〈上から順に〉:近く開きそうな桜のつぼみ=りす、愛好者が増えている俳句=東洋経済オンライン、怪談語りで知られる現役住職の三木大雲=YouTube)