残された時間
ー75回目の原爆忌(下)
広島、長崎に原子爆弾が投下されて以来、75年が過ぎた。この間、核兵器の恐ろしさは広く認識された感がある。広島と長崎が果たした役割は大きい。世界に発信したスローガン「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ」は国内外によく知られるところだ。ただ、被爆者が長く心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しんだり、被爆者だとして不当な差別を受けたりしていることについては、依然知られているように見えない。
75回目の原爆忌シリーズ:(上)『平和への願い』
個人のつらさ語らず
被爆者の体験を伝承する活動を続けている元TBSアナウンサー・久保田智子は、インターネットメディアのインタビューで、被爆者はその代表として語っても「本人(個人)にとって一番大変だったところを語らない」という:
「みんな、原爆投下の当日に何が起きたのかについて聞きたいし、語る方もそれを語ろうとする。ただ、そこに本人のつらさが必ずしも反映されているとは限らない」(BuzzFeed〈バズフィード〉)
久保田は被爆者にインタビューし、原爆投下当日の話を聞いた後、「普段お話ししているのはここまでですが、実はこの後が大変で。お時間があれば、お話しますが」と言われたことがあるそうだ。
アニメ『サイボーグ009』の島村ジョー役を担当した声優の井上和彦は、広島で被爆した父を持つ"被爆二世"だ。原爆が投下された直後の体験がフラッシュバックして苦しむ父の姿をずっと見てきたという。
「忘れられないくらいショッキングだったのだろう。これが何十年も続いてきたのかもしれない。そう考えただけでも生き地獄だ。その日だけで終わらないつらさは体験者しか分からない」(47NEWS)
高齢化する"語り部"
漫画家の中沢啓治は、代表作『はだしのゲン』の第二部で、被爆者差別をテーマにする構想を固めていたそうだ。実際、不当な差別に苦しんだ被爆者は少なくなく、そうした新聞記事を目にしたことは一度や二度ではない。
被爆者は深い苦しみと悲しみを抱えながら生きている。それも併せて次の世代に伝える必要がある。当時の体験を教えてくれる"語り部"が高齢になっており、それを知るために残された時間はそう長くない。
2020年の原爆忌ー。そんな思いの中で時間が過ぎた。(おわり、敬称略)
(トップ写真:長崎県長崎市の平和祈念像=フリー素材を基にりす作成)
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