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冬時間にじっくりと触れたい3作品をセレクト。/表紙デザインの偶然の響き合い

①世に潜む「悪意」に、私たちはどう立ち向かうか。『冬のオペラ』北村薫/角川文庫

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あなたの、わたしの。そして、無数の名も知らぬ人々の。世界は、幾重にも重なり合う、驚きと謎に満ちている。見過ごされてしまう、でも本当は見過ごしてはいけないそれらの間に潜む“闇”に、主人公・姫宮あゆみ”名探偵”巫(かんなぎ)弓彦が立ち向かう。高校卒業とともに独り立ちを余儀なくされた主人公が、一歩ずつ足を踏み入れていく大人の世界の「現実」に感情を昂ぶらせ、傷つきながらも成長していく姿が、心揺さぶる。【世間】という隠れ蓑にひそむ悪が暴かれるたび、あゆみも全身で傷つき、時に言葉を失う。けれどもその闇は、未だ無垢な心を持つ彼女だからこそ受け入れ、解き放てるものなのかもしれない。大人の器用さや諦めは、結局は、自分を守るための偏りが生んだ”狡さ”だ。北村氏は一貫して、そうした人間の弱さこそが一番恐ろしいのだと語っている。告発もなく、断罪もない。読み終えるたび、あなたなら、どうする?――という、主人公の、あるいは作者からの真っ直ぐな問いが、柔らかで繊細な文体とともに胸に突き刺さってくる。

②憧れの国も時間も、ページをめくれば、いつもそこに。『こうばしい日々』江國香織/新潮文庫

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パステルカラーの屋根がゆったりと並ぶ郊外の風景。焼きたてのブラウニー、カフェテリアでのランチや同級生とのキス、そしてメジャー・リーグ観戦…。秋から冬へと向かう、”ウィルミントン”の街のどこか乾いた「こうばしい香り」が鼻先をくすぐるようだ。在米経験のある著者が、リズム良く描き出す主人公ダイの日常は、まるで映画のスクリーンを通して憧れ続けた「アメリカ」そのものだ。口では日本を恋しがってばかりのダイの姉が、日本びいきの映画青年・ウィルとは付き合わず、アメフト選手をボーイフレンドに選んでいる(ダイはそれを”裏切り"と読んでいる)など、ふたつの文化の狭間で揺れる家族それぞれの思いが温かく綴られる。インターネットのない時代、私たちはこうして、文字を追うだけではるかかなたの国に心を飛ばすことができた。全てをありのままに知ることは出来ないからこそ、憧れや郷愁がなおいっそう、駆り立てられるということが、確かにあったのだ。手のひらにおさまる小さく軽い1冊、週末の小さなお出かけの代わりに一読すれば懐かしく、そして新しい世界が目の前に広がることうけあいだ。

③「青春の悩み」を笑い飛ばそうなんて、ナンセンス。『フラニーとゾーイー』/J.D.サリンジャー(野崎孝訳版)/新潮文庫

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”青春小説”というジャンルで私が今までに出会ってきたどんな物語よりも、青春らしく、誰もがぶつかる問いに肉薄している作品だと思う。ゆえに地味である。なぜなら私たちが10代の頃、友達に相談できるような悩みはその殆どが、本当に切迫した悩みなんかではないからだ。深いところにあってうまく言語化できないこと。そして「これほど悩んでいることを、他の誰かが理解してくれるはずもない、わかってなんかもらえない」という、それこそ若さ故の傲慢も手伝って、簡単に口になんか出せないこと、それこそが最も大きくやっかいな【悩み】なのかもしれない。フラニーもまさにそう。彼女は賢さ故に、「それ」に気づいてしまった。大人という立場から笑い飛ばすことは出来る、けれど誠実ではない。彼女にも、かつて彼女と同じだったはずの自分自身にも。作者は兄・ゾーイーの口を借り、真正面からその問いに切り込み、やがて答えを導き出していく。暗闇から一転、目隠しを剥ぎ取るような、驚きと明るさに満ちた答えが綴られるのはラスト1ページ。”生きづらさ”が若者のみの代名詞ではなくなった今の時代だからこそ、幅広い世代に手に取って頂きたい不朽の名作。



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