周囲に同級生、顔を上げれば教師。 先生の声が無ければ静まり返っているんだろうな、という空間で、私はよく他の世界に没頭する。 少し先の旅行計画、中学時代のバレー部、今日の昼ごはん、バイト先の先輩との会話、 基本的に何も意識せずその世界が始まるから、空想というより妄想であることも多い。 今少し思ったのは、これを具体化してしまうことで無意識だから行けた世界に、今後少なからず自意識が働くから、2度とその世界に行けないのではないか、ということである。 こわい。 そんなの嫌だ。 で
ほんとうにくやしい でもたのしかった きっとその人が彼氏になります。
何かあるたんびにうんちと言ってしまう。 感じの悪い人に会った時、休講だと思ったのにそれは来週だった時、バイトが入ってたことに気づいた時、レポートが何個も溜まっている状況。 「いや、うんちだなあ」 「うんちすぎるーー」 「うんちすぎない?」 皆さんが気づいているかどうか分からないが、 うんちという言葉はとても汎用性がある。 うんち=くそ という図式もあるため、上記のうんちにくそを当てはめても、なるほど成り立つ。 しかし、かわいいのはどっち? より穏やかにユーモラスにその
ひまわりは、日光の方へムワムワ伸びる。 何輪も何輪も無言で太陽の方に傾く。 茎が長くて折れちゃうものもいる。 その角度を見ると、ひまわりに科された生命の意志を感じる。 蛾は、光に集まる。 コンビニとか、少ない街灯の灯りにとか、家の玄関のライトにとか。 よく聞くと、ブーンパタパタ! 気持ち悪い!! 襲ってきたらどうしよう! その下を通りたくない! スマホをいじってその明るさに導かれてきたら? トラウマで失神してしまうだろう。 でも、ひまわりが日光の方へ向かうのには合理性を感
可愛いって思われたいし、憧れられたいし、一目置かれたいし、なんかちがうって思われたいし、友だちになりたいって思われたいし、この子になりたいって思われたい。 なんかセンスが良くて敵わないなって後ろから見つめちゃうくらいの人になりたい。 それでも人は自分が1番気になるし、気にしちゃう。 ほんとーーーーに人って自分が思うほど自分のことを気にしてないよね。 自分以上に自分を気にしてる人がいるのって、BTSくらいじゃない?(血汗涙) まじで落ち込むくらい気にしてないし、え?ってな
めっちゃ波長が合って、ほしい言葉とかリアクションが返ってきて、こっちのボケも拾ってくれて、流行りとか元ネタを多少は知っていて、文脈でそれを用いたらなんとなく気づいて、被せるように笑いが助長していって。 そういう人といたら、そうじゃない人といる時にその人のことを思い出してしまうし、その人とだけ一緒にいたくなる。 全然考え方が違ったり正義が違う人って、面白いなと感じる時もあれば、うーんとなっちゃうときもある。多様性の世の中なのに、自分の感性だけで生きたくなる。これっておかしい
一生続いてくれやこの時間 居酒屋からスーパーで買い出しのゲラゲラ時間 家で髪止めパイナップル頭 細ポッキーをチープなグラスに入れる瞬間 いない人の話を惜しみながらする笑い 初めて気づくビールのおいしさ 見慣れた部屋着の新鮮な着こなし こたつの三方向が埋まった喜び 意外に狭いなこのお部屋 みんな一緒にねようね 歯ブラシセットも買ってきました ぜんぜん寝れない疲れてるのにね 明日は何するワクワクするね たくさん写真撮ってあげるね ずっと続けばいいのにな
煽り運転は厳罰化され周知も進んでいるが、 煽りウォーキングについては誰も喚起をしていないように思う。 せっかちな早歩きの民。 狭い道で歩いていると後ろから突如として現れる足音。これは気づかせるための音だ。 あっすみません。。 気づかなくてごめんだけど、足音で威嚇しなくてもいいじゃん。、 咳とかさあ、、 広い道でも煽りウォーキングは起こる。 6人くらいが歩けるくらいの歩道で、3人で歩いていたら、夫婦のうちのせっかちな妻の方が私の母を煽ってきた。 真後ろで、なにか脅かそう
お母さんといたらちっちゃいことを気にしなくなるし、愛嬌があればなんでも乗り越えられちゃうんだなって思う。 嫌いな人にもまあいいかと思えるし、なんでも経験って思えるし、なんでもやってみようと思える。 確かに考えなしの行動のせいでウンザリしたり、責めたくなっちゃう時もある。 けど、ごめーんコンチ起床ー!って言われたら、もうナチュラルになるし、小さいことでイライラしないゾ!っとおおらかな人間になる。 家でお刺身を食べていて、スーパーに置いてあるちっちゃい醤油袋あるじゃん?それ
ある人の前では、自分がなんでも言っていい人みたいになって、軽く見られて、好意が無下にされる。 皆が発言しやすいように、第一声からハードルの低い発言をするとばかにされる。 でも、自分は相手をばかにはしないし、そのありがたさに気付いている。 強い口調で訂正しなくてもいいじゃないか。 うんこやうんこ この世はうんこ
おまもりという名前の存在を持ち歩きたい。 本でも犬のぬいぐるみでももちろんガチおまもりでも。 なんかの本で読んだ。 ハンカチがおまもりになっている女の子の話。 ぽっけに手を入れたら、嫌な言葉も嫌な雰囲気も嫌な人たちも、そのハンカチが手を繋いでるみたいに全部一緒に乗り越えてくれてるような、守ってくれているような、まさにおまもりみたいな大切なもの。 自分の意志も受け止めてくれて、なおかつそちら側からも働きかけてくれるような、そんなおまもりが欲しい。 ということで、この記事が
小学生って良くも悪くも影響されやすいから、先生とか周りの人間が褒めて信じて情報を与えてたくさん刺激すればとんでもなく成長するし、努力を努力と思わないでのめり込んで楽しむんだなと今日の教職の授業を受けてて感じた。 (リアぺ????????) 自分が小学生の時は、毎日日記と家庭学習ノートを提出していた。 毎日やるって結構すごいと思う。 学年✖️10分➕10分 が家庭学習の目安だったから、小6だったら70分やるのが求められていた。これに加えてノートいっぱいに日記を書いていたから、
同じ大学の彼氏ってなんか良いよね。 家が近くてお互い一人暮らしだったら一緒にスーパー行ったり長めの散歩したり気軽にお泊まりできたり。 彼氏こんなに欲しいのに、なんでいないの。 本当に欲しいのかな。実は全然いらないのかもしれない。 日常を過ごす友達はまあまあいるし、みんなどこかしら変なところとか不思議なところもあるけど、人間だしスパイスだし治して欲しいとかあんまり思わない。むしろおもろい。 うーんこれも嘘かもしれない。 箸の持ち方えぐい子には全然直して欲しいし、口のくさげな
私は矯正治療をしている。かれこれ、いろんなことがありもう8年目になる。 大学進学を機に実家を離れたことで、どうにもこうにも終わりの見えなかった6本のゴムかけ治療をM先生に引き継いでいただくことになった。 6本ってあんまり症例を知らないから分からないけど、結構異常だと思う。 口は3ミリくらいしか開かなかったし、家中にゴムが落ちていた。 「もう、ゴム〜〜」と掃除機掛けをする母に軽く怒られていた。 でも、めっちゃつけるのは早かった。 オリンピック競技、「ゴムかけ」があればいいのに
本当に思ってる???????????????? 人の誕生日を祝うって、結構大変なことだよ????????? 確かに一年の中で特別な日だし、何より尊い。 でも、計画から実行に至るまで結構な時間と労力とお金を使う。 まず、当日までの流れ。 「もうすぐ誕生日じゃん!」 『えっそうなんだよねーー』 「どう過ごすのーー」 『うーーーーん決まってないんだよねーー』 「え!じゃあ祝わせてよーーーーーーーーーーーー」 『いーーの!?』 「うんもちろんーーー」 この軽はずみな言葉により、お
昨日コンビニのバイト中、グレーの柔らかそうなパーカーを着たおじいちゃんに「いつも一緒」と人差し指をこちらと自分に往復させながら2回言われた。 そのおじいちゃんを見たのは初めてではなかったから、「店員としていつも同じ曜日にいるよな」ということか、もしくは「いつも俺のことを接客しているよな」ということか、とびっくりしながら悩んでいた。 自分は結構お客さんに対しても強気な姿勢での接客スタイルを採用している。なぜならば、最低賃金でここまでかしこまる必要はあるのか、なぜこちらが謝ら