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【読書記録2】アグラヤ・ヴェテラニー『その子どもはなぜ、おかゆのなかで煮えているのか』を読んでみた

年末に目にした書評に惹かれ、図書館で借りて読んでみました。


本のご紹介

今回私が読んだのはこちらの作品です↓

ピエロの父、曲芸師の母、踊り子のわたし。祖国を逃れ放浪生活を送る、サーカス一家末娘の無垢の物語。39歳で非業の死を遂げた伝説の作家による自伝的傑作。シャミッソー賞・ベルリン芸術賞受賞。

「地獄は天国の裏にある。」
祖国ルーマニアの圧政を逃れ、サーカス団を転々としながら放浪生活を送る、一家の末っ子であるわたし。ピエロの父さんに叩かれながら、曲芸師の母さんが演技中に転落死してしまうのではないかといつも心配している。そんな時に姉さんが話してくれるのが、「おかゆのなかで煮えている子ども」のメルヒェン。やがて優しいシュナイダーおじさんがやってきて、わたしと姉さんは山奥の施設へと連れて行かれるのだったが――。

世界16カ国で翻訳、伝説の作家が唯一残した自伝的傑作が、ついに邦訳!

Amazonの紹介ページより

感想

サーカスで働く母親が落下して死んでしまうかもしれないという恐怖から目を背けるために、おかゆのなかで煮えている子どもを想像する「わたし」。

子どもらしい無邪気な一面が垣間見えるのは「わたしが大好きな食べもの」を列挙するシーンくらいで、あとは過酷な現実がテンポの良い短文の波となって次々に打ち寄せて来る。

母国と外国、母語と外国語との関係についても考えさせられる。

神さまは外国語を話すだろうか?
外国人の言うことも理解できるだろうか?
それとも天使たちが小さなガラスの小部屋に座って通訳をするのだろうか?

『その子どもはなぜ、おかゆのなかで煮えているのか』p.6

↑子どもらしい可愛らしい想像ではあるが、故国ルーマニアの独裁政権から逃れ、幼い頃から興行でいろいろな国を巡ってきた「わたし」らしい発想だと感じた。

サーカスはいつも外国にいる。でもキャンピングカーのなかは我が家だ。我が家が消えてしまわないように、わたしはできるだけ細く、キャンピングカーのドアを開く。

p.8

↑ドアを大きく開け放ったとて、我が家が消えてしまうはずなどない。
しかし、「我が家が消えてしまわないように」という表現に、定住先をもたない「わたし」の不安定さや心細さがうかがえる。

悲しいと、年をとる。
わたしは外国の子どもたちより年上だ。
ルーマニアでは、子どもたちは生まれたときから年をとっていた。母さんのお腹にいるときから貧乏で、両親の心配ごとを聞かされていたから。
ここの生活は天国みたい。でも、だからといって、わたしが若くなるわけではない。

p.35

↑短いが力強い文が続くのがこの作品の特徴のひとつでもある。
物語が「わたし」の語りで現在形で進行していくにもかかわらず、どこか結末まで俯瞰できているかのような印象があり、「わたし」が同世代の子どもたしからぬ、高い視座を持っていることは一目瞭然だ。
流浪の外国生活を送る中で、人の何倍もの苦労を重ね、様々なものを見聞きしてきた体験が、「わたし」を小さな大人にしてしまったのかもしれない。

父さんの母語は、ピーマンと一緒にクリームで煮たベーコンみたいに響く。わたしはその響きが好きだけれど、教えてほしくはない。

p.53

父親の母語を「ピーマンと一緒にクリームで煮たベーコンみたいに響く」と表現するあたりに、筆者の類まれなる言語センスを感じる。
学校教育を受けず、15歳まで文字が読めなかったことがにわかには信じられないほどだ。

自伝的小説であることは承知のうえで読んだが、全体的に非常に詩的、というか詩そのものといってもよいくらい、強烈に引き込まれる独特な世界観だった。

夢でも見ているのだろうかと見まがうような文章の美しさによって、子ども時代に直面した現実の過酷さがさらに際立っていると感じた。


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寺内温子 / 育休中のママ編集者
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