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【読書記録4】李昆武、フィリップ・オティエ著『チャイニーズ・ライフ』を読んでみた
本の概略
昨年友人に薦めてもらい購入していたものの、図書館で借りてくる本を優先して読んでいた結果、しばらく積読してしまっていたこちらの漫画↓
李昆武、フィリップ・オティエ著/野嶋剛訳『チャイニーズ・ライフ 激動の中国を生きたある中国人画家の物語 上巻「父の時代」から「党の時代」へ』
上下2巻に分かれています。こちらが下巻です↓
李昆武、フィリップ・オティエ著/野嶋剛訳『チャイニーズ・ライフ 激動の中国を生きたある中国人画家の物語 下巻「党の時代」から「金の時代」へ』
年が明けて、子どもたちが寝静まったある夜、ふと手に取ってみたのですが、数ページ読んだだけでページを繰る手が止まらなくなり、あっという間に上巻を読み終えてしまいました。
頭を殴られたような衝撃を受け、まずはこの本を紹介してくれた友人に上巻を読んだことをLINEで報告、それが終わるや否やAmazonで下巻を注文して、届いた日の夜にそちらも貪るようにして読みました。
漫画とはいえ文字量も多く、なんと上下巻合わせて700ページを超えます!
最初に出版されたのはフランスで、その後日本語を含め世界各国の言葉に翻訳されて出版されているようです。
以下は下巻の「訳者解説」からの引用です。
本書は、中国人画家・漫画家で、ジャーナリストでもある李昆武氏の自伝的作品である。李氏と交流があったフランス人のフィリップ・オティエ氏が共作者となり、2009年にフランスで最初に出版された。その後、英語版、ドイツ語版、スペイン語版、フィンランド語版、チェコ語版など相次いで欧米を中心に翻訳され、フランスや米国でさまざまな賞を受賞するなど国際的に高く評価された。韓国や香港でも刊行され、2013年1月には中国でも「逆輸入」される形で出版されている。
この漫画の特徴
①イラストタッチ
私は大学時代、中国文学を専攻しており、しかも当代文学(中華人文共和国建国以降の文学)を専門にしていました。
したがって、大躍進政策、文化大革命を描いた小説や映画はたくさん読んだり観たりしてきたのですが、漫画を読むのは今回が初めてでした。
文革期に描かれたプロパガンダ絵画には、浅黒く日に焼け、太く凛々しい眉毛とたくましい腕が印象的な労働者の姿がよくみられますが、上巻の巻頭3頁を除いてすべて白黒で進行する本作のイラストタッチにも、それに通ずる筆の力強さを感じました。
あまり日本の漫画にはみられないタッチなので、見る人によっては少し気味が悪かったり、恐ろしい印象を与える絵かもしれません。しかしこの特徴的なタッチこそが、近いようで遠い国中国の、今日の発展からはまったく考えられない過去の暗い部分を先鋭化させることを成功させていると思いました。
②文字量の多さ
この漫画のもう一つの特徴が、文字量の多さです。セリフだけでなく、地の文があちこちに散りばめられ、そこに作者李昆武の思いや考え方がギュッと濃縮されています。
以下に特に印象に残った箇所を挙げておきます。
狂気の10年は終わりを告げたのです。(中略)残された我々は、文化大革命でそれぞれがどんな行動を取ったのかは問われることなく、尊厳は保たれ、拘束されることもなく、悲劇の終了を祝いました。まるで長い戦争の末の勝利のような歓喜でした。喜びは数カ月に渡って続き、文革中の苦しみや悩みはきれいさっぱり忘れ去られたようになりました。
この、「それぞれがどんな行動を取ったのかは問われることなく」の箇所に、紅衛兵として活動した過去を持つ作者の強い自責の念を感じました。
公に罪として問われることはなかったとしても、自分の中で決してなかったことにはできない過去。時々疼く古傷のようなそれを、なるべく見ないようにしながらひたすら前のみを見つめて進んでいくしかなかった若き日の自分自身を、李昆武は執筆を通して見つめなおしていたのかもしれません。
もうひとつ、印象に残った箇所を挙げます。こちらは下巻中盤、著者の李昆武とフィリップ・オティエが作中に登場し、漫画の中で天安門事件を扱うかどうかについて話し合った直後の李昆武の語りの場面です。
つまるところ、中国には秩序と安定が経済発展のためには必要で、その他のことは二次的な問題だという風に、私自身は考えている。
これが、李昆武の一貫した考え方で、上下巻を通して読むと、この考えが作品の軸になっていることがよくわかります。
この考え方に異論がある人もいるだろう。特に異なる価値観を持つ欧米の人々にとっては。
新聞記者として働き、フィリップのような外国人の友人も持つ李は、欧米の価値観のスタンダードも理解し、一旦受け止める柔軟性も持ち合わせた人物です。それでも李は続けます。
しかし、私は決して無難で安全な公式発言をしているわけではなく、これは私の内心に深く刻まれた、多くの中国人の間に共有される考え方なのだ。私たちの国は、20世紀を通じてあらゆる苦難と屈辱を味わった。侵略、略奪、不平等条約、内部分裂、軍閥間の争い。そんな歴史を生きる中で、こうした思いが時間をかけて少しずつ育ってきたのだ。私自身も、文化大革命、批判運動、階級闘争、干ばつ、飢饉、電力不足、極貧などを経験し、こうした考えは徐々に強い確信に変わっていった。私たちの苦難の日々を分かってくれるならば、発展と再生のために必要な秩序と安定を求める私たちの深い渇望を、きっと理解してくれるに違いない。
異なる価値観を持つ外国の人にも、秩序と安定を求める自分たち中国人の背景にある歴史とその切実さを、どうか理解してほしいと願う李。このページの最後はこのように締めくくられています。
もちろん、いろいろな意見があるだろう。経済成長の前に人権が大事だという人もいる。私は、そんな議論は次の世代に任せればいいと思う。言葉で言い表せないほどの苦しみを味わうことのなくなった世代に。
全体を通しての感想
李昆武とその家族をめぐる壮絶な物語ですが、決してこの家族だけが特別なのではなく、同時代を生きた中国人なら皆多かれ少なかれ同じような経験を乗り越えてきているという事実を前にすると、言葉を失うほどの衝撃がありました。
特に、李昆武の両親が文革期の混乱を経て10年ぶりに再会を果たすシーンは切なく、強烈な印象が残りました。
私たちのこの10年を返してほしいと言う妻。
過ぎたことだからもうその話はよそうという夫。
そして、辛酸をなめつくした挙句、再会からわずか数年後に病に倒れて亡くなってしまう夫——。
残された妻の無念は想像に余りあります。
本当に辛く悲しい思いをしたとき、どうにかしてその感情を処理しながら生きていくために、人はどのように考え、行動するのか。
それが、本書を貫く大きなテーマだと感じました。
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