「お金」に対してこじらせている
「お金」って、何なのだろうか。
恐らく、私の母は、「お金を渡すこと」「代わりにお金を支払うこと」「何かを買ってあげること」を「愛情」だとしていたと思う。
前に、母から、「母がお金に困りどうしようもなくなった時に祖母に相談し、祖母が母に苦労しながらも大金を渡してくれて、母としてはとても助かったし、自分も子供が困ったらそうしなくてはいけないと思った」、という話を聞いたことがある。
その言葉通り、というわけではないが、母は私の塾や学費、新社会人になる時の引っ越しなど、お金が必要なことはサポートしてくれていたと思う。
私も、母のその気持ちを感じ、そして無意識にそれを引き継いでいて、誰かに何かを買ってプレゼントすることで気持ちを示すことがある。
勿論「お金」は今の社会には欠かせないし、また、お金は価値なので、自分や誰かのの欲しい「モノ、サービス」などに替えることができる。だから便利なエネルギーだし、誰かのエネルギーにもなれるものだと思う。
ただ、私には、「母にお金を渡される、支払ってもらう」のではなく、「自分の思ったように母に動いてほしかった、行動してほしかった、言葉や思いを理解してほしかった、寄り添ってほしかった、受け止めてほしかった」と感じる出来事があったり、「自分の気持ちや思いをお金と天秤にかけられて、結果、母にとっては自分よりもお金が大事なように思っていると、こちらが受け取れるような発言や行動をされたと感じた」出来事があったりして、そのつらさや寂しさから、お金を悪者にしたがったり、誰かにお金を渡すことに抵抗を持っていたように思う。そのくせ、自分は自分の好きなように誰かにお金を使ったりするのに、だ。
全部「自分の問題」だった。
大切な誰かにとっては、「お金を渡す」ことも「力になれること、支えられること」でもあった。
自分の価値観や、その原因を知ろうとせず、「何となく」お金を悪者にして、お金より自分の気持ちや思いを受け止めてほしい、なんて、相手の事情や気持ちを汲まない押しつけをしたりして。
そして、それを拒まれたように思い、落ち込んで、また、自信を無くし。書いているととんでもなくめんどくさい人間だし、色々とこじらせている。
「お金」は「お金」だし、とっても便利で役に立つものだし、気持ちよく、自分の感謝やお礼の気持ち代わりにすればいい。
自分に入ってくるお金も、自分から出していくお金も、そうやって、巡らせていけばいい。
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