「心配」は、今の私にはもう要らない
摂食障害の勉強をしながら、自分の感覚や感情に目を向けて、どういう気持ちを隠してきたのか少しずつひも解いている。
よく、摂食障害の人は、大事な人や関わりの深い人に症状を隠すという。「嫌われたくない」「心配されたくない」「管理されたくない」からだということだった。
わたしは、逆だった。プライドが高く、物事を伝えるのが苦手だったから、あからさまな言葉や態度では母や父に伝えてこなかったが、特に母に「心配されたくて」「関心を持ってほしくて」過食をやめなかったし、摂食障害だと認めなかったし、治そうとしなかった。
わたしにとって「心配されたい」「関心を持ってほしい」ということは、物凄く重要なキーワードであり、行動の軸だった。
それらのために、「成果を出さない」「努力しない」「やりきらない」「チャレンジしない」「自立しない」と、ないない尽くしで自分のことを抑えて、ブレーキをかけてきたんだと気付いた。
それと同時に、思い出したことがある。それは高校3年生になる前の春、母親が家から出ていったことだった。
母は、なぜそのタイミングで出ていったかを、「もうあんたが心配いらないと思ったから」と言っていた。その言葉は、今の今まで私の中で呪いの言葉になっていた。
わたしが「しっかりしている」と「頼れる」ようになってしまうと、母は離れてしまう。母の関心は、私から他のことや、他の誰かに移ってしまう。母は、安心すると私から離れてしまう。ただでさえ、薄く、頼りなく、細く感じていた母から自分への「興味・関心」そして「愛情」は、「自立すればするほど」遠ざかってしまう。そう、思い込んだ。
寂しくて、悲しくて、どうしたらいいか分からなかった。そんな気持ちに気付くことも、認めることも、出すことも伝えることもできなかった。
どんなに悲しくても、寂しくても、予定ではその1年後に大学へ進み、さらにその4年後には国家資格を得るし、その後社会人になる。
わたしの心は寂しいまま、悲しいまま、「自立」が嫌でたまらない。だけど、自分の身体も心も、年齢も、時間も止まるわけがなかった。社会的に、年齢的に、そして、父親の面倒を見るためにも、わたしは一応、「自立」せざるを得なかった。
だけど、ずっと心が置いてきぼりだった。心はそのまま、頭や知識だけがどんどん大人になった。「しっかりした」から母は安心したけれど、「しっかりした」から離れていった。母を喜ばせたい気持ち、楽になってほしい気持ちと、寂しくてたまらない気持ちが共存していて、私は進むことも止まることもできず、宙に浮いて、地に足のつかない時間をずっと過ごしていた。
そうしたら、もう、30代も半ばになってしまった。
何をやっているんだか。
もう、いいんだ。
恐らくだけど、母は私がしっかりしようとしまいと、あの時出ていっていたと思う。関係なかったのだ。私の心も身体も。そしてそれは悲しいことでも寂しいことでもないのだ。もう、高校3年生になる時だったから。私は十分に成長していたのだから。心はずっと寂しかったけれど、過去のわたしのことは、私自身で迎えに行って友達になることが出来る。その時既に、というか、実際は命になった時からだけど、母と私は別の人間だ。何かの行動の理由や言い訳にする必要もないし、何かの言葉で縛られる必要もない。
だから、もう、前に進んでいいんだ。
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