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できない自分もいるのが当たり前
「一人で全部やること」と、「自分のできることをやること」を、区別せずに混同して、ごちゃ混ぜにしていた。
「自分のできること」を適切に把握して、必ず「正解」を実行する、導くことは難しい。むしろ、「正解」なんてなくて「正解にする」ことが正しいというか、「そういうもの」なんじゃないかとも思う。
「自分のできること」というのは、なかなか見極めにくい。今までの経験だったり、その時の気持ちだったり、はたまた過去のトラウマだったりから、大きく見積もったり、逆に小さく見積もったりして、判断を誤ってしまいやすい。特に私のように「自分で自分のことを分かっていない、周りのことも見えていない」人間には、本当に難しいことである。
だけどそれ以前の話で、「自分のできること」を見ることすらしていなかったな、と思う。
「自分に自信がなくて、人と関わることが怖い」とか、「自分は普通じゃないから、人にわかってもらえない」とか、「感覚に敏感なところがあり、なかなか人に伝わらない、伝えられない」とか。
まぁ、一見すると自分を責めているようだが、実際は「分かってくれない周りの人間を悪者」にして、自分を守るための色んな言い訳を並べて、「人と深く関わらない自分」を正当化していた。
そうやって、どう考えても自分一人だけでは出来ないこと、しない方がいいことを自分一人でやろうとして、失敗して、甘ったれようとしていたのだ。
「私はこんなに頑張っているのに、誰も分かってくれません。親のあなたたちにしか分からないんです。結果も出せないので、助けが必要なんです。」という免罪符代わりの現実を引き寄せていた。
母親や父親に、そして代わりになりそうな誰かに「甘ったれたかった」から。
本当、タチが悪いものだ。
「自分一人でやってみたいこと」ならやればいいと思う。
そういうことは「やってる最中も楽しい」のだと、わかってきた。
「やらなきゃいけない」、「やらねばならない」だけじゃなくて
「他の人には頼れない」とか「私じゃないといけない」のような気持ちが、少しでもどこかに湧いたら要注意だ。そんなはずがない。おこがましい。
その人にできることで助けてくれる人、助けたいと思ってくれた人、手伝ってもらうべき人、助言をもらった方がいい人。私の身の回りには溢れているはずで、見ないようにしていたのは、ちっぽけなくせに、頭でっかちで虚栄心ばかり大きい自分だった。