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恐怖に立ち向かうは少し危険な考えです。

恐れがあるのは弱さの表れ。恐れというのは根本的に取り除いていかなければならない。その為には強さを持つべし

こうやって聞くとなかなか難しいぞwって思います。僕が過去に苦しんでいたときに、こう言われました。
「いやいや、怖いものは怖いもん。無理だよ」ってなるのが普通ですよ。はいそうですねじゃあ今から恐怖に打ち勝ちますって行動できる人は多分少ないと思います。

ちょっと嫌な例えなので苦手な人には申し訳ないですが。
もし貴方が嫌いな虫に対して「虫が苦手なのは、己の弱さだ、虫に立ち向かえ、強くなれ」と言われてどう思います?ひえええそんなん無理に決まってるじゃん!!が多分普通です。スーパーサイヤ人にでもなれれば別ですが…。

じゃあその苦手な虫をどう対処すればいいのか。それはもう無理なものは無理だと諦める事です。いやいや、それは逃げになるじゃん。それは弱さだよって言われると思いますが、考えて下さい。相手は虫ですよ。そりゃ嫌でしょうw僕だって虫を克服するまで、時間がかかりました。そんな直ぐには無理な話ですよ。絶対に無理…。

それで、じゃあどうすれば恐怖に打ち勝つ事が出来るの?それはまず打ち勝とうとしなければ良いんです。打ち勝つではなくて、まぁ大丈夫かな?位にまで持っていく。ちょっと苦手だけど大分平気になって来た位まで持っていく。これ凄く大事。

僕も人が苦手ですが配達をやってた時期があります。でもそれは仕事なので割とやれちゃうんです。仕事だと割り切れば結構いけちゃう。でもそこで気がつくんですよ。人に苦手意識があるけど実は人が好きなんだなとか。本質的にはそこまで苦手じゃないじゃんみたいな。一見正面からぶつかっている様で、実は違う場所から攻めている。

何でもそうですが、正面から真っ向にぶつかっていくというのはある意味リスキーです。会話だってなんだって、できるだけ上手く会話をしようとすると、苦手を克服しないと、手足が震えているからなんとかしないとって正面から考えれば考えるだけどんどん上手くいかなくなる。そういうオチが待っています。

ではなくて本当に簡単な部分から始めて見るんです。積み木を崩すように崩せる個所から少しづつ紐解いていけば良いんですよ。

例えば人が苦手だ。 自分は何故人が苦手になったのか。
その原因はいつからなのか。 どういう人が特に苦手か。
逆にどういう人と話せるか。 平気なのか。
人が集まる場所でどの人なら上手く話しができるだろうか。

そうやって少しづつ問題の紐を解けばいい。人が苦手であっても全ての人が貴方に攻撃してくることはないです。絶対に理解してくれる人もいますし、優しい人も沢山います。でも人が苦手だと思うと全ての人が怖くなる。そうすると理解してくれる人も避けてしまうんですよ。

だから先ず恐怖を持つことはしょうがない。人間だから怖いのは当たり前じゃないか。というところからスタートして、先ず何か人と接するきっかけを自分で作ってみる。
音楽でもいいし、映画でもいい。趣味を増やすんですよ。そこから沢山自分の武器が出来れば、後は武器を選べばいい。これなら自分は上手く扱えるだろう。これでいこうとなれる理由です。

だから恐怖を持つな強くなれって言う言葉は、響く人には響くんです。大剣が一番だこれを使えと言われたら「よし俺は明日から大剣で無双するぜ!」ってなります。でも自分が大剣が嫌なら選ばなくていいんですよ。ガンナーでもいい。弓でもいい。笛でも良いんです。自分が一番自分の能力を発揮できる武器を探してやればいい。それが恐怖を和らげる一番の手段です。

だから大剣が好きな人は大剣好きが集まる。双剣が好きな人には双剣好きが集まる。そうやって人はコミュニティを作っていきます。で、生身の人が苦手ならオンラインがあるじゃないですか?オンラインで狩りにいけば良いんですよ。そうすれば割と簡単にいきます。自分に合いそうな人を選べます。何も無理をして人と会う必要もないということです。

そうやって物事の本質を少しずらす。正規法でなくても、少しだけ楽な方を選ぶ。そうやって少しづつ慣らしていけば、いつかは克服できている。それは人間関係だけじゃないです。でもどうしても克服できないなら、即急に諦めちゃう。無理を克服は出来ません。どうしても無理なんですから。じゃあまだ少し苦手だけどこれはなんとかいけるって所を克服すればいいです。人間何でも上手くいく人はいないです。スーパーマンじゃないんですから。

世の中なんてね多分そんなものなんですよ。妥協も諦めも時には必要なんです。それを悪だと言う声はただたんに大きいだけです。大きなスピーカーで街頭演説をしている声ってよく響きますよね?でも隣で持論を言っている人が実は正しかった事あるじゃないですか?でもその人の声ってその音にかき消されてしまう。そんなもんなんです。


だからこそ自分の耳に入る大きな音を一度ミュートしてみる。そして様々な声に耳を傾けてみる。そこからいい話をピックアップしていく。それがどんどん身に付けば、物事の良し悪しがわかってくる。それからじゃあどうしていこうか?になります。

ただ最後にこれだけは言いたいですが。その大きな声もただの雑音ではないということ。その声が最後には理解出来る。「確かにそういう事もあるだろう」と理解出来る様になって欲しいです。うるさい声は一切聞かないぞではないんですよね。

人の数だけ人の意見があります。それを理解したうえで自分の出来る事をやれればいいと僕は思います!


それではまた🐸🐸🐸🐸🐸🐸

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