僕は本当に世界に一人しか存在しないのだろうか?の内容をただ思った事を書いている中身ぐちゃぐちゃ記事w
前回僕が書いた記事。
僕は本当に世界に一人しか存在しないのだろうか?は僕の実体験を少し面白おかしく書いたもので、ちょっと洒落っ気を出しちゃった系記事wでも、ドッペルゲンガーの下りは本当で、自分でも思い出す度に「不思議だよなぁ」って思う。
というのもその女子生徒も、先輩も、顔が青くなるくらい僕の顔を見つめていたので、凄く気味が悪かったのを覚えている。いやいやまさかそんな事があるなんて、想像すらしていなかったんだから…。しかも彼らの表現があまりにも抽象的過ぎるので、僕からすればどれだけ似ていたんだろうと興味が湧いたものだ。
そして総人口80億人の人たちがリアルタイムで活動する世界。僕が寝ていれば、何処かで生活をしている人間。僕が活動をすれば、眠っている人間。常識的に考えれば当たり前の話だ。でもあの記事でも話したように、どうも納得がいかない事がある。
自分と似た人間で総人口を埋め合わせた世界。実はそんな事もあるんじゃないのか?という持論と、実はこの世の中には自分しかいないというとある記事の内容。そしてもし後者が正しいのならば、今僕が見て話す人達は誰なのだろう?
まるで世の中はテレビの様なもので、リモコンでテレビの電源を入れなければ、世の中は静止したまま。前にも記事にしたけれど、僕たちが目で見て、耳で聞いて、鼻で匂いを感じて、肌が痛覚を感じて、寒さや暑さを感じて始めて世界を感じる事が出来る。でもその感覚が消滅してしまえば、僕の意識は起きているのか、眠っていているのか、立っているのか、座っているのか。僕たちは感じる手段が無いと言う事なのだろうか?
となると、僕たちは意識できる範囲。それはどのくらいなのかはわからないけれど。例えば一生訪れる事がない国の中で、起こる小さな出来事という物は、当たり前だけど知る事が出来ない。世の中がオープンワールドのゲームだと仮定すると、まるで別ゲームで起こる世界の出来事の様なものなのかな?オープンワールドではあるけど、グラセフとスカイリム位違うみたいな。
本当にもしこの世界が全てリアルタイムで動いている世界ならば、僕は一度に全てを確認できるカメラの様なものがあったらどうなのだろう?と思ったりする。全てを意識の内に、世界を眺める事が出来るもの。つまり頭の中にイメージできる様な?
ただカメラを覗くということはつまり、カメラの中の世界を意識するということなので、テレビの電源を着けると世界が広がるように、それでは僕の意識の中にあるとなるとちょっと違う。
そうするとスイッチがパチっと着くように世界が広がってしまう。
そうではなくて無意識的に、世界には多くの人たちが生活をしている。四季があって、ちゃんと朝と昼と夜がある、そして草木が生い茂って、僕がいる世界全く同じ世界が展開されているのだろうか?と確認する方法。
あ、因みにこれは物凄く信憑性がない、ただの僕の頭の中で考えている、何の脈略もない話なので、科学ではとか、常識的にとか、そういう現実的な解釈は取り合えず置いておいて聞いて貰いたい。ただの興味本位ですw
そして記事の中でもあった、自分と全く同じ人間。それは多分だけど、存在はしていると僕は考えている。ただそれは飽くまで他人なので、僕ではない。僕のような人か、限りなく近い人。
お互いが遺伝子的に凄く近い存在なので、僕たち同士が出会う事は無い。多分変なバグ的なものが起きてしまうんだと思う。飽くまで交わる事は無い。存在はするけどみたいな。
書いていて自分でもわけわからなくなって来た。何でこんな事を書いているのか、自分でもわからない。ただふと頭の中で思いついた事を殴り書きしているので、本当にまとまりがないですw滅茶苦茶読みづらいし…。
そして最近、また面白い記事を見つけた。それはこの地球は三次元の世界であり、地球は行動の星であるという内容。
つまり僕たち人間はアクションを起こさなければ、物事は広がっていかない。いくら意識を遠くに飛ばそうとしても、足を動かさなければ、どこにも行くことが出来ない。
でも超次元。魂が元々住んでいた世界というのは、地球とは次元が全く違う。
例えば意識を他国へ向けたとすると、一気にそこへ行くことが出来る。会話をするという行動に出なくても、勝手に人の会話が入ってくる。ただやっぱりここでも意識を向ける必要性が出て来る。完全の無意識ではない。
となると、無意識の世界は存在しないという事になるのかな?
つまり僕たちが意識を向けていない世界は静止している?ただそこにある様に感じるだけ?となると、高次元の世界には沢山のアンテナがあって、意識を飛ばすとそのアンテナに繋がって、世界が造られる?ならば世界はリアルタイムに動いてはいないという事なのかな?
そして話が反れるけど、魂がその世界の由来を残したままであると、肉体は地球の次元に乗っかっている。意識を飛ばして移動していた魂の記憶と。肉体とのアンバランスな関係性。そのアンバランス差が気持ち悪く感じて、生きづらさを感じちゃう原因なのか?とも考える。
つまりこの三次元世界で生きづらさを感じてしまう人は、そもそも魂というのは別次元のものであり、行動も意識もかなり超越したものだと、無意識的に理解している。
ただやっぱり三次元世界で生きていくには、それだどバグっちゃうので、多分魂は三次元世界に合わせるように、敢えてバージョンを落としているのだと思う。
「こうしたいのに、こうなって欲しいのに、身体は動いてくれない。人が思うようになってくれない」という考えは、超次元、つまり魂の常識内では凄く正常なものなんだと思う。ただその意識が三次元世界にとって、あまりにも超越し過ぎちゃってるから、最終的に「生きづらい」になるんだと僕は思う。
意識で飛ばせていたのに、敢えて足を使わないといけない。テレパシーで会話をしていたのに、敢えて口で伝えないといけない。その煩わしさが全て「生きづらい」に繋がる。
それが生きづらいの正体だと思う。
あれ?僕何の話しをしていたんだっけw話が脱線し過ぎている。頭がこんがらがって、どうしても話が脱線しながら長くなりそうなのでここまで。
まぁこういう疑問って、悶々と考えている時が楽しいんだよな。正しいとか間違いだとかではなくて、ミステリー的にある意味では大雑把に、面白おかしく解釈して、自分で勝手に納得して楽しむみたいなw
結局高次元の魂を持っていても、敢えてこの三次元世界を楽しみ尽くせば良いんだけど。どうせ産まれたならば、良いも悪いも吸い尽くしてやれ的な精神でねw
それが一番生きやすい生き方だと納得して今回は締める。
本当にわけのわからない話にお付き合い頂きありがとう御座います。こんな奴なんです僕wwおかしいよねw
それではまた🫰🫰🫰🫰🫰🫰🫰🫰🫰🫰