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SMエンタテインメント第1号歌手『ヒョン・ジニョン』について

ヒョン・ジニョン』は、1990年にデビューした韓国の男性ヒップホップ歌手。SMエンタテイメントの創設者であるイ・スマンがプロデュースした初の歌手であり、ソテジワアイドゥルやDEUXと共に現在のK-POPと呼ばれるアイドル中心のダンス音楽を開拓した先駆者の一人でもある。ヒョン・ジニョンとワワとしてバックダンサーと一緒に3人でのパフォーマンスを披露していたが、アイドルグループではない(SM初のアイドルはH.O.T)。本来は、ヒップホップ歌手として売り出されたため、ソロ歌手と見るのが正確である。

■トレーニングシステムの誕生

現役当時のヒョン・ジニョンと専属バックダンサーのワワ

梨泰院のナイトクラブなどでB-boyとして活動していたところをSM企画(現:SMエンタテインメント)のイ・スマンに見いだされた。当時、イ・スマンは親交があったハン・ベクヒ(キム・ワンソンの叔母)から『あなたのところの練習生もちゃんとトレーニングさせた方が良いよ!』と助言を受け、キム・ワンソンのトレーニング方法を導入した。

デビュー前、練習生時代のヒョン・ジニョンとSM企画の創設者イ・スマン

キム・ワンソンは3年間のトレーニングを経てデビューしたが、ヒョン・ジニョンには2年のトレーニング期間を費やした。これが後のK-POPアイドルや韓国歌手に繋がるトレーニングシステムの始まりである。ヒョン・ジニョンは、元々ダンサー出身だったこともあってダンスの実力は既に完璧だったが、ステージに立ってダンスを踊りながら歌を歌うことはとても難しいことでトレーニングはとても過酷だったという。

音楽番組でパフォーマンスを披露するキム・ワンソンとヒョン・ジニョン

ヒョン・ジニョンはプロデューサーのイ・スマンと作曲家のホン・ジョンファからトレーニングを受けた。走りながら歌う、山の頂上まで上がり続けて歌い続けるなどの特訓を行い、練習生生活を過ごした。以後、このような体系的なトレーニングシステムは、SMエンタテイメントの正式訓練法となって同じくソロでデビューしたBoAの練習生時代のトレーニングにも応用された。また、ハン・ベクヒ(ハン・ベクヒマネージメント)とイ・スマン(SMエンターテインメント)が親交があったこともあり、実際にキム・ワンソンとヒョン・ジニョンも音楽番組で共演したことがある。

New Kids On The Block / H.O.T

以後、イ・スマンは韓国初のアイドルグループH.O.Tを製作する際も2~3年間のトレーニング期間を設けた。さらにアメリカのボーイ・バンドの練習生システムも導入(アメリカのアイドルのトレーニング期間は3年以内と制定されている)しながらデビューさせた。H.O.Tの場合は、New Kids On The Blockをベンチマークしたことで有名だが、似ているのは5人組のアイドルグループという点だけで音楽・衣装・ダンス・コンセプト・活動方式・舞台でのパフォーマンスなどは全く別物である。例えばNew Kids On The Blockは基本的にティーン・ポップ、バラード、ダンス・ポップなどの楽曲を主軸としていたが、H.O.Tはヒップホップをベースとしており、どちらかと言うとNKOTBよりもソテジワアイドゥルの音楽性に近い。それに加えてユーロビート・クラシック・ロック・バラードなど様々なジャンルの歌も発表した。日本ではK-POPアイドルはジャニーズ事務所のジャニーズjr.や沖縄アクターズスクールの育成方法から影響を受けたと言われているが、それも誤りである。K-POPアイドルと違ってジャニーズ事務所と沖縄アクターズスクールにはトレーニングシステムがなく、練習生期間も韓国アイドルのように長くはない(韓国アイドルに比べると練習生または研究生期間が短い)。

音楽番組でパフォーマンスを披露するヒョン・ジニョン

1989年にSMエンタテインメント(当時:SM企画)の第1号歌手として韓国初のシングルアルバム「なまめかしい女」を発表。翌1990年にヒョン・ジニョンとワワ(ワワは人名ではなくバックダンサーの総称)として正規1集「New Dance」で正式にデビューした。アメリカの歌手Bobby Brownをロールモデルとしてニュージャックスウィング系の音楽を取り入れ、ぴょんぴょんと跳ねるようなうさぎダンスやヘッドセット型のマイクを使用してのパフォーマンスを披露するなどして人気を集めた。テレビ番組や音楽番組、雑誌撮影まで常に歌手とダンサーが一緒に行うなど、3人組のアイドルグループのように活動する方式は韓国歌謡界では初だった。

Bobby Brownから影響を受けたヒョン・ジニョン

Bobby Brownの「Don't Be Cruel」とヒョン・ジニョンの「エッチな女性」は全体の曲構成が酷似しており、後年にヒョン・ジニョンも「Bobby Brownが大好きでした。Bobby Brownからインスピレーション(影響)を受けたかもしれません」と明かした。1993年の3集発売直後、覚せい剤使用により精神性医薬品管理法に違反した疑いで拘束、立件され、さらに翌1994年にも再度覚せい剤使用で拘束される。これにより1995年にSMエンタテイメントとの契約が終了。これらの事件は初期のSMエンタテインメントの経営が危機にさらされるほどに大きな打撃を与えた。このような問題があったため、人気は短命に終わった。

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