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世界がアンゼルム・キーファーを求める理由

『PERFECT DAYS』からそれほど間を置かずに届けられたヴェンダースの新作は、同じドイツ出身の美術家、アンゼルム・キーファーのドキュメンタリーである。

両者が知り合ったのは1991年。キーファーの映画を撮る話は当初から持ち上がっていたそうだが、2019年に南仏・バルジャックのキーファーの拠点をヴェンダースが訪れたことが、具体的な始動のきっかけとなった。その広大な敷地の光景を目の当たりにして、ヴェンダースは「今なら映画が作れる」と思ったというが、確かにそれも不思議ではない。なにしろ、創作兼アーカイヴ空間というべきそのエリアは、それ自体がまるでタルコフスキー映画の舞台のような異様なオーラを放っているからだ。

(C)2023, Road Movies, All rights reserved.

制作用のスタジオは、大きな重機があってもまったく違和感のない巨大な倉庫であり、キーファーは自転車で移動する。そこ以外にもさまざまな建造物があり、モニュメンタルな自作品が散在している。一帯がサイトスペシフィックな「町」の様相を呈していて、このビジュアルイメージがヴェンダースの映画作家としての本能をいたく刺激したようだ。

キーファーの息子が本人の青年期、ヴェンダースの孫甥(兄弟姉妹の孫)が幼年期を演じるシーンが挿入されるのも、ドキュメンタリーとしては異色であり、フィクショナルなイメージに拍車をかける。

とはいえ、ドキュメンタリーとしてのリアルな手ごたえも十分だ。現在のキーファーがバーナーを携えて、壁面の藁を燃やして焦がしていく様子には、ほとんど工事現場のような骨太さがあった。図書館の書架のような自前の施設で、さまざまな資料に目を通すリサーチャーとして姿も印象に残る。

(C)2023, Road Movies, All rights reserved.

北アフリカ~中東に実在するような狭い通路を、キーファーが歩き始めるところからが最大の見せ場だ。施設内と思われるさまざまな場所を巡る中、幼少期の彼のカットが挟み込まれて展開していく。夢幻的なムードが支配的だが、殺風景なワンルームの個室?で現在のキーファーがベッドに横たわって目をつむるシーンは、ほんのり生活感が漂っていて良い。こうしてついには、一画面に2人が収まる。時間軸を超えた同一人物の「共演」であり、極めてフィクション映画的だ。

キーファーは、ナチスや戦争、神話などをテーマにドイツという国の集合的記憶と対峙してきた。映画では、個人的記憶としての「幼い自分」と向き合っているような描かれ方だが、おそらくこのアイディアの出所はヴェンダースだろう。共演風のカットは編集によるものであり、キーファーはヴェンダースの孫甥が参加していることを完成まで知らなかったという。

現在のキーファーは、口笛を吹きながら極めてリラックスした様子で制作に向かっているが、その作品は端から見ると相当に不穏だ。幼少時の再現シーンでは、やはり鼻歌を歌いながら悲惨な戦争のイメージをスケッチする彼がいた。このエピソードは、ヴェンダースがキーファーにインタビューして引き出したのだろう。今も昔も、キーファーはアンビバレントな存在であり、本質は変わっていないのかもしれない。そのことをヴェンダースは一風変わった「共演」で表現した。

そんな圧倒的な時空の旅を経て、第二次大戦終結後の荒廃したドイツ(おそらくベルリン)の町の記録映像がインサートされる。ロッセリーニの『無防備都市』が描出した降伏後のローマの荒廃とは違い、人々の表情に希望の光が見えるのを見逃してはならない。現実を受け止め、未来に向かおうとするキーファーの芸術観と見事にマッチしている。

黒いコートを着込んだキーファーと、翼をモチーフにした自作の大きなモニュメントがセットになったショットは、ヴェンダースの『ベルリン・天使の詩』のブルーノ・ガンツ(=天使)を想起させるのと同時に、『パレルモ・シューティング』のデニス・ホッパー(=死神)をも召喚している。倉庫内の螺旋階段の手すりに掛けられたレディースのドレスを、キーファーが次々と床に投げ捨てるシーンは、映画の中でもひと際ショッキングだ。そういえば、『ベルリン・天使の詩』の天使は、永遠の命を放棄して人間界に降りてきたのだった。キーファーの作品が、死や墜落、破壊を内包しているのは確かだが、それら負のイメージは、現代人が「大人」になるためには避けられない通過儀礼のようなものである。だから世界は、キーファーを必要としているのだ。

(C)2023, Road Movies, All rights reserved.

ファーガス・マカフリー東京では、キーファー展『Opus Magnum』が開催されている(7/13まで会期延長)。映画で見られるような大規模な作品とは打って変わって、ガラスケースを用いたショーケース作と水彩画の計20点は、こじんまりした箱庭の趣である。

レンガや鉄素材の部品、戦闘機の模型などがくすんだ風合いで使われているのはキーファーらしい。エロティックなポーズの女性の絵が目を引くが、おそらくそれはパラドキシカルな表現である。映画でも多くのカットが登場する作品《古代の女性》では、女性のクラシカルなドレスをベースに、頭部を煉瓦や枯れ枝や鉛の板に置き換えて、女性の抑圧された歴史をあぶり出した。それと同じベクトルを感じる。

これらの小作品では、手作業の素朴な快楽を優先したことが推察されるが、問いかけの強度はいささかも減じていない。この企画展は、映画と同様にキーファーの現在地が確認できる絶好の機会となるだろう。

ファーガス・マカフリー東京

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