やせっぽちのたかゆき
僕はたかゆきが嫌いだった。たかゆきはやせっぽちで、おかっぱ頭で、その頭がとにかく悪い。それは仕方ないかもしれないけど、やる気もない。先生の言うことを全然聞いてない。だから、いつも怒られてばかりいる。たかゆきが当てられると、そこで授業が止まってしまう。テストの点も、10点とかを平気でとる。名前を書いただけで5点も貰えると言うのに。かといって運動ができるかと言うと、それもダメ。かけっこで負けても悔しがりもしない。いつもヘラヘラ笑っている。それをみているとイライラする。
それだけならなんとか我慢する。でも、汚いのは許せない。机の中に何日も前の給食のパンを詰め込んで、そこから一年中嫌な匂いがしている。引っ張り出すと、みたこともないような色になっている。鼻をほじってはそこらじゅうになすりつける。ほじらない時は鼻の下にそのままぶら下げている。いつ洗ったのかわからないくしゃくしゃの服を着てる。勉強しないくせに教科書まで汚い。
だから僕はたかゆきが嫌いだった。でも、たかゆきは付き纏ってきた。友達が遊びに来ると、呼んでもないのにたかゆきも来る。来るだけならいいのだが、余計な事をする。
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実家には大きな池があり、そこで鯉を飼っていた。遊びに来た友達は皆、その池に入って遊んだ。鯉たちにしてみたら実に迷惑だったとは思うが、ニュルニュルと繋がったヒキガエルの卵を池の底から引き上げてみたり、足の生えたオタマジャクシを手のひらで掬ってみたり、アメンボを追いかけたりはとても楽しかった。
池の奥まったところにはちょっとしたスペースがあり、そこでおじいちゃんがミツバチを飼っていた。どろりと白く濁った蜂蜜を得意げに「アヲハタ」のジャムの瓶に詰めていた。パンに塗ってよく食べさせられたが、正直言えばあまり美味しくはない。パンが美味しくないのか、蜂蜜がまずいのか、その両方なのかはわからないが、とにかく売ってる透明の蜂蜜を食べたかった。だが、おじいちゃんの趣味だから仕方ない。巣箱のあるところには子供たちが近寄ってはいけないことになっていた。手出ししなければ、ミツバチは何にもしない。簡単なルールだ。
僕たちが池に入って遊んでいる間、たかゆきの姿が見えなかった。特に気にはならなかった。別にいなくてもいいのだ。一人で木に登って遊んでいるのだろうと思った。他の子数人と網を持って池に入っていると、急にブンブン音がして、辺りの気圧が急に上がったように思えた。子供ながらに不穏な空気を感じてからは一瞬の出来事だった。気づけば視界いっぱいにミツバチが飛んでいた。
これまでたくさん虫は飼ってきた。王道のカブトムシ、スズムシ、コオロギ、何を考えたのかカマドウマやカミキリムシまで。飼ってはきたが、「虫と心が通じ合った」と言う経験は一度もなかった。だが、この時はっきりと気持ちが通じた。<俺たちは怒ってるぞ。>それをミツバチは事務所総出で表現していた。
僕たちは蜘蛛の子を散らすようにあそこへここへと走り、逃げ惑った。実際に蜘蛛の子を散らしたことはないけれど、概ねああいう状況を言うのだろう。ミツバチは執拗に僕たちを追い回し、容赦無く僕たちのシャツの中や頭の中に入り込んでしこたま刺した。ひいひいなきながら家の中に逃げ込んだ僕たち。血相を変えた母親が奥から出てきて、刺さってる針をピンセットで取り除き、台所から大量の氷を持ってきて差し口を冷やした。今思い返しても野戦病院のような光景だった。
「ミツバチは一差しすると死ぬ」と言う。そう考えるとミツバチ側の損害もかなり大きかったろう。だが、僕たちもタダでは済まなかった。かずき君は熱を出して翌日学校を休んだ。僕と母親はメロンを持って謝りに行った。その僕も、頭の中や背中に数カ所の蜂巣炎を抱えていた。おじいちゃんの趣味はそれを持って終了となった。
数人の友達の中で無事だったのはただ一人。巣箱を蹴って、ブンブン言い出したミツバチからいち早く逃げ出したたかゆきだけだった。
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そんな事件があった後も、たかゆきは図々しくも何事もなかったかのように遊びに来た。とにかく僕は一言でいい。たかゆきに謝って欲しかった。やってはいけない事をして、おじいちゃんの趣味を強制終了にしてしまったのは僕たちの方だから。ミツバチの事件の事で詰ってみても、たかゆきはヘラヘラと笑うばかりだったので、僕はますますたかゆきの事が嫌いになった。
夕食の準備が始まる頃、友達は一人、一人と帰っていく。賑やかだった家が少しずつ寂しくなり、辺りは薄暗くなってくる。でも、たかゆきが帰らない。「帰ってきたウルトラマン」の再放送を一家の一員のような顔をして、ど真ん中でみている。そのおかっぱ頭の後ろから、僕は「そろそろ帰れよ」の念波を送った。
「夕食の時間だよ。そろそろ帰らないとご両親が心配するよ。」
みかねた母親が声をかけた。
「大丈夫。」
たかゆきはテレビから目を離さない。全くくつろいでいる。すごい心臓だ。
「じゃあ、せめてうちにいるって電話しようよ。電話番号教えて。」
母親が言うと、
「お父さんもお母さんもまだ帰ってこないから。」
そう言ってたかゆきはヘラヘラと笑った。
その日、たかゆきは居座り続け、僕らと夕食の食卓を囲んだ。ハチミツの趣味をダメにされて微妙な表情のおじいちゃんも一緒に。僕はたかゆきみたいな礼儀知らずと友達なのを、両親に申し訳なく思った。別に頼んで友達になったわけではなかったけれど。
味をしめたのか、その後もしばしば汚れたランニング一枚の姿でたかゆきはやって来た。夕食の頃になると、僕は毎度全力でたかゆきを追い払おうとしたが、いつもヘラヘラ笑ってどこ吹く風だった。母親が作った夕食をしっかり食べて、「じゃあまたね」と夕闇の中を一人で帰っていった。ご両親から連絡が来ることは一度もなかった。「またねじゃないよ、もう来んな」と思った。
突如としてそんな日々は終わった。学年が4年生に上がった時、たかゆきはいなくなった。転校したのだ。行き先は誰も知らなかった。
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「子ども食堂」のニュースを最近よく目にする。その度僕はたかゆきの事を思い出す。友達とは思っていなかった。迷惑そのものだった。嫌いだった。
でも、大人になった僕は、胸の痛みとともに思い出す。汚れたランニングを、やせっぽちの体を、おかっぱ頭を、そしてヘラヘラした笑顔を思い出す。
たかゆきは元気にしているのだろうか。
お腹は空いていないだろうか。
もう少し優しくすればよかったろうか。
(了)
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