【古文漢文】台湾を自転車で一周してる奇人の戯言【廃止論者】
はいさーい。
時は2024年2月末っ!
沖縄一周はただの序章に過ぎなかったのであるっ!
ということで表題にあります通り、今度は果敢にも台湾一周にチャレンジしております。
トップの画像にありますように、台湾を一周することを「環島」
といいます。
あんまりイメージ無いかもしれませんが台湾って自転車大国です。
有名な自転車ブランドのGIANTも台湾のメーカーなんですね。
今回は台北市内の夜市で有名な士林夜市の近くにあるMathew Bikeさんでバイクをお借りして環島に挑むことにしました。
GIANT直営のレンタルショップもあるらしいんですが値段はMatthewさんの方が断然安いんで、今無職とかニートだけど環島をきっかけに自分を変えたい!
というパーソンがいたらABBに連絡下さい。
旅は人を強くしますよ。
初日に首都の台北から新竹へ。
2日目に新竹から員林へ。
本日は中南部の嘉義という街にたどり着き、安宿に潜伏しているABBです。(3月上旬)
現在旅の様子をリアルタイムでインスタにあげてるのでフォローしていただけると泣いて喜びます。↓
https://www.instagram.com/abb_kids_wills?igsh=MWJtbjN1NHJpcnd3Zw==
20歳そこそこの時に初めて空港から徹頭徹尾一人で海外旅行をしたのが台湾でした。
あれから十数年が経ち、まだあどけなさが残る若者は立派な住所不定無職へと成長し、どういうわけか自転車で台湾を一周しています。
人生って不思議ですね。
ちなみにABBは、中国語は全然ダメで、話せる言葉は、ニーハオ(你好)とシェイシェ(謝々)と、オーヤンフィーフィー(欧陽菲菲)位です。
そして下の画像を見て欲しいんですが、ある程度書いてあることを理解、類推することができるのが漢字を使用する日本人にとってはかなり楽です。
うん。理解できますね。
とまあ、文字は共通点がある日本と台湾ですが文字の発音がかなり違うのでコミュニケーションを取るのには英語が必要になってしまいます。
なんか不思議かつ残念ですよね。
隣の国でこんなに読めるのに。
※これ結構欧米圏の人に話すと驚かれることがあります。
日本人にも義務教育とまでは言いませんが高等教育で中国語をやっても良いと思います。
漢字文化圏以外の国地域の人よりは断然覚えは早いはず。
少なくとも古文漢文を大学入試の必修科目にする位なら現代中国語をやろうよ。
というのがこの記事の趣旨です。
中学、高校時代はかけがえのない時間ですよね。
青春時代はあっと言う間に嵐のように過ぎ去って行きます。
果たしてこの貴重な時間を古文漢文の学習に充てることよる意味とリターンはどれ程あるのでしょうか。
「因数分解なんか将来使わねーよ!!」
的な事を言うDQNがあなたの周りにもいたと思いますが、まぁ確かにそうなんです。
ABBはこれまでの三十余年の人生の中で、
「因数分解が出来たお陰であの難局を乗り切ることができた」
「因数分解が出来たお陰で部活でレギュラーになり、気になるあの子のハートを射止めた。」
のような進◯ゼミのポスティングされてくるチラシの中の漫画のサクセスストーリーのようなことは起きませんでしたし、これからも無いでしょう。
でもね、日本は理系の技術立国なんです。
すべからくの国民が因数分解なんかできなくても良いんです。
100人に教えて1人が物になれば良し。
とにかく分母を大きくして選別して優秀な人材を創るために必要なステップなんです。
この国は因数分解とか物理とかが得意だった理系の彼、彼女に支えられているんです。
数学は必要なんです。
ただし古文漢文、テメーはダメだ。
学問としての古文漢文を否定したいわけではないですよ。
高1の前期とかでちょろっとやって興味がある人は深堀りすれば良いし、大学で更に追求するのも良いと思います。
だけども数千年の中国語と、千数百年前の日本語。
これ個人にとって、国家にとって何の意味があるんですか?
ABBは高校時代いつも
「あなや!」じゃねーよ(笑)
と思い、少しも勉強しませんでした。
なんか内容も薄くてしょうもなくてJKの日記かよ笑
って当時は思ってました。
(関係者の人ごめんなさい。)
つまり、これを大学の必修科目にして、若者達のリソースを注ぎ込んで誰のためになりますかね?って話なんです。
古文漢文の時間を英語のスピーキングを強化なり現代中国語をやるなりする方がこれからを生きる若者達の為になるとABBは思います。
現代中国語を軽くかじれば中国本土、台湾、香港、マカオやシンガポール、東南アジア各国の華僑とコミュニケーションが取れるようになります。
残念ながら古文漢文が出来ても、高確率であなたの人生にとって役立つことは無いでしょう。
古文漢文が時間が限られた若者にとって有益であり、社会の多くの人にとって役に立つ学問であるはずがあるだろうか。
いや、無い。
それではまた。