健康やヘルスケアのデジタル化の限界と人間だからできること
近年、ヘルスケアのデジタル化が進んでいる、とはいえこのトレンドは10年以上前からある動きだ。一般に降りてきたのは、スマートウォッチをはじめとしたIoT家電の登場だろう。常に心拍数は測ってくれるし、睡眠の質も測ってくれる。体組成計は記録をグラフ化してくれる。最近では「体重計に乗る」という行為もシームレスに行って測定してくれるそうだ。なんて便利な世の中だろう。
近年のサウナブームでは「ととのい度」っていうものも測定できるらしい。
ここまでくると、全てがデジタル化し、管理されていくのではないか、という疑念が湧いてくる。事実世界はその方向性に向かっていて、それらの開発者はその技術によって人間は健康への意識の高まりと、豊かな生活を送れると信じている。この考えに関しては疑問を禁じ得ないが、ここでは別のところに注目していきたいと思う。
今回論じるのは、「ヘルスケアデータの限界」だ。
機械が測定すること
まず大事なのは、データは、機械が測定したものであるということだ。そしてこの測定するというものは、人間がある程度数式をいじくり回して、機械に埋め込んだものである。つまりこの測定したデータというものは、人間がある程度ターゲットを決め(何を測定したいのかを考え)、機械が理解できる言語、すなわちデジタルに変換したものである。キーワードは
測定対象が決められている
データはデジタルなもの、非連続なものである
データを作ったり、扱っているのは機械である
この3つだ。そしてこれこそが機械ができる、データができることの限界を示している。機械は測ろうとしていないデータは表示することすらできないし、アナログなデータを扱うことはできない(無限に分割して擬似化することはできるが、それが無意味なことも後に示す)。そしてそのデータを扱っているのは、人間ではなく機械だ。体重計だったら圧電素子の電流によってかもしれないし、体脂肪だったらインピーダンスの値だろうか。しかしその値を扱っているのは機械であり、それを人間にわかるように出力しているに過ぎない。しかし機械は体重も、体脂肪も持っていない。あるのは結果だけだ。
データが示すのは
「しかし数多くのデータがあることにより、睡眠の質を測ることができるし、ととのい度も測定できるじゃないか。一つのデータだとわからないかもしれないが、たくさんのデータを集めればわかるはずだ」
確かに、測定対象が決められているならば、その全てを測定してしまえば解決するのではないか。だがそれが示すのもやはり限界がある。
例として、体重と身長から導き出すBMIを考えよう。BMIの計算式は
BMI = 体重(kg)/ 身長(m)^2
つまり二つのデータを使い、より実用的なものにしている。今回は二つだが、これが100個のデータを使っていようが関係ない。
なぜこれが意味がないのか。何が限界なのか。たとえば、身長170cm、体重65kgのAくんを想定しよう。AくんのBMIは22.5だった。
それで?
ここが問題だ。BMI 22.5, 身長 170cm, 体重 65 kgのAくんだが、AくんはBMI 22.5, 身長 170cm, 体重 65 kgでは記述できない。それはもちろん当たり前だ。
だが、計算上AくんはBMI22.5だ。BMIのグラフ表記では、22.5のところにAくんがいるはずだ。だが、もちろんAくんはそんなところに存在しているわけではない。
そう、データに書き起こしてしまうと、その人は消えてしまう。データに「当てはめる」ことはできるが、データが人間そのものになることはない。40代から病気のリスクは高まるかもしれないが、40代の人間全てが病気になるわけではない。それは統計だからだ。データではそうだが、実際あなたがそうだというわけではない。ここにすでに機械の限界がある。もちろん、予想、統計データとして考慮することは大事だ。しかしそれが全て私たちに当てはまるわけではない。科学的に正しいと言われている論文全てが、私たちに起こるわけではない。
制度化した病気
確かにデータを集めて、こねくり回すことによってわかることもある。BMIもただのデータだが、痩せ気味や太り気味などの判定を行うことができ、ここは重要な点だ。
だがここにも同時に弱点を抱えている。それは非連続的ということだ。非連続的という言葉を簡単に説明する。先ほどのAくんは65kgだ。だが、体重計で測るとそう見えるだけで、実は65kgよりちょっと重い。精巧な体重計だと65.3kgだった。だが、たまに数字が65.2kgの表示になる。そうなると、どうやら65.2kgから65.3kgぐらいの間らしい…
このように、デジタルな世界だと決められた定規のメモリを基準として計らなければならない。デジタル時計は1秒単位で数えてくれるが、1秒未満は切り捨てられる。それこそ、階段のステップのように数えていく。アナログ時計は数字として時間を教えないが、連続的な動きによって1秒未満も表現することができる(もちろん、1秒単位で動く秒針や後ろの歯車を考えるとデジタルなのかもしれないが)。もちろん、デジタルはこの階段のステップをできるだけ細かくして、スロープのよう、すなわちアナログのメリットを取り入れようとしている。それが先ほどの体重計のように1桁多くすることで測る単位を細かくしていく手法だ。
なるほど確かにこれなら間の細かい数字も記載でき、普段使いには困らないだろう。
だがあまりにも細かい数字には弱点もある。それは単純に扱いが面倒なことだ。たとえば体重が65kgだろうが65.3kgだろうが、関係ない人はいるだろう。1秒より小さい単位を気にする必要は普段ではないだろう。
そして何より、データを扱うのが面倒になる。統計でデータを扱うとき、大まかな集合を作らなければならない。国民の体重の統計をとるなら、0.1kg単位ではなく、5kg単位ぐらいでグラフを扱うだろう。統計的に言えば0.1kgぐらいなど誤差でしかなく、無視するのが普通である。そして何より、わかりやすく、データの分析も簡単になる。
その最たる例が、BMIの肥満度判定である。日本肥満学会が決めた値によると、18.5未満が低体重、25以上が肥満となっている。ちなみに肥満は1から4まで分類されている。18.5から25までが普通体重となるわけだが、これは身長170cmの値においては約53.5kgから72.3kgとなる。これから0.1kgもズレると、低体重や肥満の判定がなされる。ここでのポイントは
標準体重の幅が広いこと
低体重、標準体重、肥満の間が一歳ないこと
の2つだ。なぜこのように幅が広くなってしまっているかというと先ほど挙げたデータのわかりやすさだ。肥満度の1から4も含めても、6つの判別しかない。だがこれはとてもわかりやすい。ちょうどグラフ化して見やすくなる。
だがしかし18.6や24.9といった値は本当に標準で、健康と判断されるのか?25.0は確実に肥満と言い切れるのか?これがデジタルの階段が大きい弊害だ。残念ながらこの判定では6つにしか人間を分類することができない。もちろんそのデータの中にいる人たちは、グループで全く同じ人間はいないが、近似され、「標準体重」などの枠組みで扱われる。
データと個人
デジタルで扱われるデータというものは所詮、誰かが扱いやすくするために加工したものに過ぎない。BMIの数字を機械が判定して痩せろというには役立つだろう。だがそれは統計的な人間に向けてであり、あなた個人にむけているわけではない。おそらく、あなたはこの人たちと相同性があるのでこのアドバイスが当てはまるだろうといったデータに基づく当てずっぽうである。
「最新AIがあなたに合わせてパーソナライズしたプランを」なんていう謳い文句は、BMIが2つの指標を扱ったのに対して、せいぜい10個程度しか指標を使わず、散布図をかき、統計的データに基づき、似通った人間に向けてのアドバイスであり、もちろんあなた自身にパーソナライズしたわけではない。
同様に医者たちも同様の症状の統計的データから症例を導き、判定するのは間違いない。ではこの二者の違いは何であろうか。
それは間違いなく、その人個人と向かい合っていることだろう。確かに大まかな分類にはデジタルが役にたつ。しかしBMI24.9といったデジタルがすり抜けた値や、体重計に乗っている方、問診している方の表情は今のところ機械は判別しない。これは判別できないわけではない。表情の動きくらい、機械に判別することはできる。だがなぜそれをしないのか。おそらくこれはコスト構造を無視してもしばらくは起きないムーブメントである。
その理由は、判別が役立たないと、機械が、システムが判別しているからである。体重が大きかろうと少なかろうと表情が変わるとは限らずに、データと結びつけることはできない。統計的データをとって分析することができない。この理由から体重計や問診する部屋にカメラをおいて表情の教師データを集めることもしない。
だがもちろん、BMIが標準であろうと悩みの顔を浮かべる人はいる。体重が0.5kgでも増えると発狂してしまう人もいる。そんな人に、AIは例外データとして弾いてしまう。だが向かい合った医者やトレーナーたちは、その悩みの顔を、「標準」として見逃すことはできない。どんなに大量の条件で統計学的にデータを分析したところで、向かい合っている人間はオリジナルで、唯一なのだ。機械自体は悩みを持たない。データは第三者の客観的データでしかなく、主観性がない。悩みを分析することはできるが、それも統計データがなければいけない。その人が抱えている悩み、感情というものはきっとその人しか持っていないものであり、ついには向かい合っている医者やトレーナーたちにもわからないかもしれない。だが統計の外れ値として扱わず、一緒に考えていくことは、それもまたわからないなりに向かい合う人たちなのだ。
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