自己矛盾と自己受容と
その、中の矛盾に気が付くか
気が付いたらその矛盾をどうするか
全ては自分次第で選んでいける
人はたくさんの矛盾を抱えていきているもの
それを私はダメなことだと捉えて、
自分に厳しすぎた時間が長くて、
それは他人にも影響していく。
それが正しいと思って生きてきたから
だからたくさん傷つけた人もいると思う
ごめんなさい。
それは私自身もそうだから。
自分で自分をたくさん傷つけて生きてる。
心の声に従えば、本当は
寝ていたい
動きたくない
さぼりたい
何もしたくない
一人でいたい
ひとりでいたくない
それを表に出したときに出てくる
他人からの評価を恐れて
半ばあきらめながら動き続けてきた結果
そこから得られた楽しみもたくさんあって
みんなで出来た達成感
ひとから言われた「ありがとう」
大きな矛盾はその代償も大きくて
声にならない心の声は
蓋をしながら増殖していった。
それは「言葉」としてでは無く
「痛み」として自分の身体を傷つけていく
人の身体って良くできています。
その事に気が付いたときに
自分自身と向き合うという本当の意味が
やっと理解でき、矛盾も全てがそのままでよくて
ただ、自己受容を繰り返しながら、
心と体の声を聞き続けていくことだと知った。
そうやって、生命のリズムの流れの中に
人はいつも漂っていて
知らず知らずのうちに
ジャッジしている自分がいて
社会的地位というのが強くなればなるほど
泣き言を言えなくなっていって
さらに矛盾の幅も大きくなっていく。
目の前の景色が何を見ていても、
過去を思い出しても
夢の中でさえいつもグレーの世界で
無理やり陰影をつけていた気がしています。
人の数だけ色々な考え方があり
それが個性であることも判っているし、
歯車の中で生きてきた価値観が
突然歯車を外したときの
動けない恐怖は想像以上で、その時こそ
「自己信頼」と「心地良さ」と「環境」
これが大切なのだと感じています。
自分を愛するとはそういうことなのかな。
自由であることと不自由であること
相反する事柄の中に矛盾があり
世界はそうやって矛盾を抱えながら
創り上げられているものなのだろうと、
その中から、自分の心地良さを選んで選んで
選びぬいて生きていくから
誰にも責任は無いし、誰も責めない。
きっとその人の中の価値観が違うだけだから。
生きていくという事に、そんなことを考えながら
暮らせるこの国はやはり幸せなんだと思う。
世界には生きていくだけで精いっぱいで、
安全も約束されていない場所がまだまだ
あるのですよね。
だからやはり感謝しかない。
そして自分を大切にしていく自己受容は
周りの人にも影響していくと信じて
全てがそれでいいんだと思える生き方が
だれか一人にでも届けられたら嬉しい。
それがウェルネスな生き方なのだろうと
そんな風に思います。
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