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自分の心の守りかた

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ありがとうございます。


今、
昨今の世の中の流れに翻弄されぎみで
心が何となく疲弊している、

これまでスムーズに流れていたはずが、
常識という概念が変わり始めて
違和感の中、戸惑う心に揺れている。。


実は私もそんなひとりです。


一人のリーダーとして守りたい相手や仲間が
いると、自分が助けてほしいなんて、
なかなか言い出せ無いものですが、

同じ人間ですから。

時々弱音も吐きます。

ただ、救いは必要で、
今の私にとっては禅の言葉がそうなのです。

偶然YouTubeで拝見したお坊さんの動画に
引き込まれるように、
自分の生き方と考えと、答え合わせをするように
見ています。


物事の白黒の陰影がはっきりしていればしているほど
その判断をした心は大きく尖り、
その代償は一番に身体への負担という形で出てきます。

これは私自身がそうだったから人体実験済なのです。

そして、世の中の人は
その人の観たいように世界を見るし、
人をみています。

その時に、
自分とは相容れない意見や反応があったとしても
それは相手にとってそうであるだけで、
自分にとってはどうなのか。ということがとても
大切だと思うのです。

そして、人の言葉に振り回されない。

自分の心を守るためにはそこにバリアを貼る必要があるのです。


人の身体は外からの色々な影響を受けても生きられるように
免疫で守られています。

心にもそれが必要なのです。

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禅の言葉で

浄裸々(じょうらら)
承當を絶し(しょうとうをぜっし)
赤酒々(しゃくしゃしゃ)
か臼没し(かきゅうなし)

きれいさっぱりと何も受け取らない
心になんのとらわれも抱かない
そして自分の心を汚さない

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

というような意味だそう。

世の中の外から入る情報や言葉にきちんとフィルターを掛けて
何でも受け入れない。
耳から入ったことを心で考え、
受け取るものと受け取らないものを決めていく。
受け取る時には素直に受け入れる。


自分の命さえも、心が受け止めて身体が反応し
決めていくこともあるのです。

情報の多すぎる時代だからこそ、
それが必要なのではないでしょうか。

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