悲しいライブラリー

 TSUTAYAライブラリに来ている。

 ここは通常のTSUTAYAとは異なり、CCCが運営をまかされているが、れっきとした自治体保有の施設である。

  筆者の方は現実をよくご存知だ。そして図書館側の人によるTSUTAYA図書館への批判は、ナンセンスだね。

 無類の本好きの私からすると、日本の図書館なんて既に終わってる。もっと言えば、帰国してすぐに滞在していた場所の近くの国立大学で、図書館カードを作ったのだが、本棚においてある書籍が古すぎてびっくりした。IT系の本を見に行ったのだが、読むべき本が見当たらす(基本的なデータベース理論やネットワーク関係のものなら、古いものでも参考になるが)、ここの学生さんは、ほぼデジタル書籍を参照するんだろうなぁと漫然と思ったが、もしかすると違うかも。

今住んでいるエリアの公立図書館にもすぐに行ってみたが、同じ状態だった。いや、まだ休憩エリアの近くにある雑誌コーナーは、読むべきものがありそうだったが、いかんせん私は楽天マガジンのユーザーだ。特に積極的に見ようとは思わなかったのだ。

 そんな私が、CCCのTSUTAYA(ライブラリ含む)に足繁く通い定点観測しに来るのは、そこに大きな価値があるからだ。

 本のディスプレイの仕方にもノウハウがあるんだなと感じさせてくれる。

 個人的には、本気で読みたい&買いたい本は、ネットで探してデジタル版を買う。本音を言えば、紙の本は極力買いたくない。出版された本にデジタル版がないと知れば、少しイラッとする。

人々の生活がデジタルで完結するようになってくると、「偶然の出会いからのインスパイア」の機会が圧倒的に減る。インターネットの世界は、自分で能動的に打ち込んだキーワードに反応する。

今までの人生で考えたこともないテーマの本を、手に取る機会はほとんどない。なぜなら能動的にキーワードを打ち込まない限り、画面に表示されないからだ。

でもTSUTAYAは違う。

お手洗いに行こうと席を立ち歩みを進めたときに、目につく表紙があったりする。こんな世界があったのかと思う。手にとってみてパラパラとめくる。何かが脳内で弾ける。何かのシナプスが繋がる。こういうことは人生に多々ある。人との出会いも会話もそうである。予定調和ではない。相手も感情を持つ人間だからだ。

既存の図書館が、そんな出会いを演出できるとでも?

既存の図書館は巨大で、かつフロアが分かれている。自分でそれを探しに、その場所に行かない限り見つからない本。そしてそれらの本は背表紙のタイトルしか見えていない。

図書館側の人で、この違いが分からないなら、延々とその狭い世界で、指をくわえてTSUTAYAをディスっていればいい。

今もちょっと目を上げると、本棚の前で本を手にとってパラパラとめくって見ている人がたくさんいる。彼らは、ここが普通の公立図書館なら、本当に来たのかな?

図書館よ。あなたは本との偶然の出会いを、演出できるかしら?



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