シニアにこそ、没頭カタルシスが必要
毎日のようにお花摘みをしている(汗)。
毎朝、お花摘みを始める度に、脳内が「どうせ安い労働力。私の安い労働力だ。」という自虐的な言葉が脳内に浮かぶ。
なのに。
気づくと無心にパチパチと収穫をしている自分に気づき、少し驚く。
「私、いま何も考えてなかったよね!?」
自分が何かの作業に没頭していて、脳内が空白で。
もっと言えば、脳内に蓄積された澱(オリ)のようなものが溶けていくのを感じているのだ。カタルシス(浄化)とも呼ばれる、あのスッキリ感だ。
人によってカタルシスを得られる手段は異なるが、自分の目前の何かに熱中している時に、他の雑念が消えてまさに「一心」になる。
そうすると、世の中の大抵のことは、「ま、いっか」と思えるようになる。
大事よねぇ。
そうやってストレスを少しずつ解消して募らせないことって。
屋外でいろんな人にケンカ打ったり、暴言吐いたり、クレーマーになったりする過程に、少しずつでも鬱々とした感情を浄化させる手段があったなら、「ま、いっか」の境地に至れたかもしれないのに、その手段を持たないというのは辛いわけで。
周囲も辛いが、おそらくご本人もイライラから逃れられずにお辛いだろうなと思わなくもない。
「趣味を持たずにリタイアすると老化が早い」とか言われたりもするし、「仕事一筋だった方は、仕事が趣味化しており、リタイア後のヒマな時間を持て余し気味で、それは男性に多い」とも言われる。
だから若いうちに何らかの趣味を持っておくのは良い、というのはその通りだと思う。
でもね。私もカナメも現役世代とは全く違うものに興味をもって色々とやっているリアルを知っているので、あまり「老後に備えた趣味を」と構えなくても、仕事が趣味の方は、仕事にまい進するのが良いと思うのよね。
本気で能動的に仕事に取り組んできた方は、頭脳はチャキチャキで考える力が残っている。ならば、老後は老後で考えればいい。
将来のために何かを備えるというのは、人生において1%くらいの比重で十分。将来のために生きてるわけでもなし。今、自分がやりたいことをやっていることの快感が、「次の何かへの好奇心につながる」と思うからだ。
つまり。
何かに熱中したり、没頭したり、そうすることで脳内のネガティブな感情を消化して浄化して来れた人は、歳をとっても、それなりに新しい何かを見つけて楽しみを見いだせる。
それこそ、生きるスキルなんじゃないかと、最近思ったりもする。「生きていることの快感」が、すなわちそれであるからだ。
20代でこうなっていないとダメだとか、
中高年のうちに、これをやっておかないとダメだとか、
シニア初期には、こうあらねばならないとか、
確かにベターな選択肢は色々とあると思うけれど、なんでもかんでも備えられるわけでもなし。備えておいても色々とイレギュラーなことが起こりがちなのがシニアである。
「こうあるべき」というのが、最も自分を生きにくくする言葉だと思うのだ。
ご機嫌なシニアになるには、子供の頃から今に至るまでの、いついかなる時期であっても、なにか没頭できるものを持っていることは大事だ。それが、オタク道であっても、推し活でもいいけれど、できれば自分の体を使うもの、手足を動かすもの、制限なくできるもの、がいいね。
まぁ、それを人は「趣味」と呼ぶのだけれど(汗)。
手足が動かせるうちに、大いに動こうじゃないのw