療養中の仕事❶
前回までの話し…
金のない私はその費用をローンで払う事にしていた。
25〜30万くらいだったと思う
すごい大きい額じゃないけど金がないくせにこの状態
…
私の実家は金がある家ではない
やはり
自分でどうにかしなきゃいけなかった
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状況がクリアになり、
症状はもちろんまだある状態だか
気持ち的に少し落ち着いた頃
私は仕事を探し始めた
今まで飲食店でバイトをしていたが、もちろんそんな業種はできない。そして、うちの実家はすごく田舎で仕事を選ぶほどない
見つけたのは短期の工場の仕事
同じ作業を繰り返しやるような仕事なら、体調が悪くてもなんとか隠しながらできると思ったからだ
もちろん私の症状のことは伝えてない
仕事初日、
久々で田舎での仕事は
やはり一人暮らしのときとは環境が違った
まず、他のスタッフが事務所に入っていく時、
ドアをノックせずにガラッと開けて入って行くことにまず驚き
雰囲気ものんびりしている
通勤は最初は母に朝送ってもらい
帰りは最寄駅(歩いて30分くらい笑)まで歩き、仕事後の母に迎えに来てもらっていた。
かなり負担をかけ、迷惑をかけていたことに申し訳なく思う。
東京で一人暮らししていた時
私はバイトの掛け持ちで働いていた
一人暮らしをスタートした時、
金と仕事に困った(自己責任)ことがかなりトラウマになっていた事から、休みも上手く取らずに働いていた
お金もギリギリだったから
そういえば、遊びに行ってなかった。
どこにも。
ていうか、遊ぶ友達がいなかった笑
その時、私は絵を描いていたのだけど(仕事になればいいなーというかなり甘い考えがあった)
朝からバイトに行って帰ってきて寝る
少し時間があれば絵を描く
後から思うにこの1人でずっといるのよくなかったが…
ともかく、必死に東京で仕事ばかりしていた私は
その田舎ののんびりした雰囲気にあっけにとられた
仕事だけでなく、スーパーなどにいってもセカセカしている人を見かけない。不思議だった
(このへんについては長くなるのでまた書こう)
頭がおかしくなっているのに、
その差がさらに頭を混乱させた
始めた短期の仕事は3ヶ月間だったと思う。
途中で頭が重くなり
記憶が飛びそうになるような感覚になることもあった
最後まで粘ったが、結局その契約期間満了出来ず2ヶ月くらいで辞めることにした
母に後少しだから頑張ればと言われたが
無理だった
自分で言うのもなんだか
私は頑張り屋さんだし痛みにも我慢強い
(今通っている整骨院の電気治療でも先生にこの電気一般の人の3倍だよ〜と言われるくらい)と思う
そんな私が無理!と言うのだから無理なのだ
そして仕事辞めた後、
症状が悪化してしまった(自業自得)
外出出来ないレベルまで…
直ぐに何とかしなきゃいけないお金はその給料で
なんとかした覚えがあるが、
自分を大切にするより
金を稼ぐ事を優先した結果がこれだった
次は、その悪化してどうなったか…を書きますね
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…To be continued
Mayu ☺︎
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