コーヒーの教科書 第四章

【これまでの進捗(概要)】
• はじめに
• 第1章:コーヒーの歴史と文化
• 第2章:コーヒーの植物学(アラビカ、ロブスタ、品種)
• 第3章:生産地のテロワール(地域別特徴)
• 第4章:収穫から生豆加工まで(精製方法、品質管理)

次は、第5章「流通とサプライチェーン」へ進みます。

【第5章:流通とサプライチェーン――フェアトレード、ダイレクトトレード、サステナビリティ】

コーヒーは生産地と消費地が地球規模で離れており、複雑な流通網を通じて市場に供給される。生豆が農園を出てから、輸出業者、輸入業者、ブローカー、ロースター、カフェオーナー、そして消費者へと渡るまでには、複数のプレイヤーが関与し、経済的、社会的、環境的な影響が発生する。本章では国際的なコーヒービジネスの構造、フェアトレードやダイレクトトレードなどの取り組み、持続可能性への課題と対策を扱う。

5-1. コーヒー市場の構造と価格変動

コーヒーは国際商品取引所(ニューヨーク、ロンドンなど)で取引され、アラビカはニューヨーク、ロブスタはロンドンの先物市場が価格のベンチマークとなる。先物取引は投機的要因にも左右され、天候不順や政治情勢、通貨変動などで価格が乱高下する。

この価格変動は、生産者にとって大きなリスクを伴う。コーヒーの木は植えてから収穫まで数年を要し、投資回収には長期間が必要だ。一方、世界市場で価格が暴落すれば、生産コストを下回ることもあり、生産者の生活が脅かされる。

5-2. 多層的なサプライチェーン

伝統的なコーヒー流通では、農家から生豆を購入する際に中間業者(集荷業者、地域ブローカー)、輸出業者、輸入業者など多くの仲介者が関わる。これらの仲介者はロジスティックスや金融、品質管理などのサービスを提供するが、その分生産者の受け取る利益は薄まりがちであった。

先進国でローストされたコーヒーは、カフェチェーンやスーパーマーケット、オンラインストアなど多様なチャネルで消費者に届く。多層的なサプライチェーンは、品質管理や安定供給に役立つ半面、トレーサビリティや公正な利益分配を難しくする要因ともなってきた。

5-3. フェアトレード(Fair Trade)の理念と実践

フェアトレードは、農家に公正な価格を保証し、労働者の権利、環境保護、地域社会の発展を目指す運動である。消費者がフェアトレード認証商品を購入することで、生産者に追加的なプレミアムが支払われ、適正な収入やコミュニティ投資が可能になる。

フェアトレード認証のメリットと課題:
• メリット:生産者の生活改善、安定的収入、教育・医療など地域インフラ改善、消費者が倫理的選択を行える。
• 課題:認証取得コスト、生産者側の書類管理・監査対応、プレミアムが必ずしも大幅収入増につながらない場合もある。また、フェアトレード認証は品質向上を直接保障するものではなく、価格保障と倫理的基準が主眼である。

5-4. ダイレクトトレードとスペシャルティ市場

スペシャルティコーヒーの普及により、ロースターやカフェは特定の農園や生産者と直接取引する「ダイレクトトレード」に注目している。ダイレクトトレードでは、中間業者を減らし、生産者により高い報酬を支払いつつ、品質向上や安定供給を確保する。

ダイレクトトレードの特徴:
• 生産者とロースターが直接コミュニケーションし、品質改善や栽培手法の提案、収穫時期の調整などを行える。
• ロースターはストーリー性やトレーサビリティを強調し、ブランドイメージを高める。
• 生産者はプレミアム価格を得やすく、長期的関係構築により収入の安定化が期待できる。

ただし、ダイレクトトレードはスケールが小さく、すべての生産者・ロースターが採用できるわけではない。また、ロースター側に専門知識や現地訪問が必要で、コストや労力がかかる。

5-5. サステナビリティと環境保全

コーヒー生産は熱帯林の伐採、単一栽培(モノカルチャー)、農薬使用、土壌浸食など環境への影響が懸念されている。シェードツリーを活かしたアグロフォレストリーや有機農法、自然栽培は生態系保護に寄与するが、生産コストや労働量が増える可能性がある。

気候変動は、適した栽培地域の減少や病害虫被害増大、収穫量の不安定化をもたらし、将来のコーヒー供給に深刻な影響を及ぼし得る。サステナビリティを重視するロースターやブランドは、環境認証(Rainforest Alliance、Bird-Friendlyなど)や炭素排出量削減プロジェクトに取り組み、消費者に環境配慮型コーヒーを訴求している。

5-6. 経済的公正と社会的課題

コーヒー産業は発展途上国の農村部経済を支える主要産業であるが、児童労働や不公正な労働条件、ジェンダー格差、貧困問題などの社会的課題が依然残る。フェアトレードや倫理的サプライチェーンを構築することで、こうした課題の改善が期待されるが、一朝一夕には解決しない。

近年は「Living Income(生計所得)」という概念が注目されており、生産者が基本的な生活水準を確保できる収入を得るための価格設定や支援策が模索されている。

第5章まとめ

世界規模のコーヒー流通は複雑で、多くのステークホルダーが関わる。その中でフェアトレード、ダイレクトトレード、認証制度、サステナビリティ推進など様々な取り組みが行われている。品質やストーリー性を追求するスペシャルティ市場は、生産者と消費者をより近づけ、公正で持続可能なビジネスモデルを確立しようとしている。

次の章では、コーヒーの風味を決定づけるもう一つの重要なステップ、「焙煎」について詳しく見ていく。生豆が熱によって化学変化を起こし、香り高いコーヒーへと生まれ変わるプロセスを理解することで、抽出前の最後の関門といえる焙煎の奥深さを探る。

【第6章:焙煎――化学変化、焙煎度合いと風味の関係】

焙煎(ロースト)は、生豆に熱を加えてさまざまな化学変化を引き起こし、コーヒー特有の芳香成分と複雑なフレーバーを生み出すプロセスである。焙煎はコーヒーの最終的な風味プロファイルを大きく左右し、同じ生豆でも焙煎度合いやプロファイル(温度上昇カーブ、通気量、時間など)によって全く異なる味わいが得られる。

6-1. 焙煎の基本原理

生豆は水分約10〜12%を含み、淡い緑色をしていて、生のままではほとんどコーヒーらしい香りや味はしない。焙煎によって以下のような変化が起こる:
1. 水分蒸発:
熱が加わると水分が蒸発し、豆は軽くなり、内部に空隙が生まれはじめる。
2. メイラード反応(Maillard Reaction):
アミノ酸と糖が化学反応を起こし、褐色化と芳香成分生成を引き起こす。これによりロースト香やカラメル風味が形成される。
3. キャラメリゼーション:
豆内部の糖分が分解され、カラメル化が進むことで甘みやコクが増す。
4. 第一次クラック(First Crack):
水分蒸気やガスが内部圧力を高め、豆がパチパチと弾ける音を立てる。豆が膨張し、内部構造が変化して風味が顕在化してくる。
5. 第二次クラック(Second Crack):
より高温で進行すると、セルロース骨格が崩壊してスモーキーな香りが増し、焙煎度合いが深くなる。

焙煎士(ロースター)は、これらの段階や反応をコントロールしながら、理想的な風味バランスを求める。

6-2. 焙煎度合いの分類

一般的に、焙煎度合いは「ライト」「シナモン」「ミディアム」「ハイ」「シティ」「フルシティ」「フレンチ」「イタリアン」など、複数の呼称で表される。これらは地域やロースターによって若干のずれがあるが、おおむね以下の傾向がある。
• ライトロースト:
明るい酸味、繊細なフレーバー、フルーティー、フローラルなアロマを保持しやすい。酸味を生かしたスペシャルティコーヒーでよく用いられる。
• ミディアムロースト:
バランス型。酸味と甘みが調和し、コクやチョコレート系フレーバーが出始める。
• ミディアムダーク(フルシティ)ロースト:
酸味はやや穏やかになり、甘みと苦味、ロースト香が増す。チョコレート、ナッツ、キャラメルなどのリッチな風味。
• ダークロースト(フレンチ、イタリアン):
豆表面に油分が浮き出し、苦味やスモーキーなフレーバーが強まる。酸味や果実味はほとんど消え、ロースト由来のコクや苦味が前面に出る。エスプレッソブレンドや深煎り好みのマーケットで需要がある。

6-3. 焙煎プロファイルと温度管理

焙煎機には直火式、熱風式、半熱風式などのタイプがあり、熱伝達方式や容量により特徴が異なる。ロースターは、温度上昇率、通風量、時間を細かく調整しながら、特定の時間帯で特定の温度や反応を狙う「プロファイル」を設計する。

データロガーやソフトウェアを使ってリアルタイムで豆温度、環境温度、排気温度をモニタリングし、複数回の試行錯誤を経て理想的なプロファイルを確立する。これにより同じロットの生豆でも安定した品質を再現できる。

6-4. 風味成分の変化

焙煎中には数百種類の揮発性・非揮発性化合物が生成され、コーヒーアロマやフレーバーの源となる。ライトローストでは、産地特有の明るい酸とフルーティーさが生きる。深煎りになるほど、元々のテロワールや品種特性よりも、ローストによる苦味やスモーキーさが際立つ。

スペシャルティコーヒー界隈では、酸味や果実感、フローラルな要素を生かすために浅めのローストが好まれ、豆本来の個性を引き出す手法が重視される。一方、従来の大量消費市場では、深煎りの苦味やキャラメル感、ロースト香が「コーヒーらしさ」として受け入れられてきた。

6-5. クリーンカップと欠点フレーバー

焙煎が浅すぎるとグラッシーな生木のような青臭さ(グリーンフレーバー)が残り、深すぎると炭っぽい苦味やアジアンダー(smoky, ashy)な風味が強まる。焙煎によって欠点豆由来の雑味が目立つこともあるため、生豆の品質と焙煎のバランスが大切だ。

ロースターは、カッピング(テイスティング)を通じてローストプロファイルを微調整し、生豆特有の優れた特性を最大限引き出し、欠点風味を最小限に抑える。

6-6. 鮮度とデガシング

焙煎後のコーヒー豆は、二酸化炭素や揮発性成分を放出し続ける。これを「デガシング」と呼び、焙煎直後はガスが多いため、抽出時に泡立ちが激しく、味が落ち着かないことが多い。一般的には焙煎後2〜7日ほど寝かせることで風味が安定し、甘みやバランスが引き出される。

長期保存すると、酸化や揮発成分の蒸散で風味が劣化するため、鮮度は重要だ。密閉容器やバルブ付きパッケージで酸素や湿気から保護し、1ヶ月程度以内に使い切るのが理想とされる。

第6章まとめ(途中)

ここまでで、焙煎がコーヒーの風味形成において極めて重要なプロセスであることを概観した。焙煎度合いやプロファイル管理、鮮度維持は、ロースターやバリスタがコーヒーの潜在力を最大限引き出すための鍵である。

次回は第6章の残り(焙煎機材や技術の進歩、トレーニング方法)を補足した上で、第7章「粉砕(グラインディング)と抽出理論」へと進む予定である。

いいなと思ったら応援しよう!