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【ウクライナ侵攻から2年】遠い異国「日本」へ一人で逃れた19歳の少女の今。
2024年2月24日、ロシアによるウクライナ侵攻から2年となりました。
紛争が長期化する中で、日本へ避難しているウクライナ避難民も日本での滞在が長期化しています。
日本には2098人(法務省発表・2月14日時点)のウクライナ人が滞在しています。
多くの方々が当初は一時的な避難と考えていました。しかし、紛争が長期化・激化する中で帰れる見込みは失われています。
「日本でキャリアを築きたい」と考えている方も大勢います。
先日発表された日本財団による調査では、「給付⾦、⽣活物資の提供以外で、必要な⽀援は何ですか。」という質問に対して、「仕事の紹介・マッチング」という回答が44.7%と最多になりました。
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WELgeeでは2018年から難民のキャリア再建に伴走してきたノウハウを活かし、2022年4月の侵攻直後よりウクライナ避難民にも伴走しています。
今回は、WELgeeが伴走しているオレナさん(仮名)の壮絶なライフヒストーリーを共有いたします。
19歳のオレナさん。「戦争」によって最愛のお父さんと離別するまで。
オレナさん(仮名)は19歳の女の子。ウクライナのハルキウ出身です。高校を卒業し、お父さんと一緒に仲良く暮らしていました。オレナさんの夢はゲームのキャラクターのデザイナーになること。そのために、デザインや英語、日本語など、複数の専門学校に通い、努力を重ねてきました。
2022年2月に激化したロシアからの軍事侵攻による紛争ですが、ウクライナ東部では2014年頃から8年以上も軍事侵攻は続いています。
紛争が激化する以前から度々空爆があり、近隣の町もロシアに占領されていました。
ウクライナ国内では侵攻直前から「直に戦争がはじまる」と度々報道されていました。
2022年2月24日、朝の5時のことです。オレナさんは外から聞こえた爆撃音で目が覚めました。
「ああ、これは本当に戦争がはじまったんだ。」
その日を境に生活は激変しました。
外に自由に出ることはできず、買い物にも行けない日々。ただ座ってネットで戦争の情報を目にする日々。とてもストレスでした。
爆弾を積んだ飛行機が、毎日、夜間に、低空を飛んでいくのを感じるようになりました。
夜、あたりは真っ暗になります。ただ飛行機の音だけがすぐ近くに聞こえて、飛行機が街に向かっているのがわかります。
音が聞こえても、何もできない。ただおびえているだけでした。
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ある日、爆弾がオレナさんたちの家のすぐ近くを直撃しました。
その時、オレナさんは、ペットの小さなチワワと猫と共に地下室に籠っていました。
「ドカン」
いつもよりずっと大きな音。
爆弾や残骸が落ちるたびに、小さな地震が起こります。
すべてが揺さぶられ、窓ガラスも割れそうなほどに強く揺れました。
ようやく爆撃が止んだ頃、地下室から庭に出ました。
家のフェンス越しに外を見ると、すぐ隣の家が大破して燃えていました。
お父さんいわく、子どもの叫び声が聞こえたそうです。オレナさんには、叫び声は聞こえなかったものの、強くショックを受けました。
「自分は小さな人間なんだ。いつ死ぬかわからない。何が起こるかわからない。」
命を守り「未来」を築くため、最愛のお父さんとの別れを決断。
最初の数日は、すぐ終わる、数週間で終わると言っていた戦争。
でも10日もすれば、これはすぐには終わらないと察し始めました。
インスタグラムでは、多くの友達、親友までも、安全な西部の都市や違う国へ逃げていました。
オレナさんはウクライナから避難すべきか、悩みました。
お父さんはどこにも行かない。逃げるなら一人で行かなければならない。
昨日、19歳になったばかり。これまでお父さんに頼りきりで暮らしてきた。大好きなペットのチワワとも、猫とも離れ離れになります。
それでも、お父さんの「行くべきだよ。今のウクライナには未来はない。」という言葉で、逃げるという覚悟を決めました。
そして翌日、大きな鉄道の駅に行きました。
駅までの道は、まるでゾンビゲームのように、街全体が破壊されていました。道路に止まっている大きなトラックが、内側から燃えていました。
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これがオレナさんにとって、最後に大好きなお父さんに会った日になりました。
これまでの19年間、ともに過ごしてきた、自分を優しく見守ってきた、気さくに何でも打ち明けられるお父さんとの突然の別れ。高校卒業後の進路も、全力で応援してくれていました。オレナさんにとってお父さんは親友のような存在でした。しかし、ここからは自力で生きていかなくてはなりません。
列車に乗り、ウクライナ西部に向かいました。
列車には戦争から逃げようとするたくさんの人が乗っていました。
オレナさんの乗っていたのは、従来は貨物用であった場所でした。多くの人が避難しようとする中で、人がのせられるようになった場所です。電気も水もヒーターもない。3月のウクライナ、25時間の電車の中は凍えるような寒さでした。
辛い中でも前向きに。「第二の人生」を築く場所を求めて。
オレナさんはウクライナ西部に1日滞在した後、ルーマニアに避難しました。
ルーマニアの国境付近には、ウクライナ避難民のため多くのボランティアがいました。
オレナさんはルーマニアに2日間滞在しました。
それからウィーンに避難しました。亡きお母さんと旅をした国であり、いつかまた訪れたいと思っていた国だったからです。
ウィーンでは、人生で初めて、自分ひとりで銀行口座の開設や行政への公的書類の提出を行いました。
これまでお父さんと一緒に暮らしていたオレナさん。「温室育ち」といわれるほど、大事に育てられてきました。ウクライナでは書類の作成や、医師と話すのにもすべてお父さんと一緒でした。
急にひとり、しかも異国。初めて家族と離れ、不安を抱えながらも一つ一つ自立していきました。
ウィーンに約2週間滞在したのち、ロンドンへ移住しました。ロンドンでは5カ月間暮らしました。
先が見えない中でも、自分の人生を再建するのに最適な場所を前向きに求め続けていました。
夢の国「日本」へ。
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オレナさんにとって日本で暮らすことは長年の夢でした。
15歳の頃から学校の傍ら、イラストレーターとして働いていたオレナさん。
高校を卒業した後、目指した進路は、ゲームのキャラクターデザイナー。本場・日本で働きたいと考え、戦争前から、日本語の学習もしてきました。
「どうにかして日本に行きたい」
親元を離れて暮らすという機会を通じて、その思いは強くなっていきました。
何とかして日本に行きたい、けれど誰に頼ればいいのかわからない。
思いつくあらゆる手段に出ました。
インスタグラムでウクライナについて投稿している日本人にランダムにDMしてみたりもしました。そうしているうちに、ウクライナ人の来日を支援する団体のページを見つけ、その団体を頼りに来日の準備をしました。
8月5日。荷物を全部まとめて、ロンドンのみんなに別れを告げて空港に行きました。
飛行機を待っている間も、日本で暮らすという夢が叶うなんて信じられませんでした。
「日本行きの飛行機を待っているなんて。」
13時間のフライト後、日本に到着しました。
ひどく暑い夏でした。寒国ウクライナから来たオレナさんには衝撃的な暑さでした。
それでも、夢であった日本に来られたのはとても幸せでした。
「ここが私の目的地、終点の場所なんだ。私は今、日本にいて、もうどこにも移動する必要はないんだ。」
心の底から様々な感情が湧き上がり、涙がこみ上げました。
「キャラクターデザイナーになりたい」という夢に向かって
日本の生活にも少しずつ慣れてきた頃、「働きたい」と思うようになりました。
日本政府からウクライナ避難民への支援は潤沢です。一日中、家にこもり続ける日々を送ることもできました。それでも、どこのコミュニティにも所属できていないという状態や、どこか日本社会に馴染めていないという感覚が、オレナさんを少し不安にしました。
それにせっかくの日本。安定して暮らし続け、日本でキャラクターデザイナーになる夢を叶えたい。
そのため、「仕事を始めたい。安定した気持ちで、毎日何かに取り組める環境を整えたい。」と考えていました。
そのころ、たまたま見た一通のメールに難民・避難民のキャリア伴走をしている「WELgee」の情報が掲載されていました。
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前述の通り、キャラクターデザイナーとしてのキャリアを望んでいるオレナさん。来日後もイラストスキルが活かせる仕事でのキャリアの構築を望み、ポートフォリオの作成等に励んでいました。しかし就職活動は人生ではじめて。しかも日本語のレベルはまだまだビジネスレベルとは言えません。
そんなオレナさんにWELgeeは履歴書の書き方や面接の受け方をレクチャーし、日本語教育の機会を提供しました。
またデザイナーを求めていた会社にオレナさんを紹介。半年のトライアル期間もWELgeeはオレナさんや企業から相談を受けながら、伴走しました。
オレナさんも、一日たりとも遅刻せず、初めての「同僚」とのコミュニケーションも積極的に取りながら、業界について学び、新たなデザインツールを取得するなど、愚直に努力を重ねました。そんなオレナさんの努力もあり、2023年12月1日より正社員として採用されました。現在はマーケティングのための画像クリエイティブに取り組んでいます。
「WELgeeの助けがなかったら、日本語の能力がまだまだな私が、日本で就職するのは本当に難しかったと思います。
特に私に伴走をしてくれたWELgeeのメンバーはお母さんのような存在です。今でもいつも気にかけてくれ、熱心に応援してくれます。私も彼女には、自分の率直な気持ちを心置きなく話すことができます。WELgeeの伴走には心から感謝しています!」
そう語るオレナさん。
「夢のキャラクターデザイナーになるには、今の段階ではまだ早すぎる。日本語も含めて、スキルが足りない。
それでも、自分の夢であるキャラクターデザイナーに向けて、まず初めの第一歩を踏み出しています。夢へのドアは開かれました。」
まだ20歳のオレナさん。日本でデザイナーとしての一歩を歩みだした彼女のこれからの活躍が楽しみです。
難民・避難民の「人生再建」に伴走するWELgeeの活動
オレナさんは日本でのキャリアの第一歩をあゆみだせましたが、まだウクライナ避難民は就職活動に苦戦しつづけている方が多いのが現状です。
WELgeeでは2018年から難民のキャリア再建に伴走してきたノウハウを活かし、2022年侵攻直後よりウクライナ避難民にも伴走しています。現在、62人のウクライナ避難民と接点があり、約15人にキャリア伴走の支援を提供しています。
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