見出し画像

子どもアドボカシーを地域にひらいていく意味

先日、審査委員長特別賞を受賞したTOKETAとともに、子どもの権利を学ぶワークショッププログラム「きかせてジャーニー」もキッズデザイン賞を受賞することができました。

きかせてジャーニーは、子どもアドボカシーセンター福岡(以下、CACF)から依頼され、子どもアドボカシーを地域にひらいていく布石として主に学校で取り組むプログラムとして企画し、多くの子どもたちの声を手がかりとしながらデザインした経緯があります。

きかせてジャーニーをデザインする際に大切にした主要なポイントについて、CACFの2023年度の報告書<2024年3月発行>に寄せたのですが、この機会にこちらで公開させて頂くことにしました。やや長い文章で恐縮ですが、これからきかせてジャーニーをご利用頂く方はもちろん、今後、さらに広がっていく子どもアドボカシーに向き合っていこうとされている方々に、読んで頂けるとうれしいです。

文責:田北雅裕


地域における子どもと大人との関係性とは

学校における生徒指導の方向性を示す「生徒指導提要」は、こども基本法の成立を受けて、2022年に12年ぶりに改訂されました。子どもの権利条約の原則が、学校における生徒指導の基礎であると、明記されたのです。

国内において、社会的養護の子どもを中心に取り組まれてきた子どもの権利教育および子どもアドボカシー(主として意見表明等支援事業)が、地域へと広がりを見せる中で、改めて、子どもアドボカシーを地域で取り組むことの意義を見出し、ワークショッププログラムとして実装することが、本年度の大きなテーマでした。

社会的養護の子どもに対して取り組まれてきた意見表明等支援事業は、一時保護施設や里親家庭・児童養護施設等(以下、施設等)において、措置権者の児童相談所や支援者から独立した立場にある子どもアドボケイト(独立アドボケイト)が訪問することにより、意見表明等に取り組みます。子どもアドボケイトにおける「独立性」とは、少なくとも子どもと対峙する場面において、子どもアドボケイトが周囲の他主体から距離を置き、対象となる子どもと一対一で向き合う関係であることを意味します。

一方で地域においては、端的に言うと、生活環境からなる日常的な関係性が、アドボカシーの主な舞台となります。

家庭や学校が、施設等と同様に声が出しづらい環境となり、それに伴い、社会的養護と同様の「独立性」が重要になる局面はあります。しかし、家庭や学校には施設等ほどの厳格な「保護性」はありません。むしろその「保護される主体」から「権利の主体」へと子どもを位置付ける文脈の象徴として、地域があります。地域では、子どもの声をきく可能性のある他者と日常的に出会う蓋然性が高く、また、子どもの主体性に委ねられる局面が増えます。その点が社会的養護の状況との大きな違いです。

まず、家族があります。そしてその周りに祖父母や親族、近所の住民、学校やフリースクール、塾の先生やスタッフ…、そして、そうした多様で多くの主体との相互の関係の中で出会った多くの友だち・仲間がいます。日常生活を営む中で、自然と「声をきかれる機会」に出会いやすい状況が、地域たる所以です。子どもアドボカシーの研究者であるジェーン・ダリンプル氏は、そうした日常の中で出会う人たちを基調にしたアドボケイトのことを「ナチュラル・アドボケイト」と呼んでいます[1]。

「大人から子ども」ではなく「子ども同士」へ

子どもの権利が保障され、地域の暮らし全体の中で子どもの声がきかれる状況が保たれるためには、ナチュラル・アドボケイトが機能する環境が不可欠です。ある面において、子どもアドボケイトが、子どもの声をきく役割を奪わないよう留意することも重要となります。独立性の高い子どもアドボケイトが地域の中でも必要とされる一方で、ナチュラル・アドボケイトをエンパワーすることで、子どもの声がきかれる状況、ひいては子どもが主体的に声を発せられる状況を創出することが、地域にふさわしいアドボカシーの展開と位置付けられると考えました。

地域の中でも特に学校現場での子どもアドボカシーに重きを置いた今回のプログラムが、特に向き合うべきナチュラル・アドボケイトは誰なのか、その思索の末に見出した対象が「友だち・仲間」でした。

大人に伝えられない声を伝えやすい人は誰か、誰の声であればより実感を伴い、受けとめることができるのか、子どものセルフアドボカシーを目指した際に相応しいアプローチとして「子ども同士で声を受けとめ、声をきき合うこと」をプログラムに実装する視点を見出したのです。

きかせてジャーニーの手がかりとなった「きかせてワーク[2]」における「きかせて」は、大人から子どもに発せられた「きかせて」でした。しかし「きかせてジャーニー」における「きかせて」は、大人から子どもに向けられる言葉である以上に、子ども同士の「きかせて」を意味します。

その結果、子ども同士がお互いの声を受けとめる「もやもやフライト」と、お互いの声をきき合う「ぺちゃくちゃスカイ」が生まれました。子どもの一番近くにいる友だち・仲間が、エンパワーできる存在になったとき、子どもたち自身の力が発揮されていきます。何より「子ども同士」なるベクトルが場に内在していくと、必然的に大人が有する権力性が減じ、互いの権利を尊重し合う経験につながります。「子ども同士」の姿勢は、学びの観点からも有用です。

ワーク1「もやもやフライト」
折り紙にもやもやしている気持ちをつづり、紙ひこうきにして飛ばし、お互いの気持ちを受けとめる
ワーク2「ぺちゃくちゃスカイ」
2人1組で協力して紙ひこうきのコマをすすめるすごろく。対話を通してきもちを交わし、権利を学ぶ

「子ども同士」のやりとりを充実させていく方法は、そのやりとりそのものに着目するだけではありません。むしろ、アドボケイトが「子ども」から、子どもの声が発せられる「環境」へと視点を向けることで、子ども自身の主体性を促すことができます。

きかせてジャーニーは、一般的な意見表明支援事業のように、閉じられた部屋で、子どもと一対一で対峙するものではありません。開かれた場で多くの子どもと声をきき合う機会を提供します。その際、子どもたちの気持ちや姿勢は、周囲の環境に強く影響されます。

閉じられた場は、大人がコントロールしやすい場であることに留意する必要があります。閉じられた場で子どもの声をいかにきくか、ではなく、開かれた場で子どもの声がいかにきかれるか、そのための多様な環境要素への配慮は、「きかれる環境・場づくり」において不可欠と言えます。

目の前の子どもだけでなく、周囲の環境要素の工夫をすること。きかせてジャーニーの使い方を紹介した「きかせてジャーニーガイド」において、その重要性を強調しています。

旅のしおり「きかせてジャーニーガイド」の一部

「子どもの権利」から「子ども時代の権利」へ

また、子どもと大人との関係性をほぐすアイディアは、他にもあります。「『子ども時代』を旅(=ジャーニー)すること」をコンセプトとした点です。

90年代に、ヨーロッパやブラジルでシュタイナー教育に携わる人たちが取り組んだ「子ども時代のためのアライアンス」という運動がありました。その時に掲げられた言葉が「子ども時代の権利」でした。「子どもの権利」ではなく「子ども時代の権利」としたのは、今を生きる子どもだけではなく、大人も含めた全ての人を対象にして、その権利と体験のかけがえのなさを共有するためであり、また、「子どもの権利」を「地域づくり」へと実装していくための言葉へと昇華させるためでした。全ての大人は、昔は子どもでした。今の子どもと同様の「子ども時代」を生きている事実を共有することで、大人が子どもの立場へと降りていくことが可能となります。

「子ども時代」という言葉には時間軸が生じ、今を生きる子どもたちの日常の時間軸と重なります。今この時に声に出せないことでも、ワークショップでの出会いや出来事をきっかけに、後日、あるいは数年後に声を出せることがあるかもしれません。学びの成果や意見の表明を、大人側の論理ですぐに求めるのではなく、子どもそれぞれの立場を重んじ、その成長に伴走する姿勢を「旅」に重ねています。

子ども時代の旅のお守り「ジャーニーパスポート」

子どもアドボカシーが地域へと広がる際に伴う感情

きかせてジャーニーは、以上のようなコンセプトを携え、既存の子どもの権利に関するツールに前提とされてきた、子どもと大人との共時的な緊張関係を揺らすポイントを盛り込んでいます。その結果、子どもアドボケイトは、従来までの立場とは異なる子ども同士の関係を促す立場(=ファシリテーター)に位置付けられ、かつ自身のコントロールが及びきれない「環境」に向き合わざるを得なくなります。

従来の社会的養護を基調とした立場で子どもの権利を捉えた場合は特に、こうした新たな立ち場やコントロールしきれない範疇に戸惑ったり、難しさを感じたりする局面が出てくるはずです。そうした感情は、地域で子どもアドボカシーの実装が目指されていくフェーズで、より一層、顕在化していくと考えられ、しっかりと認識しておく必要があるでしょう。

そして、その状況を解決に導く視点としてはやはり、ナチュラル・アドボケイトとの協働です。子どもの声をきくこと、そしてそのための環境調整を、独立性の名のもとに、一部の主体で抱え込まないことが大切だと考えられます。

意見を「あらわす」ことの意味

きかせてジャーニーでは、一般的に「意見表明権」と称される子どもの権利条約12条を「意見をあらわす権利」としています。それは、子どもに分かりやすく示すためだけでなく、意見表明と同様に、相手が表明されたと受けとめる前の、子どもそれぞれの「気持ち」の「表現」も大切にするためです。つまり「あらわす」は「表す」であり、「現す」という意味を込めています。「気持ち」とは、意見に込められている意味内容であると同時に、意見になる前段階とも言えます。つまり、「気持ちをあらわす」というのは、意見形成とそれ以前の意思表出のレベルを含む営みと位置付けられています。

例えば「もやもやフライト」は、紙に言葉だけでなく絵を描くことができます。もちろん、何も書かないことも可能です。何も書かない場合であっても紙ひこうきとして飛ばすことで、自分なりの「表現」として昇華すること(他者と共有すること)ができます。紙ひこうきを自分でつくり、身体全体を使って飛ばす行為は、その子どもらしい気持ちに違いありません。

また、「ぺちゃくちゃスカイ」で用いる「きもちカード」は全てのワークで活用できるように工夫しました。きもちカードは、CACFが今まできいてきた子どもの気持ちをまとめたものであり、そうした「仲間の気持ち」を目の当たりにすることで、子どもの意見形成を支えることもできます。

子どもの意見形成を支える「きもちカード」

きかせてジャーニーは、子どもそれぞれの多様な気持ちが意見(他者と共有できるかたち)となるように支えたり、多様な気持ちや意見をあらわすアイテムを組み合わせて使うことで、より多様な子どもの気持ちと参加者相互の関わりが交錯し、印象深い体験となる工夫を施しています。

本年度に試験的に開催したワークの最終回で、印象的な中学生の声がありました。初回の「もやもやフライト」において、意見を書けなかった際、子どもアドボケイトの言葉かけや振る舞いに、感謝を伝えてくれたのです。子どもは意見が言えない、書けないことがあります。その際に大切なことは、意見表明を導く以前に、言えない気持ちをどのように周囲の大人が受けとめるかだと、教えてもらいました。

子どもらしい意見形成を促していく一方で、意見が言えない行為もその子どもらしいかけがえのない行為です。きかせてジャーニーでは、子どもが意見を言いづらい場面も尊重するようにしています。必ずしも意見が言いやすい状況に変えるのではなく、子どもが逡巡する時間に伴走する姿勢を推奨しています。

未来の場づくりに向けて

以上のようなプログラムの実装を検討するプロセスで、今後、地域および学校において、アドボケイトが有するべきスキルについても、より明確になってきました。具体的には、以下の4点です。

  1. 複数人の子どもたちや多様な子どもたちに対応できるファシリテーション・グループワーク能力

  2. 地域で日常的に意見表明を支えているナチュラル・アドボケイトの役割を奪わない子どもアドボケイトの姿勢

  3. 子どもたちのピアアドボカシーの重要性の理解

  4. 地域・学校における社会資源・専門職の理解と協働

以上は、子どもアドボカシーが、社会的養護の領域から地域へと広がっていく中で、アドボケイトの養成において重要となる視点と考えられます。地域の多くの子どもたちを対象に、丁寧にグループワークを実現するためには、アドボケイトをより多く養成することはもちろん、多主体との協働が必須です。

アドボケイトの「独立性」に囚われずに、ナチュラル・アドボケイトの存在を鑑みた、子どものセルフアドボカシーを支えるアドボケイトの養成と協働が、今後一層求められるでしょう。

「きかせてジャーニー」キット

こども基本法第11条には「国及び地方公共団体は、こども施策を策定し、実施し、及び評価するに当たっては、当該こども施策の対象となるこども又はこどもを養育する者その他の関係者の意見を反映させるために必要な措置を講ずるものとする。」と明記されました。つまり今後、国および自治体は、子どもの意見をきき、施策に反映させる場を創出せねばなりません。

きかせてジャーニーのワークショップ運営は、こうした子どもの声をきく場の運営と非常に親和性が高いです。きかせてジャーニーに取り組むアドボケイトと多主体との協働スキームが、こうした地域において子どもの声をきく取り組み全般へと発展していき、地域全体の中で、子どもの声をきく文化が醸成されていく未来を想像しています。

[1]: 堀正嗣 , 子ども情報研究センター(2013)「子どもアドボカシー実践講座: 福祉・教育・司法の場で子どもの声を支援するために」解放出版社

[2]: CACFは、社会的養護の子どもを対象とした「子どもの権利ノート」を制作する際に、子どもの潜在的なニーズ・声を把握するために「聴(き)かせてワーク」を実践していました。しかし、改めて考えると、そのワーク自体が、子どもが意見表明権を行使する営みであり、子どもの切実な声がきかれる機会です。子どもが勇気を出して発した声に応答していく必要があり、また、こうしたアドボケイトと子どもたちとの出会いは、今後アドボケイトが学校に広がっていくための最初の接点ともなり得ます。そこで私たちは、子どもにとってかけがえのない機会である「聴(き)かせてワーク」を、子どもの声をきく一過性のイベントと位置付けるのではなく、子どもアドボカシーを学校に定着させていく仕組みとして改良していく発想に至りました。つまり、子どもが権利を学ぶための「ノート」の開発ではなく、子どもが意見を表明する機会と、そうした実感を通して子どもの権利を学ぶ機会からなる「ワークショップ」です。それが「きかせてジャーニー」です(CACF 2022年度報告書<2023年3月発行>より)